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![]() | ![]() 「村のアルバム/秋のクラインガルテン」より |
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![]() | こんにちは!みどりです。
ユカリのうちまで行って、おばぁちゃんが送ってくれた段ボール箱のなかの野菜を見て驚いた。 うーん、どっから何を調べてよいのやら・・・そう思ってあちこちのサイトをふらふらしていると、ちょっと気になるレポートが見つかった。
ところで、形や味は見たり食べたりすればわかるけれど、隠れたところでも野菜は変化している。栄養価がそうだ。同じレポートの中に、野菜に含まれるビタミンCの量が減少しているというデータが紹介されていた。それによれば、1992年の夏物のほうれん草に含まれるビタミンCの量は、1946年のおよそ10分の1だというからびっくりだ。もともと冬が旬のほうれん草には、夏場には3倍近い高値がつくため、農家は西洋種の採用や、病虫害を防ぐ土壌と種子の消毒、乾燥を防ぐビニールハウスの導入などで夏期に栽培し短期で収穫する方法を実現させた。しかし、糖からビタミンCを合成しいてるほうれん草は、耐暑性に乏しく、夏の高温では糖が呼吸に消費され、葉に残るビタミンCが減ってしまったようだ。
見た目が良くなり、一年中食べられるようになった野菜。でもその結果、味のバランスや栄養価のよくない「中身のない野菜」が市場には増えてしまったようだ。「野菜が見た目で選ばれるため、工業製品のように長さと形の整ったきゅうりを作らないと市場に受け入れられない」というレポートの中の一節が印象的だ。
<オリザの環>の<モンスーンの風/第5部=インドネシア・フィリピン・苦悩の島>には、インドネシアやフィリピンで行われた「緑の革命」が水田にもたらした現状がレポートされている。
すると、土地に化学肥料や農薬をたくさん投入する農業が食いつぶしてきた貯金にあたる「地力」というのは、何なのだろう?化学肥料ができる前の農業はどうなっていたのかと思って調べてみたら、吉田信威さんの<私たちにとって「食」と「農」とは>の中の<第七 有機農業について考える>に書いてあった。それによると、化学肥料を使う前の日本の農業では、農地の周囲の山林で集めた落葉や原野で刈った草を「刈り敷き」として農地に入れるという方法がとられていたそうだ。つまり、収穫物をもち去ってそのままにしておくと、有機物が貧しい農地になってしまうので、周りの山林などにある植物や植物の残骸を補ってあげていた訳だ。ということは、植物の残骸が腐っていってできあがるような土が「地力」のある土壌ということなんだろうか?そしてそういう土壌では、一体何が起きているんだろう?
こういう具合に、生きた土壌の中には、多様な虫や微生物がいて、有機物をゆっくりと分解していくんだ。しかし、生きた土壌では、こういう土壌の構成要素がバラバラになっている訳ではなく、整然と組立てられた構造をつくりだしている。<園芸基礎講座>の中の「団粒化」に描かれているように、プラスやマイナスの荷電をもつ粘土粒子が結合して団粒構造と言われる組立てをつくっている。そして、この団粒構造の粒子と粒子の間、団粒と団粒の間には隙間があって、そこに水分が蓄えられ、また微生物の住みかにもなっている。こういう構造ができると、保水性があると同時に排水性をもつ土壌になり、また、通気性もよくなる。
生きている土壌がこのようなたくさんの生き物の相互関連、生き物と無機物の相互関連からなる複雑な仕組みであることが分かれば、植物や動物の残骸や排泄物からつくった堆肥を土壌に与えずに化学肥料だけで農業を続け、しかも農薬をたくさん使うと何が起きるかは、だいたい想像がつくってもんだ。つまり、化学肥料だけで堆肥を入れなければ、土壌の中の虫や微生物の餌が乏しくなるからその数が減っていくし、また腐植ができないため、団粒構造のない土になってしまう。それに、農薬が土壌の中の虫や微生物の多くを殺してしまえば、化学肥料を与えたって、それを植物の根が吸収できる成分に変える働きをするはずの微生物がほとんどいない・・・ということになってしまう。
そうすると、最初に見つけた野菜の栄養価が乏しくなってしまっているという話も、工業化した農業によって土壌が死にかかっているケースが多いということと、深い関係があるに違いない!もちろん、このように工業化した農業の問題点に気づいて、化学肥料や農薬をなるべく使わず、堆肥を入れて土壌を回復させ、生きた土壌に支えられた農業を再生しようという動きもだいぶ前から始まっているようだ。
ならば、自分でつくってしまうというのはどうだろう?例えば、ユカリのおばあちゃんは、生活の一部として基本的に自分が食べる分だけの野菜をつくっている。WebMag第12号の特集<Iターン/脱都会の暮らし>に登場したIターンで田舎の村に暮らしている「じごぼうさん一家」もそうだ。ただ、ちょっとした畑がもてたり、庭でできたりするようならいいけれど、都市部に住んでいるとなかなかそうは行かないよなぁ・・・。そう思って調べてみると市民農園という手があった。
ところで、化学肥料と農薬に依存した農業から、生きた土壌に支えられた農業への転換を進みやすくする条件のひとつに、農家にとってよい堆肥の入手が容易になるようにするということがありそうだ。都市生活からは生ゴミなど、うまく処理すればよい堆肥になるものがたくさん出ている訳だから、これをうまく生かせば、農業の土づくりに都市側が役立てる。そんな例を見つけた。
そうだ、<WebMag第22号の特集『ヨーロッパ統合と持続可能な発展 』>には、EU各国が「EUにおける持続可能な発展」に取り組んでいる様子がレポートされていたっけ。長井市のように、生活系の生ゴミを堆肥にして農地の土づくりに生かすという試みは、「持続可能な地域発展」の一環として「持続可能な農業」を実現するための、大事な出発点なのかもしれない。これから、もっともっと長井市のようなケースがでてきそうだぞ。
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