金子伸二

 甥っ子の小学校への入学プレゼント。さて、いまどきの5歳児が喜ぶものは何だろうかと考えてみても、なかなかいいアイデアが思い浮かばない。「やっぱりポケモンのグッズかなぁ?」などと思っていたのだが、本でかわいらしいデザインの陶器製の食器を見かけて、これにしようかと思い立った。今までのポリの食器よりも重くて冷たく、落とせば割れてしまうかもしれない。そんな「物」の感覚に、甥っ子がどういう反応を示すのか、今からちょっと楽しみだ。

◆◆今月の金子さん〜ガリガリバンバン!◆◆

月といえば入学・進学の時期。僕の5歳の甥っ子も、この春から小学校の1年生になる。そんなことから、自分が小学校に入った頃のことを久しぶりに思い出していたら、新聞の「山形市にガリ版印刷の資料館が開設された」という記事が目にとまった(『東京新聞』3月9日夕刊)。山形市で中央印刷という印刷会社を経営する後藤義樹さんと長男の卓也さんが、ガリ版印刷の機材などを集めて資料館を開設したのだそうだ。
 そういえば、僕が小学生だった頃も、学校ではガリ版がよく使われていた。学校から父兄への連絡も、テストの問題も、あるいは給食の献立表も、みんなワラ半紙にガリ版で印刷されたものだった。学級新聞や文集づくりで自分の書いた拙い字が印刷されて出てきた時には、恥ずかしいのと誇らしいのとが入り混じったような、不思議な気持ちがしたものだ。なんだか急に懐かしくなってきたので、今回はガリ版についての話題を探ってみることにしよう。最新テクノロジーの話題が飛び交うインターネット上でガリ版について語るなんて、なかなか屈折していてイイじゃないですか。

れはそうと、「ガリ版ってナニモノ?」という人のために、いちおうの説明をしておかなければならない。「ガリ版(ばん)」は、本来は「謄写版(とうしゃばん)」と言って、印刷技術の一種を指している。パラフィンをひいた薄い紙(原紙)をヤスリの上に載せ、先端に金属を付けた棒(鉄筆)で原紙に文字を書くことで版を作り、次にこの版の下に紙を敷き、版にインクを通すことで印刷をする。版の孔を利用する「孔版印刷」の一つであり、その点で、年賀状などの印刷に使われる「プリントゴッコ」や芸術版画に多用される「シルクスクリーン」とは兄弟の関係にある。簡単な設備で、取り扱いも容易だったため、手軽な印刷手段として事務所や学校などで大活躍した。また、タイプライターで製版したり、輪転式の印刷機が登場するなど、かなり本格的な印刷にも対応するまでに発展した。しかし、ワープロやコピー機の普及に代表される、簡易な小部数印刷を取り巻く環境の変化によって、急速に衰退していった。おそらく、鉄筆を揮って「ガリガリ」と文字を切り、ローラーをころがして機関紙や同人誌を1枚ずつ刷ったり、あるいは電動輪転機のあまりのスピードに目を剥いた体験を持っているのは、今の30代くらいの人までだろう。

うして忘れ去られるところだった謄写版なのだが、なぜか深い愛着を感じている人が多いようで、ネット上でも謄写版をめぐる話題はしっかり健在だ。

 <芭蕉ホームページ>の中にある<山形謄写印刷(ガリ版)資料館>は、件の新聞に紹介されていた資料館のページ。まだ工事中の部分も多いのだが、「ガリ版資料館奮戦記」を読むと、1961年(昭和36年)の生まれで、謄写版についてまったく知らなかった後藤卓也さん(資料館事務局長)が、謄写版博物館の創設を思い立ったお父さんのペースに巻き込まれて、いつのまにか謄写版の魅力にのめり込んでいく様子が率直に語られている。資料館設立の背後に、こうした「謄写版をめぐる父と息子の物語」があることは、新聞の小さな記事からはなかなかうかがえない事柄だ。また、この中で資料館の設立の経緯や現在の様子がわかるとともに、その過程での謄写版を愛する多くの人々との出会いも読みどころになっている。俳優の佐藤慶さんが謄写版愛好家であることは、津野海太郎さんの『本はどのように消えてゆくのか』(晶文社)で知っていたが、その大変なマニアぶりもインタビューで詳しく紹介されている。佐藤さんに限らず現在の第一線で活躍する人々が、こと謄写版の話題になると時を忘れて語り合う様子からは、謄写版という技術が人を惹き付けてやまない不思議な魅力を持っていることが伝わってくる。

