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20世紀の形成

さまざまな分野の歴史的な変化というのは、かならずしも連続的に少しずつ起きるものではなく、ある時期に、時代の地殻変動が起き、その時期にさまざまな分野での急激な変化がドット起きるようです。そして、そうした地殻変動の前には、その予兆といえるような変化の芽があちこちで出ているのです。もう少し時間がたってみないとはっきりしたことはわかりませんが、1990年代はそういう大きな変動の前段にあたる時期なのかもしれません。私たちがその渦の中に突入しているらしい大きな構造転換については、その意味を大きな脈絡から考えるのは容易ではありません。まず、20世紀という時代がどのような時代で、それがどのようにして形づくられたのかを考えてみるのがいいではないでしょうか。そこで、今回の特集では、20世紀的なものの形成について、インターネット上のサイトを手がかりに探ってみることにしましょう。

▼20世紀的なものの発芽-----19世紀末から20世紀初頭

20世紀の各分野の歴史を振り返ってみると、20世紀的なものが形づくられ、それが開花する地殻変動は第1次世界大戦から1920年代におきていると言えそうです。その前段になるなるような動きが、19世紀の末から20世紀はじめに各分野ではじまっています。

CHIRONCLEのページある出来事を中心に19世紀末の発見と発明および思想史、美術史の動きを概観してみましょう。
アメリカでは1876年にベルが電話を発明し、翌年の77年にはエジソンが蓄音機を発明し、79年には炭素フィラメントの白熱電球の実験に成功しいます。ドイツでは1885年にはダイムラーとベンツが同時にガソリンエンジンで動く自動車の発明を行ない、1897年にはカールブラウンがブラウン管を発明しました。フランスでは1895年にリュミエール兄弟によって、現在の映画の原型となるシネマトグラフが発明されています。そして新しい世紀を予兆するように、H.Gウェルズが「タイムマシン」と「透明人間」を発表したのは1894年のことでした。こうして、迎えた20世紀、1903年にライト兄弟が飛行機の初飛行に成功し、1905年にはアインシュタインが「特殊相対性理論」を発見します。このように19世紀末から20世紀の初頭にかけては、20世紀の大きな産業発展の核となっていった技術の発明や画期的な発見が目白押しであることがわかります。また、20世紀のヨーロッパの政治的、思想的な危機を予言した思想家と言えるフリードリッヒ・ニーチェは1885年に「ツァラトゥストラはかく語りき」の第四部を書き、その後1989年には精神の異常をきたしてしまいます。(19世紀末から20世紀のヨーロッパの思想の歴史については、Steven Kreis "Europe in the 20th Century---The Crisis of the Mordern Age"に詳しい考察があります。 )
美術の世界では、1980年代後半から20世紀はじめにかけて、セザンヌがセント・ヴィクトワール山などを繰り返し描き、視覚の根源的な探究を重ねています。このセザンヌの試みは印象派を脱して、20世紀のさまざまな前衛的な美術運動を準備する性格をもっていたと言えるでしょう。

▼20世紀機械文明の形成

イムラーとベンツが開発した自動車がその後20世紀の主要な交通手段として普及したのは、小型のガソリン・エンジンの開発に成功したためです。このガソリン・エンジンは、蒸気機関(スティーム・エンジン)に替わる内燃機関として開発されたのだそうです。つまり19世紀末まで工場の機械を動かすのに使われいた工業的な動力は蒸気機関であり、交通手段として使われていた機械といえば蒸気機関車だったのです。鉄道以外の所は馬車が走っていた。工場や家庭のエネルギーとして電力が普及しはじめたのも1880年代からで、まだ100年ちょっとの歴史しかない訳です。こうしたことを想起すると、19世紀末からはじまった技術開発とその浸透がひきおこした、生産と生活の変化の急激さがわかってきます。つまり、20世紀のはっきりした特徴のひとつは、自動車、飛行機、電車の普及により移動の高速化がおき、生活のテンポが目立って速くなったこと、工場と家庭の電化により、著しい生産性の上昇、家事の簡便化が進んだことだと言っていいでしょう。こうした20世紀的な機械文明を代表するもののひとつである、ガソリン・エンジンの自動車が普及する過程をたどってみることにします。

ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン〔レプリカ〕(1886年・ドイツ)
世界最初のベンツのガソリンエンジン車 トヨタ博物館より
▼自動車技術の開拓時代

動車への人々の関心を集め、また実用に耐えるものになるような技術的な改良を促す上で大きな役割を果たしたのは、自動車レースだったのです。1894年には世界初と言われる「パリ・ルーアン・トライアル」という自動車の競争レースが催されています。初期のレースには、ガソリン車と蒸気車と電気自動車が参加していますが、次第にスピードを競うという点での、ガソリン車の優位がはっきりしていきます。(しかし、年表トヨタ博物館のパイオニアの時代をみるとわかるように、20世紀初頭にも電気自動車や蒸気車が生産されています。)
こうした自動車レースに促されて、自動車の技術はフランスを中心に急速に進歩していきます。自動車技術についてのすぐれたアイデアは、19世紀末から20世紀初頭にいっきょに噴出しいて、20世紀後半になって新規技術として売り出されたものも多くもこの頃すでに考えられていたものだ言われます(折口透「自動車の世紀」岩波新書)。
ヨーロッパでは、この時代に現在に名を残す技術者が登場しています。1904年のイギリスでは技術者フレデリック・ヘンリー・ロイスと外国車販売業を営む貴族のチャールズ・スチュアート・ロイスが組んで産まれた「ロールス・ロイス」。ドイツでは、のちに「かぶと虫」の名で世界的に親しまれるフォルクス・ワーゲン。さらに、現在でも揺るぎない評価を持つスポーツカーの911を開発する電気技師フェルディナント・ポルシェが前輪に電気モータを組み込んだ「ローネル・ポルシェ」を開発しています。ポルシェのこの電気自動車の技術は環境や地球資源の問題から、最近再び注目されるようになっています。

Rolls-Royce 40/50HP Silver Ghost (1910, U.K.)
ロールスロイスシルバーゴースト トヨタ博物館より
▼自動車の量産化時代

かし、技術的には大きな発展をし続ける自動車でしたがその価格となると高価で、大衆の足となるような商品ではありませんでした。クルマが現在のように誰でもが使える大衆の交通手段となるのは、海を渡ったアメリカにおいてでした。ヘンリー・フォード1908年に「軽く、丈夫、そして取り扱いが簡単」というコンセプトで作った「T型フォード」を発売しました。この自動車は世界で初めて大量生産によるコストダウンに成功した自動車で発売された翌年は1万4千台弱だったのですが、以後、順調に売れ続け16年後の1924年には200万台近くを販売しています。
こうして「量産・大衆化の実現からモータリゼーションの進展へ」にあるように、アメリカでは自動車市場の多様化が起き、1920年代の大衆消費社会がつくりだされていきます。

フォード・モデルT (1909年・アメリカ)
フォードT型モデル トヨタ博物館より
▼映画的な表現の確立

ランスのリュミエール兄弟は、シネマトグラフとよばれる方式に映画の有料の上映会を1895年からはじめ、興行的な成功をおさめています。2年後の1897年には、日本でも「フランスから到来した最新発明品」として興業が行われ話題をよんだものの、長続きはしませんでした。このシネマトグラフがどんなものだったかは、「リュミエール動画の衝撃から100年」で知ることができます。
しかし、CINEMA HISTORY---Films from the Silent Era に書かれているように、リュミエール兄弟のシネマトグラフは映画のハードウェア面での基礎をつくりましたが、映画的な表現の誕生ということになると、1915年のグリフィスの「国民の創生」まで20年間の時間がかかりました。映画的な表現の発見の過程で何が必要だったかを理解するのは、その後につくれらた映画を当然のように見て育ってきた私たちにとっては、かえって難しくなっています。
動画の技術は、出来事をありのままに記録できる所がすぐれていると当初考えられていました。しかし、フィルムの編集の効果を知るとともに、映画はフィルムの結びつけ方しだいで、写されたこととはまるで違ったリアリティを生み出せることがわかってきます。「国民の創生」に至る過程でグリフィスが見いだしたのは、こうしたフィルムの編集によるストリーテリングなのです。エイゼンシュタインは、フィルム編集の考え方をモンタージュ理論として提示しましたが、この方法は1925年の「戦艦ポチョムキン」でもっとも成果をあげています。(モンタージュについては、小林祐子さんの具体的なレポートがあります。)
こうした映画的な表現が見いださせるとともに、映画の大衆的な娯楽産業として可能性、芸術的な表現の可能性、その両方の見通しが大きく開けてきたのです。そして、1920年代のアメリカでは、ハリウッドの映画産業が大きな成長をとげ、大衆消費文化のひとつの柱となっていきます。

