WebMag logo




祭り

秋は祭りの季節。日本各地で個性あふれるさまざまなお祭りが催されます。お祭り見物をかねた旅にいい季節かもしれません。と言っても、日本はけっこう広く、お祭りも多種多様であまり知られていないものも沢山あります。まずは、WebMagでお祭りの旅に出かけましょう。

▼飛騨高山の秋祭り

今は一年の中でもお祭りの多い時期。全国の祭りを開催月ごとに分類した<日本のお祭りリスト'97年版>でも、9月や11月にくらべて、10月はたくさんのお祭りが掲載されています。もともとは旧暦の9月、稲の刈上げの時期であったことから、この時期に豊年の収穫を祝う秋祭りが行われるようになりました。全国各地の神社では、今ちょうど秋の例祭が行われています。そこで、10月のお祭りのサイトを訪ねましょう。
 岐阜県の飛騨地方にある高山市は<高山祭り>で全国的に知られています。「日本三大美祭」の一つに数えられるこのお祭りは、春の山王祭りと秋の八幡祭りから成り、秋の八幡祭りは毎年この時期、10月にとり行われています。
 高山祭りで有名なのが、華麗な屋台の曳き揃えと祭行列です。お囃子やからくり人形を載せた屋台が曳き出され、神輿や獅子舞などからなる行列が町を練り歩きます。
 春には12基、秋には11基の屋台が曳き出されますが、そのいずれもが彫刻や装飾に贅を凝らしたもので、国の重要有形文化財にも指定されています。夜ともなれば屋台の提灯に明かりが入り、昼間とはまた別の幻想的な美しさを醸し出します。
 こうした屋台は各地のお祭りに見られますが、その呼び方は「山車(だし)」「だんじり」「山鉾(やまほこ)」「山笠」など、土地土地によって異なります。山車は祭りに際して神がよりつく「依り代(よりしろ)」としての神聖な意味を持っているとともに、その山車の属する町や組の経済力、団結力を象徴するものでもありました。高山祭りにおける見事な屋台も、その美しさをそれぞれの組が互いに競い合った結果として生まれたものだといわれています。

▼からつくんちの曵山(ひきやま)

年11月に行われる佐賀県唐津市の唐津神社の秋季例大祭、通称<からつくんち>では、「曳山(ひきやま)」と呼ばれる独特の山車が出現します。曳山は、獅子や兜、龍や鯛など、縁起の良い事物をかたどった巨大な屋台で、木組みの本体の上に和紙を数百枚貼り重ね、さらにその上に漆や金銀を施した「漆の一閑張」という技法で作られています。現存する14台の曳山は、幕末から明治にかけて、唐津の各町がそれぞれ莫大な費用を投じて作ったもので、いずれもが個性的な造形を誇っています。
 それぞれの曳山の詳細な説明を読むと、刀町の赤獅子、中町の青獅子をはじめ、一つ一つの曳山には、曳山を作り、またそれを受け継いできた人々の物語が秘められていることがわかります。曳山と町との結びつきは、曳山塗り替えの記録をたどれば、それがそのまま町の歴史になるというくらい強いものであり、その曳山を、町ごとに異なる法被(はっぴ)に身を包んだ曳き子が曳くその姿は、「この神祭りの御神幸に参加することが唐津人の誇りであり、生きている証でもあったのだ」という言葉を裏づけるものです。

▼ねぶた祭り----ねぶたと囃子と跳人(はねと)