 <ショーワ>の中にある<「昭和堂月報」の時代>は、印刷機材の販売を手がける株式会社ショーワが謄写版の製造・販売を手がけていた当時に発行していたPR誌の内容紹介を通して、謄写版印刷の歴史や、そこに関わった人々の経歴を紹介している。1894年(明治27年)に堀井新治郎父子によって発明された謄写版の技術が、昭和に入ってどのように展開してきたのか、一つの技術の漸進的な発達の過程をうかがうことができて、貴重な資料になっている。ここで興味深いのが、この月報の編集・寄稿者として謄写版技術の開発・普及に活躍し「謄写印刷技術の第一人者」といわれた草間京平と、鳥取の孔版画家・板祐生という二人の人物だ。草間については山形謄写印刷資料館のページにもしばしばその名が登場するが、満州国嘱託として渡満するなど、謄写版の傑出した技術を携えて戦前戦後をくぐり抜けながらも、今日では作品の多くが散逸してしまい、その全体像はいまだつかめていないという。
 一方、板祐生は鳥取県西伯町の分教場で教員を務めながら、50年間にわたって孔版画の制作を続けて独自の作品世界を展開するとともに、また3万点にのぼる郷土玩具などのコレクションも遺した。板については、「『昭和堂月報』の時代」の中に、謄写版文化史研究の第一人者・志村章子さんによる評伝が収められているとともに、<Web GALEON><祐生版画>で、その作品の一端を見ることができる。また、西伯町には先年、その作品を展示した町立博物館「祐生出会いの館」が開設されたそうだ。

のほかにも、昨年は東京で志村章子さんをはじめとする謄写版の研究者が展示会を開いたり、岐阜県蒲生町が堀井新治郎父子の生家を改修して謄写版の技術を伝える「ガリ版伝承館」を開設するなど、謄写版=ガリ版をめぐる話題はこのところ賑やかだ。これも、謄写版があれだけ普及していながら、一気に消滅していったことに対する衝撃の大きさを物語っているといえるだろう。
 1928年(昭和3年)に創刊された、<日本共産党>の機関誌「赤旗」は、その初期のかなりの期間を謄写版印刷に依っていたとのことであるし、一方で<政府刊行物のホームページ><官報>によれば、「官報」もまた1923年(大正12年)の関東大震災の際には、印刷局の設備が全壊したため、謄写版刷りで緊急勅令を掲載した号外を発行したという。
 このように、謄写版はあらゆる立場の人々に利用されながら、いったん転機が訪れると急速に忘れ去られることになった。それがあまりにありふれた、当たり前の物であったがために、それが果たした役割の大きさは、謄写版がほぼ完全に身の回りから姿を消した現在になって、やっと認識されはじめようとしている。これは謄写版に限らず、技術や道具に対する僕たちの普段からの意識の低さを表わしているといえるだろう。思想や文化、芸術といった華やかな成果にはすぐに目が向くが、そうしたものがいかに同時代の技術や道具といった「物」の世界によって条件付けられているかということには、なかなか思い至らないのだ。

業家であると同時に多くの歴史家や民俗学者を育て、自らも漁業史をはじめとする研究に携わった渋沢敬三が創始した「民具学」という学問は、日常の生活世界にある道具の研究を通して社会や文化の様態を理解しようとするものであった。「民具」という言葉からは、今の僕たちはつい民芸品や骨董品のようなものを想像しがちだが、この概念はそれにとどまらない幅広さと奥行きを持っている。
 渋沢のこの卓抜な視点も、新来の観念を弄んで充足する傾向の強いこの国の知的風土にあって、今日十全に展開されたとはいえないのだが、謄写版の事例は、民具から現代の情報機器に至るまでの、「物」と「人間」との関わりを捉えなおすことの大切さを教えてくれているのではないか。<和光大学総合文化研究所>の報告書<「ラオス・カンボジアの教育」現地訪問調査記録>にあるように、開発途上国にあって謄写版は、有効な教育機器としてまだまだ現役で活躍しているのだから。

今回アクセスしたページ


芭蕉ホームページ
(http://www.bashou.co.jp/index.html)
株式会社ショーワ
(http://www.showa-corp.co.jp/)
Web GALEON
(http://www1.odn.ne.jp/galeon/index.html)
日本共産党
(http://www.jcp.or.jp/home.html)
政府刊行物のホームページ
(http://www.gov-book.or.jp/index.html)
和光大学総合文化研究所
(http://www.wako.ac.jp/souken/index.html)


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