坊主山 クラインガルテン倶楽部
「村のアルバム/秋のクラインガルテン」より
生きた土壌と持続可能な農業


 




 こんにちは!みどりです。
春ですね。みなさんは、もうお花見に行きましたか?
みどりは今日、みんなで料理とお酒を持ち寄って近所の公園で楽しいひとときを過ごしました。その時のことです。
集まったご馳走のなかでも特にみどりが気に入ったのは、ユカリのつくった温野菜サラダ。
田舎のおばあちゃんから送られてきたじゃがいもやキャベツ、にんじん、ブロッコリーを茹でてドレッシングを添えただけのシンプルな手作りサラダなんだけど・・・
んんんっ?
普段みどりが食べている野菜とはなんだか味の濃さが違う!
味も香りも色も、“生き生き”した感じだ。

ユカリのうちまで行って、おばぁちゃんが送ってくれた段ボール箱のなかの野菜を見て驚いた。
形や大きさがまちまちで、所々虫食いの跡がついているのもある。
これに比べると普段私がスーパーで買ってくる野菜は、みんな姿形が画一的で、まるで工場でつくってるみたいな印象だ。
味だってそっけないし・・・。
おなじ野菜なのに、何でこうも違うんだろう?
今月の特集はこんな疑問からスタート。
作物が育つ土のなかを覗いてみると、「土」が生き生きしててこそ、生き生きした野菜やおコメが育つんだってわかってきた。
じゃぁ、どうしたら生き生きとした野菜をもっと身近なものすることができるんだろう?
 その答えを求めて、いざ出発!

▼激減した野菜の栄養価

 うーん、どっから何を調べてよいのやら・・・そう思ってあちこちのサイトをふらふらしていると、ちょっと気になるレポートが見つかった。
 京都大学農学部生産環境学科の榊哲郎さんが96年に書いた<これでいいの?今の野菜>だ。
 これによると、トマトの味が甘くなったり、きゅうりの表面がつるつるになったり、野菜の味や姿が大きく変わってきているという。
 例えば、現在トマト市場でメインに流通している酸味や苦みをおさえた甘いトマト「桃太郎」は、甘い食べ物を好む子どもだけを狙ってトマト種苗メーカーが開発した品種だそうだ。一方、表面のつるつるした「ブルームレスきゅうり」は「見た目の美しさ」と「日持ちの良さ」がキーワードの品種で、1987年にきゅうり市場に登場して以来、わずか5年で市場の主流となった。しかし、実に比べて皮が柔らかいため、「ゴムをかむような」歯ごたえの悪さだと言われている。スーパーの販売担当者はNHKのインタビューに答えて、「おいしいだけでは商売にならない。(野菜の価値は)日持ち、見た目などの総合点で判断する。仮にブルームレスきゅうりの味が悪いということになっても、それに目をつぶれば商品としては悪くない」と答えている。
 これを読んで、「なにー!食べ物なのに、味は二の次!?なわけ?」と腹立たしいような気持ちになったけれど、言われてみれば確かにスーパーでは、みどりも当たり前のように形のいいものを選んで買っているかもしれない。

 ところで、形や味は見たり食べたりすればわかるけれど、隠れたところでも野菜は変化している。栄養価がそうだ。同じレポートの中に、野菜に含まれるビタミンCの量が減少しているというデータが紹介されていた。それによれば、1992年の夏物のほうれん草に含まれるビタミンCの量は、1946年のおよそ10分の1だというからびっくりだ。もともと冬が旬のほうれん草には、夏場には3倍近い高値がつくため、農家は西洋種の採用や、病虫害を防ぐ土壌と種子の消毒、乾燥を防ぐビニールハウスの導入などで夏期に栽培し短期で収穫する方法を実現させた。しかし、糖からビタミンCを合成しいてるほうれん草は、耐暑性に乏しく、夏の高温では糖が呼吸に消費され、葉に残るビタミンCが減ってしまったようだ。
 このほか、女子栄養大学の吉田教授の調査データ(1992年)によれば、ピーマン、白菜、大根などもビタミンCが減少していているという。

