WebMag logo

 




Iターン/脱都会の暮らし

 「あーぁ、都会の雑踏を逃れて田舎でのんびり暮らしたい!」
 こんにちは!みどりです。皆さんはそう思ったことがありませんか?みどりがそんなつぶやきを漏らすのは、きまって残業続きのオフィスで迎える夜10時過ぎ・・・。

 そんなとき、WebMag編集部に1通のメールが届きした。第4号の特集<サンゴ礁の海>に登場した<ハコフグネット>の作者・小椋武史さんが、昨年6月に大阪から石垣島に移住したというのです。
 「わーお!移住だなんて、ダイターン!」
 メールでその動機を尋ねれば、「沖縄の海を身近にしてこそ、魚とサンゴ礁のことを理解できると考え移住を決心しました」とのこと。大阪での22年にわたるサラリーマン生活。何かを十分に成し遂げたという充実感を感じた小椋さんは、一方で都会の生活に飽き飽きし、65才までに残された20年間で次のことをやろう!と思ったそうです。
 「ひゃぁぁ、そんな人生の選択もあるんだぁ!」。まだまだ人生経験の浅いみどりのこと。冒頭の深夜のつぶやきを実際に実行しちゃってる人が身近に現れてちょっと興奮!早速、同じ様な経験を持つ人が情報を発信しているサイトはないものかと、興味津々でインターネットにアクセスしてみると・・・

▼都会を離れて山村・離島で暮らしたい

刊 地域づくり>102号(1997.12)特集・UJIターンの<新たな局面を迎えた過疎問題>によれば、大都市圏で生まれ育った人たちが地方圏へ移住する、いわゆる「Iターン」志向の都市生活者は多いみたいだ。しかも地方都市へのIターンだけなく、過疎化が著しい町村へのIターン志向も高い。これってもしかして、人々の価値観や考え方の流れが大きく変わりつつある、何かの兆候なのかも!?
 でも、いくら自然があるところでの生活に憧れているとしても、都会での生活に慣れた人たちが山村や離島にIターンするのは、ものすごく大きな環境の変化と色々な困難を伴うはず。Iターンは、自分が育った所に戻るUターンと違って飛躍をともなう。それでも山村や離島での暮らしを決断する人が増えているというのは、どういうことなんだろう?そして移住した人たちの生活や気持ちには、都会暮らしの時と較べてどんな変化がおきるのだろうか?うーん、ますます興味が沸いてきたぞっ。

▼漠然とした願望から決断へ

会を離れて暮らせないか?という漠然とした願望が、はっきりした決断に変わるまでには色々な要素の積み重なりがあるようだ。
 <Alpine Home Design>の谷口一也さんは、東京の目黒区にある便利な立地のマンションで暮らしていたけれど、排ガスや騒音で窓も開けられずエアコンをつけっぱなしの生活は不健康だったと振り返っている。仕事そのものに不満はなかったものの、「混雑した繁華街を毎日通るコースに日々ウンザリしていた」ころ、ログハウスメーカーの求人情報を見て転職。今では八ヶ岳の麓に家を建て、健康的に住める建物造りを目指す住宅メーカー「Alpine Home Design」の代表だ。
 日々募る都会暮らしへの不満・・・。わかるなぁ。きっかけは様々だけれど、長い時間、都会での暮らしに疑問や不満を持っていた人は多いようだ。東京を離れ新潟の人口8,500人の海辺の町<新潟県紫雲寺町>に移住した<NorthLand−手造りの我が家>の高杉州二さん一家は、大のアウトドア派。東京で生まれ育った高杉さんは、とりわけ自然志向が強く毎週末のように山や海へ出かける生活を長く続けていた。40代になると脱都会志向はさらに高まったという。決断を促したのは、娘さんの誕生。「なんとしても、より良い生活環境の中で子育てをしたかった」と書いている。
 また、<北の大地に移り住む>の<移住体験記(2)>に登場する近藤徹さんも、喘息持ちの長男(小学五年生)と、不登校になってしまった長女(小三年生)を育てる環境を大自然の中に求めたことが、東京から北海道に移り住むきっかけだった。
 「では、どこに住むのか?」・・・Iターンの第一歩は、それぞれが思い描いた環境が一体どこにあるのかを探すところから始まる。

