栗田涼子

 フランスではこのところ、アメリカ産牛肉の輸入の是非をめぐる問題が再浮上しています。生育促進のためホルモン注射された米産ビーフの輸入を頑なに拒否するフランスに対し、アメリカ政府は、フランスの輸出品に対して100%の関税を課するという制裁措置をとったのです。仏政府が、ポリティックゲームの駆け引きにどう出るのか・・・ 私たち消費者の切なる声が届くことを願うばかりです。

◆◆今月の栗田さん〜カフェをめぐる風景◆◆

 <日本におけるフランス年>の宣伝効果だろうか、日本では今、かつてないほどのフランスブームだとか。読者の方々からも「是非フランスに行ってみたい!」というお便りを時々いただく。今年の夏休みにフランスへの旅を計画している方も多いことだろう。美術館や大聖堂、有名レストランやブティック巡りなど見所は尽きないけれど、フランス人の日常の生活ぶりを覗いてみたいと思うなら、「カフェ」に行くのが一番だ。まずは、陽当たりの良いテラスのテーブルに座って、のんびりとビールでも飲みながら、往来を行き交う人々を眺めてみよう。立ち話に興じている買い物がえりのマダムたち。バゲット(フランスパン)を小脇に抱え、ベレー帽姿の典型的なフレンチスタイルのおじさんが目の前を通り過ぎてゆく。ジプシーの占い師が、カフェの客を目当てにテーブルの間を行き交う。人だかりの向こう側では、口から火を吹く大道芸人が拍手喝采を浴びている。洒落たショウウィンドウ、恋人達の会話、わがもの顔で歩く犬・・・。 古びた街並みを背景にして、そこには様々なシーンが繰り広げられているはずだ。
 <フレンチ・カフェ/ カフェという劇場空間>では、こうしたフランスのカフェの雰囲気をネット上でヴァーチャル体験できるサイト。例えば、人々の会話や街のざわめきなど、店内の混然とした音を RealAudioシステムで聞くことができるほか、写真と24時間中継のビデオ映像で、パリの有名なカフェを訪ね歩くこともできる。その他、ファッション・アート・音楽など、パリから届いた最新情報を連載したコーナーも充実。フランス好きの方には是非お勧めしたいサイトだ。

ランスのカフェの最大の特徴は「オープンスタイル」であること、つまり、外界に向かって開かれた空間であるという点にある。そこは必然的に、人とモノと情報が自由に行き交うトポスとなり、そこから思想の言葉や文化が生まれてくる。“19世紀フランスの文化は、カフェとキャバレーの文化である”とは、社会学者ピエール・Mラールの言。この言葉が示すとおり、カフェは西欧の大衆文化の成り立ちを語るうえで、欠かすことのできない重要なキーワードであることは確かだ。カフェがヨーロッパ史上に登場して以来、この特異な空間を舞台に、一体どれだけ多くの興味深いドラマが演じられたことだろう。今でこそ、最盛期のような活気は失われたものの、カフェはいつの時代も、その世相を映し出す「鏡」のような存在であることに変わりはない。では一体、カフェはいつどのようにして誕生したのだろうか・・・?