 見た目が良くなり、一年中食べられるようになった野菜。でもその結果、味のバランスや栄養価のよくない「中身のない野菜」が市場には増えてしまったようだ。「野菜が見た目で選ばれるため、工業製品のように長さと形の整ったきゅうりを作らないと市場に受け入れられない」というレポートの中の一節が印象的だ。
 そういえばアジアの発展途上国で政府が主導して、まるで工業化を押し進めるように、収穫量が多い品種のコメづくりが盛んに行われたという話を聞いたことがある。確か「緑の革命」と呼ばれてたっけ。詳しいことはよく知らないけど、みどりと名前についてるからには、ちょっと気になる。そう思って調べてみることに。すると・・・、一時的に増えた収穫量がやがては頭打ちになり、さらには減少しはじめてるという現状がわかった。

▼「緑の革命」----農業の工業化----の挫折

 <オリザの環><モンスーンの風/第5部=インドネシア・フィリピン・苦悩の島>には、インドネシアやフィリピンで行われた「緑の革命」が水田にもたらした現状がレポートされている。
「緑の革命」とは、コメの高収量品種を導入して収穫量を増やし、人口増加に伴う食糧問題の解決を図ろうというプロジェクトのこと。それまで伝統種の天水栽培が主だった農村部に、国際稲研究所(IRRI)が開発した高収量品種を導入し、積極的にコメの増産運動を推進したそうだ。このプロジェクトが成果をあげたのか、1980年代には両国ともコメの自給を達成するのに成功している。しかし両国のコメの生産は、80年代後半から90年代前半にかけて大きな壁に突き当たり、60年代の倍近くまで伸びた生産量は、横ばいから低下傾向になった。
 この「緑の革命」で導入された高収量品種のコメは、化学肥料を投入した場合に収穫量が増える品種で、この効果を発揮させるため政府は、それまで主に天水に依存した稲作を行っていた農村に潅漑を普及させ、伝統的な農業を化学肥料と農薬をたくさん投入する農業に変身させていった。しかし、その効果は一時的には大きな収穫増をもたらしたものの、長続きしないものだということがわかってきたのだ。そして他方では、「緑の革命」の過程で、肥料や農薬といった工業製品をたくさん買い入れなければならないように農業が変わってしまっていたため、その費用が農民を圧迫しはじめた。

坊主山 クラインガルテン倶楽部
「村のアルバム/秋のクラインガルテン」より

 そんななか、<苦悩の島(3)/抜かれた稲/在来種で自分流貫く>に登場するジャワ島のスキルジョさんは、一帯の水田で奨励されている高収量品種「IR64」と比べると収量が4分の3に落ちる「ムンテ」と呼ばれる在来種の作付けを始めた。「田んぼの地力が弱っていくのが分かってね。化学肥料で土は硬くなり、においも色も変わってしまった。いくらかでも土を休める必要があると感じたんだ」と、その理由を語っている。
 東京農業大学客員教授・松崎敏英さんの<“生きた化石”が甦った有機・無農薬水田>は、日本の水田での堆肥の使用状況について触れている。日本の水田では、東京オリンピック直後の1965年には、水田10a当たり545kgの堆肥が使われていたが、1994年には4分の1の136kgにまで落ち込んだそうだ。堆肥の替わりに化学肥料がたくさん使われるようになったということだろう。
 松崎さんは、「短期的には、堆肥による有機物の施用は、顕著な効果を示すことはないので化学肥料でも十分代替えできる」が、しかしそれは「先人が多量の堆肥を長年にわたって水田や畑に施用してくれた過去の蓄積によるものである」という。つまり、堆肥を化学肥料に変えて一時的に収穫を維持できても、それは「地力」という土の蓄えられた貯金を食いつぶしているのに過ぎないということらしい。

▼生きた土壌では何が起きているのか?