▼意外にタイヘンな家探し

こに住もうか?」と考えたとき、都会では満足な家に住めない、ましてや買うことなんて!と絶望し、ではどこなら予算内で満足な家に住めるのか?を調べていくうちに山村や離島が候補地として浮かんでくる・・・というパターンもあるようだ。「過疎化している町村なら住む所をみつけるのが簡単そう」と感じるかも知れないが、しかしこれが意外にそうではないらしい。
 <新たな局面を迎えた過疎問題>によると、過疎の町村には家の建っていない、田畑、林野など広大な空間が広がっているが、農地を買って家を建てようとしても、現行の法制度の下では、普通は家は建てられないのだそうだ。また、林野にしても、自然村のようなところは谷あいに形成されているので、地形上、家を建てるのは困難。一方、明日にでも住み込めるような立派な空き家も数多くあるが、お盆やお正月、お彼岸に帰省する家もあり、めったなことでは貸してもくれないし、ましてや売ってくれないというのだ。
そういえば、みどりも時折「歳をとった時に落ち着いて住める自分の家が欲しいなぁ」と思うことがあって、そんな時はきまって「田舎のほうに行けばなんとかなるや!」なーんて脳天気に考えてたけど、あちゃー、そんな状況だったとは。認識が甘かった。でも町村によっては、Iターン者向けの住宅供給に取り組んでいる自治体もあるらしい。どうやら住む場所探しは、過疎化対策などでIターン者の移住を促進している自治体にあたるのが良い方法みたいだ。
 <NorthLand−手造りの我が家>の高杉さんは、当初は古い民家を買い取り、自分で手直しして住むつもりで関東圏内で物件をさがしていたそうだ。ところが時代はちょうどバブル期。週末を別荘で過ごすような「田舎暮らし志向」がブームの様相を帯びていたこともあって、「山奥の物件さえ驚くほどの高値で、とても手持ちの資金では買えなかった」と言う。そこで、高杉さんは奥さんの出身地である新潟行きを決意。奥さんの実家から近い北蒲原郡の市町村長宛てに、移住に対する思いと希望を書き綴った手紙を送ったそうだ。そうして得た好意的な返事と具体的な物件の紹介の中から、移住を決意して3年目、ようやく望んでいた物件に出会う。その後、さらに3年の歳月をかけて、延床面積50坪の家を自らの手で完成させた。
「朝の情景」今ド田舎では より

 <この人と1週間−田舎暮らし日記>に登場する歌野敬さんは、就職情報会社の取締役を務めた後、1986年から五島列島・有川町で自給自足を原則とする生活を始めた。候補地探しを始めた時には九州を中心とする250町村に、やはり照会状を出したという。返事がきた約60町村は、どこも過疎化に悩み、転入を歓迎していて、そのなかの約30町村に足を運び「その気になればどこでも住めそうだな」という印象を得たという。

▼やっぱり気になる仕事と収入

れにしても気になるのは、仕事と収入の面だ。山村や離島では仕事の選択肢が少なそうだし、所得が減るのも当然覚悟をしておかなきゃならなそうだ。それに、ひょっとすると、全く別のジャンルでイチから出直し・・・ってことだってあり得る。
 <こぶしの森通信>の平田知之さんは、東京でコンピュータエンジニアをしていた。キャリアを活かして独立し、八ヶ岳の南麓に家を構えてからは東京と往復する生活を経て、やがてパソコン関連の本を執筆する仕事を選んで完全な移住を実現させている。
一方で、それまでの仕事とは全く異なる仕事、しかも山村ならではの仕事を選んだ人もいる。<WOOD LAND>の青木さんは、林業を選択。森林作業員見習いとなる前は、お客さんのダイバーを水中で案内する仕事をパラオでしていた。林業関係の仕事に目がいったのは、たまたま実家が山林を持っていたのが理由のひとつのようだ。林業はきつい仕事だと言われているが、スキューバダイビングの案内の仕事もかなりの重労働だったという。林業は就労者の高齢化が進み、Iターンの人たちを受け入れて体質改善をはかっていく大きな過渡期にある。青木さんは、変わり目にある林業の姿をクールな視点で描写している。
 <NorthLand−手造りの我が家>の高杉さんは移住してから、植物採集や押し花絵、リース作りを教えるうちに、自宅に希望者を集めて教室を開くようになった。つるで編んだカゴや小物から家具、スモークサーモンなども手造りしていて、これらの作品を毎年11月に1週間だけ自宅を開放して行う「オープンハウス」で展示即売しているそうだ。「ライフスタイルが自然な形で仕事になってしまった」と書いている。
 いろいろな人の体験を読んでみるうちに、都会での暮らしと山村や離島での暮らしを比較するのに、所得を較べてもあまり意味がないことがわかってきた。
 極端(!?)な例もある。<この人と1週間−田舎暮らし日記>の歌野さんは「自給自足」を原則とする生活を送るため、畑に野菜をつくっている。別に売るわけではなく、家族が食べる分だけをつくるのには、平均で1日2時間も働かないというから、これにはもうビックリ!とはいえ、長女への仕送りや電話代など月に12万円程度の現金も必要で、このお金は、月に4、5日ハムづくりをして得ている。サラリーマン時代には年収一千万円を超えていたというから、その年収の落差は半端じゃない。
 うーむ、都会から山村や離島へ。やはり得るものがあれば、失うものもあるんだなぁ。では一体、移住した人たちの生活や気持ちには、都会暮らしの時と較べてどんな変化がおきているのだろう?山村や離島に移り住むというには、何を捨てて、何を選ぶことなのだろうか。