入りコーヒーでお馴染みのUCCが提供する<Cafe Cafe/コーヒーの歴史>によると、ヨーロッパ各国にアラビアからコーヒーがもたらされたのは17世紀。当時コーヒーは、二日酔いや痛風に効く特効薬として珍重されていたようで、コーヒー飲用の習慣は瞬く間に人々の間に広まった。東洋伝来のこの黒い飲み物を出す新しい店は、フランスでは「カフェ」、イギリスでは「コーヒーハウス」と呼ばれ、人々の憩いの場、時には議論の場として、その後の市民文化形成の重要な拠点となってゆく。
 <年表>をみると、フランスに現在のいわゆる純フレンチスタイルのカフェが登場したのは1689年、パリの「カフェ・ド・プロコ−ブ」がその元祖とされているようだ。それ以前は、異国趣味を強く出した東洋風のカフェが主流だったのだが、上流階級の人々には今ひとつ受け容れられにくかったらしい。そこで、創業者のフランソワ・プロコーブは、店内に絨毯を敷きつめ、大鏡やシャンデリアをあしらって、これまでの東洋風から一転してブルジョワ好みの豪華なカフェを開店したところ、これが大いに受けた。その後、このスタイルがフレンチカフェの定番となっていったようだ。
 時代の先端をゆく、モダンな社交の場として登場したカフェ。その斬新さもさることながら、当時多くの市民に受け容れられた最大の理由は、その伸びやかな気風にあったのだろう。宮廷を舞台に貴族文化が花開いたのとは別に、カフェという自由闊達な空間は、当時、絶対主義王政の圧力下にあった民衆の啓蒙の場として、重要な役割を果たしていた。「カフェ・ド・プロコ−ブ」の常連客の名前をみてみよう。ボルテール、ルソー、ティドロ、フォントネルなど、当時の知識人たちがこのカフェに足繁く通っていたようだ。彼らは、これまで貴族のサロンに独占されていた知識をカフェに集う民衆に開放し、人々の権威に対する批判的な見識を養成していった。18世紀の革命期には、マラー、ロベスピエール、ダントン等がコーヒーを飲みつつ激論を戦わせ、また、当時はまだ将校だったナポレオンもここでチェスに興じていたとか・・・。蒼々たる顔ぶれである。

て、もともとはコーヒーを飲ませる店として登場したカフェだが、やがてコーヒー以外にも、当時はまだ珍しかったアイスクリームや、ワインなどのアルコール類も供されるようになる。とりわけ、カフェ文化がリキュールの発展と普及に果たした役割は大きいようだ。<TAKAOKA 正太郎 BAR>の「リキュール」の項では、19世紀のカフェ文化とリキュールをめぐるエピソードが紹介されていて興味深い。それによると、革命以来、リキュール類はコーヒーには欠かすことのできない添え物として親しまれていたようだ。ナポレオン帝政時代、食後のコーヒーには2〜3種のリキュールを出すのが当たり前のようになっていたらしい。 コーヒーと甘いリキュールの組み合わせ・・・ 何とも優雅でエレガントな習慣ではないか!一度試してみる価値はありそうだ。
 また、当時のカフェで流行していたアルコールで、忘れてはならないのが「アブサント」と呼ばれるお酒。酒好きの方なら、名前くらいは聞いたことがあるかもしれない。ヨモギなどいくつかの薬草をブレンドした緑色のリキュールで、麻薬に似て常用性が高いため、現在は製造禁止となっている幻の酒だ。余談になるが、ランボーの伝記映画「太陽と月に背いて」の中で、デカプリオ扮するランボーが、猥雑としたカフェで、このアブサントを浴びるように飲むシーンが印象的だった。中毒になると幻覚や躁鬱の症状が生じるアブサントは、その危険な魅力ゆえに、当時のデカダンな詩人や芸術家に好まれたようだ。

フェをめぐって、これまで多くの興味深い物語が生まれ、そこからダイナミックな大衆文化が生み出されていった。その中心地は常にパリだったが、地方の小さな村々にある大衆カフェもまた情報発信源として、その地域の重要なコミュニケーション機能を担ってきたことを忘れてはならない。ところが最近、フランス人のカフェ離れがすすんでいるという。手元の資料によれば、フランス人の半数が年に一度もカフェに入らないというアンケート結果がでている。60年にフランス全土で二十万件あったカフェが、86年に八万件、そして現在は五万件にまで減ったというから、すさまじい激減ぶりである。悲しむべきかな、古き良き伝統を尊ぶフランス人気質は、ここでもまた、迅速でお手軽なアメリカ式消費システムの波によって蝕まれつつあるようだ。それに反するように、日本では今、オープンカフェ式の喫茶店やレストランが次々とオープンしている。さて、この「開かれた空間」から、どんな新しい日本のカフェ文化が生まれて来るのやら・・・ 期待しつつ、見守ることにしよう。

今回アクセスしたページ


日本におけるフランス年
(http://www.franceyear.or.jp/)
フレンチカフェ『パリより愛をこめて』
(http://www.wnn.or.jp/wnn-france/index.html)
Ucc Cafe Cafe
(http://www.ucc.co.jp/index.html)
TAKAOKA 正太郎 BAR
(http://www2m.biglobe.ne.jp/~shotaro/index.html)


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