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 今月の金子さん

書物世代のホームページ不安症


        の連載のスタート以来、これまでずっと検索エンジンの話題で押していますが、それだけ僕にとって、この検索エンジンというのは興味深いツールなのです。

        ンピュータやネットワークの専門家でない多くの人はそうだと思うのですが、僕がはじめてインターネット上でWWW(World Wide Web)の画面を見たときには、それにどんな意味があるのか皆目理解できませんでした。ただ画面に文字と絵が出てきて、ボタンを押せば別の画面に切り替わる。せいぜいその程度の印象しかなかったように思います。
         「個人による情報発信」ということがWWWの意義としてしばしば謳われますが、それだけなら今までにもミニコミなどの印刷物がありましたし、映像や音声と組み合わせるならハイパーカードなどのマルチメディアソフトがありました。WWWのどこに、そういう従来のメディアに取って代わるような新しい何かがあるのか、使い始めのころはどうもピンとこなかったわけです。情報を得るなら、新聞や雑誌などの情報の方が整理されているし、なにより印刷物の方が画面の文字より断然読みやすいと思いました。根っからの本好きとしては、この見慣れない不可解なメディアより、子どもの頃からなじんだ本の肩を持ちたくなるわけです。

        WWWが本など、いままでのメディアとまったく違うものだと漠然と感じるようになったのは、検索エンジンというものの存在を知ってからでした。たまたま思いついた勝手なキーワードを入れて、検索ボタンを押して間もないうちに、WWW上の情報がリストアップされ、そこをクリックすれば瞬時にその情報源に到達できるということを体験したときに、それまで茫漠として捉えどころのなかったWWWの世界に対して、はじめて多少なりとも主体的に関わることができたような気がしました。
         <マサチューセッツ工科大学><メディア・ラボ>所長の<ニコラス・ネグロポンテ>氏は、情報の送り手が「広い範囲に投げ掛ける」という意味のこれまでの「ブロード・キャスト(放送)」に対して、受け手が情報を「広い範囲から捕える」という意味の「ブロード・キャッチ」という概念を提唱しましたが、それがアイデアとしてではなく、現実に自分のものになったという思いを強く感じました(<スチュワート・ブランド>著『メディア・ラボ』福武書店、1988年)。
         あるいは、<テッド・ネルソン>氏が進めていた<ザナドゥ>と呼ばれる、ハイパーテキストによる地球規模の情報図書館構想、それは僕のような図書館好きには素晴らしく魅力的な夢に思えるものですが、それが形を変えて一挙に実現したかのような印象すら受けました。

        うした体験をきっかけに、WWWの世界を見てまわるようになったのですが、そのうちに、ある奇妙な感覚を感じるようになりました。確かに様々なホームページを気ままに見ているのは楽しいのですが、例えば一つのホームページをじっくり見ようとする場合、どこまで見ればそのホームページのすべてを見たことになるのかということが非常につかみにくい、そのことからくる一種の不安感のようなものを覚えるようになったのです。
         これが本であれば、今自分が一冊の本のどこまでを読んだのかということ、また、最後のページまで読めばその本を(理解の程度はともかくとして)読み終えたということが、あらためて考えるまでもなく実感できます。ところがホームページの場合は、テキストや画像に張られたリンクをクリックしながら進んでも、今自分がホームページ全体の構造の中のどこに位置しているのか、また、ひととおりページを見たような気がしても本当にすべてのページを見終えたのかどうか、どこかに見ていないページがあって、そこにとても重要なことが出ているのではないかといった疑問が湧いてきて、どうもそれがホームページを見ているときの漠然とした不安につながっているようです。
         これと同じような感覚は、それまでにもCD-ROMのマルチメディア・コンテンツを見ている時などに感じていました。クリック、待機、クリック、待機、の繰り返しで最後まで進んでいっても、1枚のCD-ROMを見終わったという実感がどうしても得られない、どこかに見落としたテキストや画像があるんじゃないかという疑いが拭いきれなかったのです。ホームページの場合には、さらにそうした思いが強く感じられます。

        ちろん、それこそがハイパーテキストの特徴であり長所なんだという考え方もあるでしょう。リンクによって自在な構造を持つことができるホームページに、本のような閉じた完結性を求めるほうが間違っているということもわかります。とはいうものの、じゃあ今あるホームページがそうしたHyperText的な構造を活用した斬新な中身を提供しているのかというと、これにも疑問を感じてしまいます。もちろん優れたものもあるでしょうが、多くのホームページは印刷物のイメージをそのまま踏襲したもので、逆に印刷物を作る際に課せられるような制約が少ないために、他者に公開することを前提にした内容の吟味を経ないものが、無整理な状態のままで大量に放出されているように感じてしまいます。
         そうしたこともあって、僕の場合、個々のホームページの中身を見ていくよりも、今のところはWWWという情報世界の全体的な雰囲気を少しでもつかもうとしている段階で、検索エンジンで思いついた言葉を調べては、WWWの世界にはどんな情報がどんな形で存在しているのかを確かめるという手探りの作業を繰り返すことが、今は一番面白く感じます。本にたとえるなら、本屋や図書館に行って、とりたてて目的もなく、ぶらぶらと棚を見て回っているような状態といえそうです。

        ザイナーで<TED会議>のチェアマンを務める<リチャード・ワーマン>氏は、現代人が膨大な情報の洪水の中にありながら、その情報が理解された知識につながっていかない状況から生まれる不安を「情報不安症」と表現しました(リチャード・ワーマン著『情報選択の時代』日本実業出版社、1990年)。インターネットそしてWWWが、そうした情報不安症から我々を解放してくれる手段となるのか、それとも我々をさらなる不安症の中に巻き込むことになるのか、どうか前者であってほしいという淡い期待を抱きつつ、この新しい道具との付き合い方を模索している毎日です。