▼根っこから暮らしを創りなおす

ごぼう−Iターン家族のページ>の「とーたんの日記」は、淡々と日々の出来事を綴っているが、読み進めるうちにそこからは都会と山村での暮らしの違い、家族の変化などが浮かび上がってくる。ここから、「都会の便利さ」から「山村の自然の豊かさ」へ、「仕事中心の生活」から「家族どうしの関係を大事にする暮らし」へ、「多様なモノ・サービスをすぐに買える生活」から「地域の人たちが互いに支えあう暮らし」へ、といった暮らしの変化が見えてくる。
「野沢菜」じごぼう より
じごぼうさん一家は、'96年夏に、横浜から長野の山の中へ移住した4人家族。住んでいる長野県北安曇郡八坂村は人口1,300人、世帯数400軒の北アルプスの東側に位置する千メートル程の山に囲まれた山村だ。
 97年3月、村にIターンしてきた家族の写真撮影に、じごぼうさん一家とお隣に住む夫婦を含め、3つの会社の5家族が参加している。どうやらIターン者が急に増えた村のようだ。じごぼうさんの会社も、これまでにIターン希望者向けの情報誌に3回ほど登場し、98年3月には3人の新人を加え、都会から移住した社員は11人になった。
 建設会社の研究所、建築設備の関連事業、独立開業、プラント設備会社を経て「Iターン」をしたじごぼうさんは、暮らしや家族について、「田舎に来て手に入れたのは“家族の時間”と“自分の時間”」(98年1月)、「都会から越して来て1年と数ヶ月。日常の生活と将来の家族像で頭がいっぱい」(97年12月)、「今のところ戻る気持ちは毛頭無い。 便利できれいな都会のマンションと、不便ではあるが精神的にゆとりある田舎暮らし。 我が家は後者を選択したのだ」(96年12月)と日記に書いている。
 都会のサラリーマンたちは、会社がチャレンジの場で家庭は休息と団欒の場だと考えている場合が多いのではないだろうか?Iターン家族は、そういう在り方にゆき詰まりを感じて、方向転換をして、チャレンジの場を変えたといえるのではないか?Iターン家族は、自然と人、人と人の関係の原点に戻って「暮らしを創りなおす」というテーマにチャレンジしていると考えてみれば、山村や離島への「Iターン」が何を意味するのかがよくわかってくるのではないかと思う。
「キャベツ」じごぼう より
日記を読んでいくと、食べ物に関する話題がとにかく多い。それもそのはず、家のまわりでは栗、柿、フキノトウ、菜の花、ツクシ、ヨモギ、ウド、竹の子などいろんな食材があり、これらがお菓子やてんぷら、ゴマ和えとなって食卓にのぼる。また畑では、ほうれんそう、タマネギ、きゃべつ、だいこん、かぼちゃ、にんじん、小豆、長ねぎ、小松菜、トウモロコシなどなど、ご近所にひとり暮らしをしている南のおばあちゃん、北のおばあちゃんを師匠に野菜づくりをしている。種を蒔く時期から野沢菜漬けや干し柿の作り方まで、教わることは毎日山ほどあるようだ。自然との関係の仕方を家族で少しずつ学び、菜園や家の周りで採れる野菜、果物、山菜や木の実などの種類が増えるとともに、食卓のメニューも豊かになっていく。これは、自分たちで暮らしを創っていくという確かな手応えのある生活だ。