 すると、土地に化学肥料や農薬をたくさん投入する農業が食いつぶしてきた貯金にあたる「地力」というのは、何なのだろう?化学肥料ができる前の農業はどうなっていたのかと思って調べてみたら、吉田信威さんの<私たちにとって「食」と「農」とは>の中の<第七 有機農業について考える>に書いてあった。それによると、化学肥料を使う前の日本の農業では、農地の周囲の山林で集めた落葉や原野で刈った草を「刈り敷き」として農地に入れるという方法がとられていたそうだ。つまり、収穫物をもち去ってそのままにしておくと、有機物が貧しい農地になってしまうので、周りの山林などにある植物や植物の残骸を補ってあげていた訳だ。ということは、植物の残骸が腐っていってできあがるような土が「地力」のある土壌ということなんだろうか?そしてそういう土壌では、一体何が起きているんだろう?
 <RINREI><土にはミミズも頼もしい!>をみると、土の中に無数の生きもののいるようすがわかる。人間が人工的につくり出したものは別として、自然界のものはすべて、ミミズ、アリ、ヤスデ、ダンゴムシ、ハサミムシなどの土壌動物や、細菌、放線菌、糸状菌、藻類、原生生物などの土壌微生物といった「解体屋」たちによって土壌に戻され、再び植物の養分として利用されるのだ。なるほど、豊かな土壌って、こうやって土壌生物たちがいきいきと活動している状態なんだ。
 そういえば「日本酒と麹」の特集の時に、日本酒づくりにカビという微生物が大きな働きをしているのを知って、みどりはとっても驚いたんだけれど、土の中の微生物も「地力」をつくる隠れた主役なのかもしれない。普段、あんまり気に留めないでいた土の中だけど、こりゃあ生き物たちの複雑な営みがありそう!なかでも、土壌微生物たちがどんな活動をしているのか、早速調べてみることにしよう。
 <クリーンレポート(5) 第3章 農村・農業生態系を考える>の「5.腐植とは」によると、土壌微生物の主な働きのひとつは、植物や動物の死骸、排泄物を分解していくことだ。土壌微生物にとっては、生き物の残骸に含まれる繊維類、リグニン、ペクチン、糖類、デンプン、蛋白質、油、葉緑素はよい餌なので、これをどんどん食べて分解していく。しかし、土壌微生物にとってもすぐには分解しにくいリグニンなどは、長い時間をかけてゆっくり分解されていくため、リグニンを主成分とする有機物が土壌の中に残り、これを「腐植」とよんでいる。
 植物は成長に必要な養分を根から水と一緒に吸い上げるが、こうした植物が吸収できる状態の養分をつくっているのも土壌微生物だ。たとえば、植物が蛋白質を合成するための原料として、硝酸態窒素やアンモニア態窒素を根から吸い上げるが、同じサイトの「(III)豊かな大地を育む土壌微生物」によれば、有機物からこうした成分をつくっているのは、硝酸化成菌という微生物なのだという。また、土壌の中のリン酸を集めて植物の根に供給する働きをもっているのが、VA菌根菌だ。<テクノグリーン>の中の<VA菌根菌>によれば、この菌は植物と共生関係を結んでいて、植物からもらった光合成産物に助けられて増殖する。そしてその替わりに、根が届く範囲の外にも菌糸を伸ばして土壌中のリン酸を吸収し、宿主の植物に供給しているのだ。図解にあるように、植物の根っこから菌糸をにょきにょきと伸ばしている様子は、まるで根の延長コードといった感じだ。

