WebMag logo

 今月の宮内さん

語りの記録


        人の人生はなぜおもしろいのだろう?

        は物語を消費し再生していく動物だとすれば、その物語がいちばん輝くのは、他人の物語と自分の物語が交差しスパークするときだ。だから他人の人生はおもしろい。

         WWWが日本で立ち上がり始めたころ、日記のページというのが妙な人気を博していた。まだプロバイダというものもほとんどなかったころだ。日本語のサイトが極端に少なくて、あるページはなんでも読んでみよう、という風潮も合ったが、他人の日記を読む喜びもあったはずだ。
         沖縄・宮古島の隣に池間島という小さな島がある。この島でおじいさん、おばあさんたちの聞き取りを始めたとき、私はびっくりした。戦前、南洋群島(ミクロネシア)で生活していた、ボルネオで生活していた、という人たちが、この小さな島の中にひしめいている。「国際化」などという言葉もなかったころから“国際的”に生きてきた彼、彼女たちなのである。
         こんなおもしろい話ならとっくの昔に誰かが活字にしているだろう、と私は最初思ったのだが、あにはからんや、全然ないのである。それでは自分が、と現在、細々と彼らの聞き書きをしている。どう発表するかはまだ考えていない。とにかく今聞いておかなければ、という思いなのだ。
         地方の郷土誌などで、おばあちゃんの体験談みたいなものが時々載っている。日本では小中学校が地域と密着しているので、小中学校レベルでそうした聞き書きを行って、冊子を発行している場合が多かったりする。しかし、残念ながらそうしたものはこれまで限定された人々しか目にすることができなかった。一般の流通に乗らないからである。もったいない話だ。
         実はこうしたものこそ、本来インターネットが活躍しうる分野だと思う。

         たとえば四国は四万十川上流に棲む山師・有田光照さん(<かわうそ村創造物語>)。「道路が整備される前はね、多少は不便さはあったけんど、山の仕事を終えるとみんなでよく焼酎を飲んで一日の疲れを癒したもんよ」。「だけどんどね、いろいろな山へ行くろう、そうすっと以前に手入れした山に必ず出会う。山を見ると、仲間とけんかした事とか、大勢でにぎやかやったよなあとか、いろいろな思い出が蘇ってくるんよ」。
         長崎県鹿町町の大工・左官ら9人の聞き書きを載せた<鹿町職人録1>で、木製建具職人の大八木文生さんは語る。「サラリーマンをしている友達の羽振りのいい話を聞くときはくやしかったが、とにかく、三年、三年とがまんして、一生懸命に仕事を覚えた。このしんぼうができたから、今の自分があると思っている。(中略)今のところ、跡取りも弟子もいない。鹿町の建具屋は 自分一代で終わりかな。それがちょっと寂しい」。
         体験談といえば、戦争体験を抜かすわけにはいかない。<DanaHouse平和の広場>は、さいたまコープ・しらさぎ会の人たちが聞き書きした被爆体験を載せている。故寺尾武治さんの原爆体験は、最初大分のパソコン通信COARAに載せられ、次にホームページ上に載せられた(<原子爆弾による被爆の話>)。「忘れたい思い出、嬉しくない嫌な思い出ですが、今年も8月6日が近付きましたので、これが最後と思い3回に分け書き込みします」で始まるこの体験談は、寺尾さんが生前奥さんにも語らなかった“遺言”である。英語版もあり、海外からも反響があった。
         阪神大震災を経験した生徒たち自らの記録も、神戸印刷若人会ホームページの<阪神淡路大震災兵庫県下児童作文集・ドッカンぐらぐら>などにある。
         外国でも人々の生活の記録、語りの記録(oral history)を残そうという動きがあちこちにある。たとえば、アメリカのミスティック・シーポート博物館(コネティカット州)では、沿岸漁民たちの漁業の記録を残そうとしている(<Stonington Fishing Oral History Project>)。

         語らなければ、あるいは、誰かが聞き書きしなければ、歴史の彼方に埋もれてしまう。そして、権力者の歴史だけが残ることになる。
         もっともっと、市井の人びとの生きてきた記録が残ってもいいのではないか。インターネットはそのための有効な媒体となりうるはずだ。自分の会社が潰れるまでの臨場感あふれる記録<会社潰れてしもたがな>(これ、むちゃくちゃ面白い)のような、筆力のある記録や聞き書きよ、もっと出てこい。