▼子供の「生きる力」が育つ

ういう「地に足のついた暮らしをしたい」というのが、山村や離島にIターンする人たちの強い思いなのだろう。これは、自然との関係のなかで「自助・自給性を高められる環境」を求める気持ちとも言える。自助・自給性の高い暮らしをするためには、まず家族のメンバーがそれぞれ幅広い生活技能を身につけなければならないのと同時に、家族メンバーどうしが協力しあう場面が多くなる。また、山村・離島では、お金で買えるサービスに依存できないので、地域コミュニティの相互扶助な関係が大事になってくる。
 Iターン家族の子育て、教育についての考え方を見ても、この「自助・自給+相互扶助」を成り立たせている自然、家族、地域の中で、さまざまな生活体験をして育つことが、子供たちの人間的、情緒的、知的な基礎を育むことになると考えているようだ。
 このことは、じごぼうさんの日記からも感じ取ることができるほか、<WOOD LAND>の「山仕事見習い日誌/村営バスで長男の一人旅」には象徴的なエピソードがある。4月から保育園に通うことになった長男を、村営定期バスで通園させなければならない。嫌がる長男をバス亭まで送ると、「保育園で降ろしてあげますから」とバスの運転手さんがやさしく請けおい、「いっしょに、行こうね」と同じバスに乗る近所のおばあさんが長男を席に座らせてくれる。こうして長男は社会生活の第一歩として1人で定期バスに乗り保育園に行くようになる。
 ね、子供が親や家族だけではなく、周囲の人たちの助けも借りて育っていく様子がわかるでしょ?
 また、<移住体験記(2)>の近藤さんは、年間を通して行われる野鳥観察や沼巡り遠足、町内マラソンやクロスカントリー・スキーなど、大自然の中で行われる学校行事や、それらを支える情熱的な先生、献身的・協力的な父兄や地元の人々の姿に触れ、「これが真の学校教育なんだなぁ」と感心。子供の教育にはこういった環境が必要だと強く感じたと語っている。
 Uターンで新潟県の山間の生まれ故郷高柳町に住んでいる岡田雄高さんも<今 ド田舎から何ができるか?>の<学ぶ場としてのド田舎>で、「田舎」が子供にとっても、大人にとっても学ぶ場として大きな意味をもつことを強調している。

▼元気になる地域コミュニティ

かな自然や自然の中での自助・自給性の高い暮らしをもとめて山村や離島にIターンした家族は、サービスをお金で買えない過疎地は地域の人たちどうしの相互扶助がとても重要だということを、日々の暮らしの中で学んでいく。
 じごぼうさんの集落には13世帯がある。そのうちおばあちゃんの一人暮らし2軒と、じごぼうさん一家、お隣の夫婦の新参者2軒を除く残り9軒のほとんどが、会長、副会長、衛生・農家・交通安全・公民館など集落の7つの役職についている。ほぼ全ての家庭が、集落というコミュニティにおいて、何らかの役割を担っているということだ。
 この集落では、13世帯のうち、2世帯がIターン家族だ。また、上でも触れたように、じごぼうさんが勤める会社には、Iターン組の人が急に増えている。若い人たちが少なくなっていた過疎の村に、こうしてIターン組の人たちが増えてくることになると、地域社会は大きく変わっていくだろう。Iターンした人たちが、地元の人たちから多くを学ぶとともに、地域コミュニティも新参者にも開かれた場へと変わっていけば、地域の活性化につながっていくのではないだろうか。
 また、じごぼうさんがインターネットで見つけ、バーベキューに参加したという<新・信州倶楽部>は、信州にIターンした人たちで作るネットワークだ。Iターン者同志の親睦を深める場であると同時に、インターネット使ってIターン者の声を広く全国に発信、ホームページにメールで寄せられるIターン予備軍(?)からの質問に倶楽部のメンバーが答えている。こうした電子的なネットワークを通じて、Iターン者たちがたがいに経験を交換し、たがいに学びあえることも、今までにない環境だ。新たなメディアを活かして、Iターン組の人たちが地域コミュニティの新しい流れを創り出していくのかもしれない。

うーん、いずれはみどりも今とは違う暮らしを選択するのかも知れない、そんな実感が湧いてきたぞー。皆さんは、今月の特集を読んでどんな感想をお持ちになりましたか? 是非、メールをWebMag編集部まで送って下さいね。そういえば、<ハコフグネット>の小椋さんは、石垣島の情報を発信するサイト<アイランド石垣>をオープンさせるとのこと。Uターン・Iターン&別荘のページを設けて、少しでも小椋さんと同じような考え方で悩んでいる人に情報を提供する予定もあるそうです。こうしたサイトって、きっとどんどん増えていくと思います。またいずれ、特集をしたいな。その時は今よりもう一歩進んだ変化を感じることができるかもしれませんね!



文中で紹介したホームページ