江差町「姥神大神宮渡御祭」「江差っ子の憧れ」より
のように各組・各町がそれぞれの屋台を曳き回して競い合うという形式は、祭りの基本形のひとつのようで、秋祭りに限らず、様々な祭りの中に見て取ることができます。
 東北・青森の夏を彩る<ねぶたまつり>も、そうした祭りの一つです。ねぶたの由来については諸説がありますが、元来は燈籠を竿に付けて町を練り歩き、それを川や海に流す「ねむり流し」の行事に発するというのが有力です。収穫の秋を前にして、眠気を防ぐことが目的で、「眠い」の津軽弁「ねんぷて」が転じて「ねぶた」となったと言われます。その点、京都の祇園祭の影響が大きい高山祭りや唐津くんちの屋台とは別の系統と言えるでしょう。
 ねぶたは木材や針金で作った骨組みの中に電球を仕込み、それを紙で覆って絵柄を描いたもので、題材は歌舞伎や歴史物語の名場面などから選ばれます。ねぶたは毎年新たに作られるため、今年のねぶたが終わればすぐに来年のねぶたの準備が始まるというように、構想から完成までには、それこそ1年ちかい期間が費やされます。
 今年は全部で24台のねぶたが「出陣」しました。ねぶたが市中を運行する様子はテレビや新聞などでもおなじみですが、その設計図ともいえる「ねぶた絵」を一覧すると、それぞれのねぶたの主題の多様さや、ねぶた絵を描く「ねぶた師」による表現の違いといった点にまで興味が沸いてきます。なにより、それぞれのねぶた絵の人物達が見せる劇的なポーズと鮮やかな色彩は、ねぶたの勇壮さをストレートに伝えてくれます。

のねぶたの周りで跳人(はねと)と呼ばれる踊り手たちが、囃子やラッセーラーラッセーラーというかけ声に合わせてとび跳ねるように踊ります。1台のねぶたに約3千人というとんでもない数の人が跳人として踊るので、大変な熱気になります。青森のねぶた祭の「はやし」のページのねぶたばやしを聞いてみれば、その熱気が少しは伝わってきます。このすごい盛り上がりは、北国の人たちが短い夏を惜しむ気持ちの現れなのでしょうか。祭りを見ると、その土地の人たちの気質がよくわかってくるようです。
 同じ青森県でも、場所が変われば祭りの様子も変わってきます。前川道博さんによる<マッピング津軽>では、黒石ねぷたや弘前ねぷたの様子が、豊富な写真で紹介されています。その由来は青森ねぶたと共通ですが、黒石や弘前では「ねぷた」と呼ばれ、その形態も、青森では人形なのに対し、弘前では扇型、黒石では両者が混在しています。
 黒石のねぷたでは、そのかけ声や囃子の音声を聞くことができ、青森とだいぶ調子が違うことがわかります。また、Quick Timeムービーで、太鼓やかけ声にあわせた扇ねぷたのダイナミックな動きを見ることもできます。
 秋田の<竿燈祭り>も、ねぶた(ねぷた)祭りと同様「ねむり流し」に由来すると言われています。
竿燈は竹竿に数多くの提灯を吊ったもので、それを手や額、肩、腰などで支えながら、提灯の明かりを消さないように市中を練り歩くという、強い力と高度な技が必要とされる祭りです。提灯にはそれぞれの町内の紋章である「町紋」が描かれていて、巧みな意匠を競い合うかのようです。

▼江差の姥神大神宮渡御祭-----老若幼がともにつくる祭り

江差町「姥神大神宮渡御祭」「江差っ子の憧れ」より
き生きとした力をもっている祭りの多くは、その地域の老若幼の各世代の人たちがその年齢に応じた役割を担い、皆が力をあわせて祭りをつくりあげていく仕組みをもっているのではないでしょうか。そうすると小さなうちから祭りに加わり、毎年、祭りに参加するごとに、関わりも深くなっていきます。その様子がよくわかるのが、北海道の江差町で、毎年8月に開かれる<姥神大神宮渡御祭>です。このお祭りは、今から約350年前にニシンの大漁を神に感謝したのが始まりとされる長い歴史を持っており、神輿に各町を代表する山車(やま)が供奉して練り歩くという形式をとっています。
 この祭りで大きな役割を担っているのが町の子供たちです。子供のお祭りへの参加は、まずは山車の引手として祭りに参加することから始まり、小学校の3〜4年からは山車の上で太鼓を叩くことができるようになります。さらに太鼓の経験を積むと、今度は笛を持つことが許されるようになります。子供たちはそれぞれの町内会に分かれ、自分たちの山車に伝わるお囃子を、厳しい練習を通して身につけていきます。
 山車の上部で電線から山車を守る「線取り」は、中学・高校生の仕事。常に山車に乗ることのできる彼らは、子供たちの憧れでもあります。さらに大人になってからも、「舵取り」「世話方」「頭取」など、経験や能力に応じた様々な役割がお祭りの進行を支えています。このような年齢に応じた役割分担の仕組みによって、お祭りは世代から世代へと確実に受け継がれて行きます。
 普段は1万1千人の江差町の人口が、お祭りの期間中は帰省した出身者などで6万人に膨れ上がるのも、江差で子供時代を過ごした人々の心の中に、このお祭りが生き続けているからに他なりません。