▼モダンアートの形成-----写実性と異なるリアリティの探究

画においても、19世紀末から20世紀初頭にかけてそれまでの枠組みの解体が起き、第1次大戦〜20年代にさまざまな斬新な美術運動の形で創造的なエネルギーが爆発的に発揮され、20世紀的な表現がつくり出されます。
大づかみに言えば19世紀の絵画は目に見えたものを描く「写実主義」だったのですが、「写実主義」は「印象派」によってピークを迎え、1980年代半ばからのセザンヌの徹底的な探究を通じて「写実主義」とちがった新たなリアリティを追究する動きが生まれてきます。
1905年前後のマティスをはじめとする「フォービズム」の時期を経て、ピカソ等の「キュビズム」、ダリマグリット、デルボー、ミロ等の「シュルレアリスム」、クレーカンディンスキー等の「抽象絵画」といった前衛的な絵画運動が、1910年〜20年代に華々しく展開します。
これらの流れは、それぞれ異なる理念をもっていましたが、視覚の構成要素を解体し、それらを再構成し、「写実主義」とはちがったリアリティをつくりだす方法を見いだそうとする点は共通していました。つまり、確固としたひとつのリアリティがあるという信仰が崩れ、それとは違ったさまざまなリアリティが追究されるようになっている点に20世紀的な表現の特徴があるのでしょう。これは、19世紀末からの急激な技術発展によって都市生活の変化のテンポが速くなり、都市生活者のアイデンティティも不安定になったことと対応していると思われます。
また、20世紀的な絵画表現と映画的な表現の間には、大事な共通点があるといえそうです。
両方とも、構成要素を分解し再構成する仕方によって、見たままのことを再現しようとした時とは違ったリアリティが生みだされる点が鍵になっているからです。

▼21世紀的なものの形成に向かって

上でたどって見たように、19世紀末から20世紀初頭に20世紀的なものが各分野で発芽し、第1次大戦から1920年代にかけて、それぞれが華々しく開花しています。この間の時期が、急速な変化の時代であり、創造的なエネルギーが激しく噴出した時代であると言えます。日本でもこの時期に、大正デモクラシーと呼ばれた明るい時代を経験しています。
しかし、1929年に始まる世界大恐慌によって、20年代のアメリカを中心とした繁栄は崩壊し、世界は大量失業とデフレーションに脅かされます。その下でナチスをはじめとするファシズムが台頭し、第2次大戦へと突入していきます。
第2次大戦後の時代は、東西の冷戦の恐怖の均衡と、大恐慌の教訓に学んだIMF-GATT体制によって世界戦争や大きな経済的な破綻が避けられ、各国の経済成長が維持されました。しかし、どちらかと言うとこの時期は、20年代まで達成された創造的な成果をもとにした、量的な拡大の時代という性格が強いと言えるでしょう。

 そして、1989年のベルリンの壁の崩壊とともに、世界は再び大きな地殻変動の時期に向かいはじめているようです。21世紀的なものを形づくる地殻変動がどのような性格のものなのか、まだ判断は難しいですが、変化の方向を考えるためのいくつかの基本軸は明かになりつつあります。
ひとつは、インターネットに代表されるコンピータ・ネットワークの浸透。もうひとつは、地球的な環境問題の深刻化にともなう技術開発の方向の転換。さらには、経済や文化のボーダーレス化です。

皆さんは、21世紀はどういう時代になると思われますか。

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