▼団粒構造------土壌の中の複雑な仕組み

 こういう具合に、生きた土壌の中には、多様な虫や微生物がいて、有機物をゆっくりと分解していくんだ。しかし、生きた土壌では、こういう土壌の構成要素がバラバラになっている訳ではなく、整然と組立てられた構造をつくりだしている。<園芸基礎講座>の中の「団粒化」に描かれているように、プラスやマイナスの荷電をもつ粘土粒子が結合して団粒構造と言われる組立てをつくっている。そして、この団粒構造の粒子と粒子の間、団粒と団粒の間には隙間があって、そこに水分が蓄えられ、また微生物の住みかにもなっている。こういう構造ができると、保水性があると同時に排水性をもつ土壌になり、また、通気性もよくなる。
ガーデナーズ・ガーデン /初心者のための基礎講座より
「土の団粒化」について

<丸目はるの「土に学ぶ」><おいしい土を食べていますか>では団粒構造ができると、「ふかふかの土」になり、土の中のいろんな生き物にとって好みの「家」ができると書いてある。また、<生物環境学><5土壌環境/5-2土壌は荷電物質>に書かれているように、こうした団粒構造が何段階にも入れ子状にできあがるためには、有機物が分解しかかった腐植が豊富であることが必要だそうだ。つまり、腐植はこうした生きた土壌の構造をつくり出すためにも不可欠だということだ。
 多様な土壌生物が生息していること、それらが複雑で高度な生態系をつくりあげ物質の循環が活発に行われていること、それがどうやら「生きている土」の条件といえそうだ。そして、長い時間をかけてつくりあげられたこの「生きている土」の状態こそ、土壌の貯金なのだろう。

▼農業の転換に対する障害

 生きている土壌がこのようなたくさんの生き物の相互関連、生き物と無機物の相互関連からなる複雑な仕組みであることが分かれば、植物や動物の残骸や排泄物からつくった堆肥を土壌に与えずに化学肥料だけで農業を続け、しかも農薬をたくさん使うと何が起きるかは、だいたい想像がつくってもんだ。つまり、化学肥料だけで堆肥を入れなければ、土壌の中の虫や微生物の餌が乏しくなるからその数が減っていくし、また腐植ができないため、団粒構造のない土になってしまう。それに、農薬が土壌の中の虫や微生物の多くを殺してしまえば、化学肥料を与えたって、それを植物の根が吸収できる成分に変える働きをするはずの微生物がほとんどいない・・・ということになってしまう。

 そうすると、最初に見つけた野菜の栄養価が乏しくなってしまっているという話も、工業化した農業によって土壌が死にかかっているケースが多いということと、深い関係があるに違いない!もちろん、このように工業化した農業の問題点に気づいて、化学肥料や農薬をなるべく使わず、堆肥を入れて土壌を回復させ、生きた土壌に支えられた農業を再生しようという動きもだいぶ前から始まっているようだ。
 しかし、こうした動きを広げるのは、たやすいことではない。吉田信威さんが『私たちにとって「食」と「農」とは』の<第七 有機農業について考える/二 手間がかかる><五 収量についてどう考えるか>で書いているように、堆肥をつくったり、農薬を使わずに病虫害を防ぐことは、なかなか手間暇のかかる仕事だ。また、化学肥料を使わずに生きた土壌で穀物や野菜を育てれば、栄養価のあるしっかりした作物ができるようにはなるが、収穫量が下がってしまうケースも多い。そのために、化学肥料や農薬をたくさん使った一般の作物よりはやや高めの価格でも、安全でしっかりした栄養価のある作物を選ぶ消費者と結びついていないと、生きた土壌に支えられた農業への転換は出来ないんだ。
 <有機農業ブームが提起する諸問題と21世紀の農業像>によれば、化学肥料や農薬をなるべく使わないという広い意味で有機栽培とカウントすることにしても、有機栽培の農作物の流通量は、コメ・野菜共にざっと市場の5%ほどのものでしかないらしい。
 ふーむっ。そんなに少ないとはオドロキだ。とすると、自分たちでなんらかのアクションを起こさなければ、中身のある野菜は簡単には手に入らないってことかもしれない。

