金子伸二

 ヴォルフガング・シヴェルブシュの『鉄道旅行の歴史』(法政大学出版局)は、近代における鉄道と本との出会いを巧みに捉えた名著だ。外界から隔離された列車のコンパートメントの中で他人と長時間を過ごすという新しい体験が、一方で退屈しのぎの車中での読書という習慣を生み、他方で実際にも頻発した列車内での殺人事件という小説ジャンルを生んでいく。鉄道とミステリーとは、いわば兄弟のようなものなのだ。それにしても、近ごろは電車に乗って本を広げても、すぐに爆睡してしまうなぁ。

◆◆今月の金子さん〜日本全国殺人事件◆◆

が考えた言葉かは知らないが「トラベルミステリー」というものがある。テレビでは2時間ドラマで、タイアップのお宿の名前を出演者が連呼しつつ、観光名所と温泉と郷土料理を紹介しながら殺人事件のストーリーが毎回展開されている。「旅情サスペンス」という、なんともツボを心得た呼び方もするらしいのだが、こうしたドラマには小説を原作とするものも多い。
 小説の方でもテレビドラマと同様、トラベルミステリーは数多くあるようで、新聞や電車の中吊りの新刊広告には、おおむね『○○○○殺人事件』という書名を冠したトラベルミステリーが次々に紹介されている。「○○○○」のところには、観光地の地名が入ったり、鉄道の列車の名前が入ったりするところが、実に「トラベル」なワケだ。
 その地名や列車名を見ていると、それこそ日本全国の観光地や鉄道が網羅されているかのようで、次々に新たな殺人事件の舞台を開拓していくその情熱には、ある種の感銘をすら与えるものがある。例えば、『津軽りんご園殺人事件』(木谷恭介著)や『ミニ急行「ノサップ」殺人事件』(西村京太郎著)といった書名には、「何だって書くもんね」的なプロの迫力が感じられて、物書きの端くれとしてはただひたすら圧倒されてしまうのである。

れにしても、この『○○○○殺人事件』という本は、いったいどれくらいあるのだろうか。そこで、社団法人日本書籍出版協会のホームページ<Books.or.jp>を使って検索してみることにした。ここでは現在流通している本を、いろいろな条件で検索することができる。
 今回の検索では、書名に「殺人事件」という言葉が入っていることが第一の条件なのだが、これだけでは件数が膨大になって後々の整理が大変なので、対象を文庫本に限定することにした。この条件で検索して、現時点で該当したのが595件。そのうち、このページで表示できるのが最大500件までなので、この500件を対象にいろいろと分析を加えてみることにしよう。ただし、この中では、上下巻は2件として数えられ、また同じ作品でも異なる出版社から刊行されていれば別扱いとなっている。

 さて、この500件をまずは著者別に分類してみると、件数が50件以上を超える著者は次のようになった。

   1位 山村美紗  74件
   2位 内田康夫  73件
   3位 斎藤 栄  61件
   4位 西村京太郎 51件

 この4氏で全体の約52%を占めているわけで、さしずめ「殺人事件四天王」と呼ぶことができるだろう。

 次に、文庫の出版社別に見てみると、これも件数50件以上を超えたのは上位4社であった。

   1位 光文社  133件
   2位 角川書店  62件
   3位 徳間書店  61件
   4位 講談社   50件

 ご覧のように、件数の上では<光文社>が2位以下を大きく引き離すかたちとなった。したがって、もしとにかく『○○○○殺人事件』の類を読みたくなったら、本屋さんでまずは光文社文庫の棚を見るのがよろしいということになる。

れでは、この500件の中でいわゆるトラベルミステリーはどれくらいあるのか。とりあえず範囲を国内に限って、書名に地名や列車名が含まれている本をざっと数えたところ、地名を含んだものが248件、列車名を含んだものが50件で、合わせて298件。実に『○○○○殺人事件』の約60%がトラベルミステリーであることがわかった。もちろん、タイトルだけで判断したので厳密さはないが、それにしても殺人事件には旅がよく似合うらしい。

うなると、こういったトラベルミステリーで人気の場所はどこなのかということが気になってくる。一見すると日本中がまんべんなく取り上げられているように思えるが、やはりミステリーの舞台にうってつけの、人気の場所があるのではないだろうか。
 そこで、ここからは上下巻や出版社の相違で重複している分を除外して、1作品を1件として場所の選ばれ方を調べてみることにした。また、トラベルミステリーでも列車名を書名に含めたものには、広い地域にわたるものが多いので、これも除外した。その結果、対象になったのは、地名を書名に含めた229件の本である。
 そして、書名に出てくる地名によって229件を都道府県別に分類してみた。複数の県にまたがるようなものや、場所が特定できないものは「その他」として扱った。その結果、2ケタの件数を獲得した上位は次のようになったのである。

   1位 京都府  49件
   2位 長野県  23件
   3位 北海道  17件
   4位 神奈川県 13件

 歴史の都・京都、山や湖に囲まれた長野、北の大地・北海道、そして港町ヨコハマを抱える神奈川と、それなりに納得させられるものがある。やはり、ミステリーの似合う場所というものはあるようだ。

ころで、京都府が49件で1位というのには別の理由がある。このうちのなんと33件が山村美紗さんの作品であるということだ。山村さんの作品に京都を舞台にしたものが多かったことはよく知られているが、それがここでもあらわれたわけだ。
 そうなると、作家によって人気の場所に違いがあるのかどうかも気になってくる。そこで、この229件の中で多くの作品を書いている上位作家、山村美紗、内田康夫、木谷恭介、斎藤栄の4氏について、同様に場所を調べてみた。ちなみに西村京太郎さんは、作品の多くが列車名を書名に冠したものなので、ここでは含めていない。
 その結果、内田康夫さんと木谷恭介さんは場所が比較的多くの県に分散しているのに対して、山村美紗さんと斎藤栄さんは特定の県に集中するという傾向のあることがわかった。多作なトラベルミステリー作家にも、場所の取り上げ方にタイプの違いがあることがわかる。
 それぞれの特徴を見ていくと、集中型の山村さんは京都府、斎藤さんは神奈川県が特に多いが、分散型の内田さんでも長野県が比較的多くなっているし、木谷さんの場合は北海道の多さが目立つ。件数で上位に立った県には、それぞれそこを得意とする作家がいたことになる。前に「『何だって書くもんね』的なプロの迫力」と書いたが、それはとんでもない誤解で、一見どんな場所でも描いているようでありながら、実はそれぞれの作品世界に相応しい場所をしっかり確立しているのだということがわかった。むしろそれこそが、プロ中のプロたる所以なのだろう。

て、光のあるところ必ず影があるように、この229件という数多い作品をもってさえ、1件も登場しなかった県がある。秋田、茨城、埼玉、千葉、徳島、佐賀、宮崎の7県だ。筆者はこのうちの一つ、千葉県の出身なのだが、千葉県を舞台にした『○○○○殺人事件』がないというのは、喜ぶべきことのような気もするが、正直ちょっと寂しい。もちろん、今回の調査で含まれなかっただけで、実は『養老渓谷殺人事件』や『鯛丿浦殺人事件』があるのかもしれない(註:いずれも千葉県の観光地)。誰かご存知の方、教えてください。

 トラベルミステリーの舞台は、まだまだ尽きることがない……かな?

今回アクセスしたページ


Books.or.jp(社団法人日本書籍出版協会)
(http://www.books.or.jp/)
光文社
(http://www1.kobunsha.com/top.vs)


ここから思いついた言葉でホームページを検索!

InfoNavigator
*半角カナは使用できません
検索のコツ