▼田野畑高校の菅窪鹿踊・剣舞-----地域の芸能を全国大会へ

りとも関係の深い、地域の伝統芸能の場合にも、次代の担い手となる若者たちにどう受けとめられるかが、大きな問題になります。そういう意味で大変、興味ふかいのが、岩手県下閉伊郡田野畑村の「菅窪鹿踊・剣舞」の例です。
 <岩手県立岩泉高等学校田野畑校>は、全校生徒が106名という小さな学校ですが、村に伝わる郷土芸能「菅窪鹿踊・剣舞」の伝承活動に学校をあげて取り組んでいます。菅窪鹿踊・剣舞は、鎌倉時代に畠山氏が鹿島神宮から習い伝えた鹿踊と、江戸時代の念仏剣舞とが結びついたもので、岩手県の無形民俗文化財にも指定されています。田野畑高校では、この伝承活動が20年以上にわたって続けられ、1993年度からは県の高校総合文化祭をめざして「踊組」という委員会組織を結成、95年度の全国高校総合文化祭では郷土芸能部門で文部大臣奨励賞を受賞しました。
 踊組のメンバーの日記には、全国高校総合文化祭をめざす練習の時期から受賞後、国立劇場での公演までの様子が記されています。これを読むと、過疎化が進む地域で伝統芸能がどんな役割を果たしうるかがわかってきます。地域の人たちが代々伝えてきた芸能を学んだ高校生たちが、全国大会で入賞しそうだということになれば、みんなが夢中で応援するのも当然です。新潟での全国大会の時には、全校生徒が応援に行ったので、この小さな高校が最大多数だったというのも、ほほえましい話です。
 田野畑村では菅窪鹿踊・剣舞が、地域の大人たちと若者たちを結びつける、大事な仲立ちになり、地域の誇りになっていることがよくわかります。

▼隠岐島の古代的な芸能と幼い舞手

こうしてインターネットでのお祭りの旅をしているうちに、隠岐島に古代芸能の面影をのこすとても珍しい芸能が伝えられていることを知りました。島根県隠岐郡の西郷町池田地区にある隠岐国分寺で、弘法大師の正忌にあたる毎年4月21日に奉納される、<蓮華会舞>と呼ばれる舞楽です。蓮華会舞(れんげえまい)は、奈良時代から平安時代にかけて大陸から渡来した唐楽などの影響を受け隠岐で発展した舞楽で、現代的な演出が加えられることなく、古式をそのままに伝えている点に特色があります。そして、この芸能の紹介の中にも、幼い舞手の話が出てきます。
 演目の一つ「仏の舞」の舞手を務めることになったのは、小学生になるかならないかの男の子。初舞台を前に、特訓が続けられます。大人たちは、かつて自分たちが習ったと同じように、手取り足取りで子供に舞の手ほどきをし、子供たちは、大人の体の動きを自分の体に写し取るようにして、舞を身につけていきます。はじめての舞手も、幼い時からこの芸能を見たり、聞いたりして育っているので、飲み込みが早いのだそうです。
 「麦焼き舞」という演目を6年間舞ってきた中学生も、役の交代を前にして後輩の指導に余念がありません。今の彼の目標は、父親が舞手を務める「竜王の舞」を大人になったら自分が舞うこと。親から子へ、蓮華会舞は地域の住民が一体となって支える中で、その長い歴史をさらに継続させていくことでしょう。

 この他にも、お祭りに関するサイトはインターネット上にたくさんあります。<日本の祭り>、<お祭り入門>、<祭りのくに>は、いずれもお祭りに関する情報を総合的に扱っているサイトで、リンクも充実しています。好みのお祭りを探してみてはどうでしょうか。

文中で紹介したホームページ