▼持続可能な農業への試み

 ならば、自分でつくってしまうというのはどうだろう?例えば、ユカリのおばあちゃんは、生活の一部として基本的に自分が食べる分だけの野菜をつくっている。WebMag第12号の特集<Iターン/脱都会の暮らし>に登場したIターンで田舎の村に暮らしている「じごぼうさん一家」もそうだ。ただ、ちょっとした畑がもてたり、庭でできたりするようならいいけれど、都市部に住んでいるとなかなかそうは行かないよなぁ・・・。そう思って調べてみると市民農園という手があった。
 長野県東筑摩郡四賀村の<坊主山クラインガルテン倶楽部>は、食物の安全性を重視する都市の住民と農家が交流するのなかで、都市住民が自分自身で野菜を栽培したいと希望したことから始まった「滞在型市民農園」だ。ドイツ語のクラインガルテン(小さい庭)は、市民農園のことで、旧西ドイツでは、都市の中の緑地帯として市民の憩いの場、生産の場として法律で保護されているそうだ。四賀村は、都市部からは離れているが、150ヘクタールの遊休荒廃農地を使って「滞在型市民農園」をつくることで地元住民の雇用や都市住民との交流を深めたいとしている。ここでは有機無農薬栽培を基本とし、利用者はそうした意識をもった人が対象だ。これは、都市住民が自分たちで、生きた土壌に支えられた作物をつくってみたいと思った時に生まれる、土との結びつきの一例だと言えるだろう。
 <里山づくりプロジェクト>の中の<私達が考える市民菜園>では、「家庭菜園---キッチン直結型」「郊外型市民農園」「農地・里山利用型市民農園」という3つの型の市民菜園が提案されているが、「坊主山クラインガルテン倶楽部」は「農地・里山利用型市民農園」に近いものになるようだ。

 ところで、化学肥料と農薬に依存した農業から、生きた土壌に支えられた農業への転換を進みやすくする条件のひとつに、農家にとってよい堆肥の入手が容易になるようにするということがありそうだ。都市生活からは生ゴミなど、うまく処理すればよい堆肥になるものがたくさん出ている訳だから、これをうまく生かせば、農業の土づくりに都市側が役立てる。そんな例を見つけた。
 山形県長井市が取り組んでいる<レインボープラン>は、生ゴミを堆肥にする試みに本格的に挑戦している。<レインボープランの取り組みと今後の方向>には、レインボープランが出来上がるまでの経緯が書いてあり、きっかけは市が市民に委託してつくったまちづくりのプランだそうだ。「快里(いいまち)デザイン計画」提言には、長井市の農業を「自然と対話する農業」と位置づけ、地域農業を主体に環境と調和した永続性のある農業を目指すとある。そしてその結果、3億8,500万円をかけコンポストセンターを建設し、約5千世帯からでる生ゴミ1,255トンをはじめ、家畜のフンと尿、もみ殻など合計2,127トンから、約600トンの堆肥をつくり出している(平成9年実績)。できた堆肥は農協を通じて販売され、一方でレインボープラン推進協議会・認証制度審査委員会(仮称)が、有機農産物の認定を行っているようだ。今後は、レインボープラン推進協議会で生産者組織の結成や消費者と生産者が対話できる機会の設定などについて検討を重ねていくとある。

そうだ、<WebMag第22号の特集『ヨーロッパ統合と持続可能な発展 』>には、EU各国が「EUにおける持続可能な発展」に取り組んでいる様子がレポートされていたっけ。長井市のように、生活系の生ゴミを堆肥にして農地の土づくりに生かすという試みは、「持続可能な地域発展」の一環として「持続可能な農業」を実現するための、大事な出発点なのかもしれない。これから、もっともっと長井市のようなケースがでてきそうだぞ。

 さて、今月の特集はいかがでしたか?是非、感想のメールをお寄せ下さい。お待ちしています!

◆◆◆◆

文中で紹介したホームページ


ここから思いついた言葉でホームページを検索!

InfoNavigator
*半角カナは使用できません
検索のコツ


InfoNavigator HAYATEを使い
団粒構造」で
ホームページを探してみよう!