[Eco-Scope]
[写真] 今月の担当は・・栗田涼子
 最近、身の廻りで音楽に関連する出来事が続いています。村のカフェで誰でも自由に参加できる音楽会が開かれたり、先週も教会で中世古楽の珍しいコンサートが催されたばかり。またユゼスという町の市場に出かけたおり、一人のチェロ弾きの美青年がルックスに劣らぬ美しい音色で、バッハのシャコンヌを道端で披露しているのに偶然行き会ったり・・・ おかげで楽しい一時を過ごすことができました。
 見知らぬ青年のチェロケースに、ささやかな御礼として10フランだけ入れたのですが・・・やっぱりちと安すぎたかしら?


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はじまりの音楽 --- アボリジナル・ミュージック

  ディジュリドゥ。 まるで呪文の様な不思議な名前を持つ楽器の存在を知ったのは、まったくの偶然だった。ある人に珍しいアフリカの打楽器を触らせてもらったのがきっかけで、民族楽器についてもっと知りたいという気になったのだ。おそらくは、世界中にある民族・部族の数だけ楽器があるに違いない・・・ かくして未知なる楽器を求める探索が始まった。
 楽器情報を集めた数あるサイトの中から、手はじめにMHN(Music Heritage Netwark)の<Instrument Encyclopedia><楽器電子博物館>の2つに的をしぼって検索。どちらもジャンル別に分類された各種の楽器を、図版を交えた解説で参照できるように編集されている。華麗な装飾が施されたヨーロッパのダルシマー、魚の皮を貼り付けた西アフリカのトーキングドラム、マダガスカルの木琴ドリドリ等など、見慣れない楽器が目白押しだ。「これで一体どんな音楽を奏でるのだろう?」とあれこれ想像しながら、しばしネットサーフィンを楽しんでいると、Dijeriduというスペルがふと目に留まった。名前の面白さにひかれてクリックすると、身をくねらせたヘビのような細長い物体が目に飛び込んできた。なんて奇妙で、チャーミングな楽器だろう! その素朴で力強い形には、視る者を惹きつけずにはおかない魔力が宿っているかのようだ。さっそくMHNの解説を読むと「オーストラリア北部のアボリジニの民族楽器・・・白蟻に喰われて中が空洞になったユーカリの木を使った天然のトランペット・・・まるで人が話しているような音が出る・・・云々」とあり、ますます謎めいている。

  の不思議な楽器について詳しい情報を得るべく、アボリジニ関連のサイトをめぐっているうち<Australian Aborigines History and Culture,Research Project>のホームページにある、アボリジニ百科辞典というコンテンツに行き当たった。いくつかのキーワードを手がかりに、まずは、ディジュリドゥの生みの親であるオーストラリア先住民族と、彼らの音楽的背景について要点をまとめてみよう。
 アボリジニ民族の人種的オリジンの同定については諸説紛々あるようだが、少なくとも4〜5万年前にはアジアやアフリカなど広範囲にわたる地域からオーストラリア大陸にやって来たという説が有力のようだ。18世紀、植民地時代に白人によって彼らが“発見”された時には、およそ500〜700の小部族が大陸全土に点在していたといわれ、現在では、政府によって定められたテリトリーにいくつかの部族が集まってコミュニティを形成している。また、各部族ごとに異なる言語と独自の習慣を有し、現代的な生活様式に適応を迫られながらも、今なお先祖から受け継がれた伝統や神話の世界を守り続けている。とりわけ伝統的なアボリジニ音楽は、彼らにとって特別な意味を持っているようだ。というのも、文字文化を持たなかった彼らは、狩猟生活の知恵や技術、部族のおきてや神話などを歌や踊りによって代々伝承してきたからだ。 音楽は、アボリジニにとってなくてはならないメディアの一つなのだ。
 アボリジニ族と音楽との関わりをもう少し深く探ってみよう。<Aboriginal Art and Culture Center>の解説によると、伝統的な歌や踊りは現在でもアボリジニの暮らしの中で非常に重要な位置を占めており、日常のさまざまなシーンや状況 --- 狩り、葬式、噂話、先祖や大地、動物との対話など --- に見あった歌がそれぞれあるという。赤や白の顔料で、顔や体にシンボリックな図柄や肖像を描き込み、これらの歌と楽器のリズムに合わせて、先祖の物語や神話の出来事をダンスで再演するのだ。中でも「ドリームタイム」と呼ばれる世界のはじまりの物語をあらわす踊りは重要で、特にイニシエーションの儀礼において大きな役割を果たす。太古の昔、創造の時の物語を演じる若者は、この踊りと歌を通じて、先祖から伝えられる部族のおきてや哲学を伝授するという。
 また「ソングライン」と呼ばれる、アボリジニ固有のユニークな歌の概念もある。 過去数万年ものあいだ、彼らはオーストラリア大陸を移動しながら狩猟・採集生活を営んできたのだが、その間に部族がたどったこれまでの道のりの記憶を、彼らは歌にして子孫に伝えてきたのだ。見えないロード・マップのようなものだ。日々の糧を大地の恩恵にのみ頼って生きている彼らにとって、道しるべを失うことは、部族の存亡にかかわる重大事である。音楽はアボリジニの精神的な生活を支えるだけでなく、極めて実際的な役割をも担っているのだ。

  て、いよいよここで問題のディジュリドゥに視点を移そう。アボリジニが歌や踊りを媒介にして、不可視の領域や、神話の世界とのつながりを常に保とうとしてきたことは上にみた通りだが、このことと、ディジュリドゥの楽器としての特質とは、どうやら切り離せない関係にあるらしい。<What's Didgeridoo?>の解説によれば、彼らの物語の要素に欠かせない自然界の音(動物の嘶き、足音、羽ばたき、風や雷、せせらぎ、木々のそよぎなど)は、ディジュリドゥの震えるような低音ですべて表現することができるのだという。ディジュリドゥの笛の音に耳を傾けることは、大地の声を聴くことであり、それはすなわち、彼らの先祖たちの住む時間「ドリームタイム」へと自らをつなぎとめることにほかならない。
 またディジュリドゥは、かつて呪術的なオブジェとしての機能も兼ね備えていたようだ。たとえばある部族では、妻を娶るためのお守りとして<チュリンガ(一種のトーテム)>のようにディジュリドゥを携帯していたというし、また、女性がディジュリドゥを奏でたり触れることを固く禁じている部族もあるという。これは、ディジュリドゥが一種のファリックシンボルとして畏怖されていることの表れだろう。

  づいて、ディジュリドゥのフィジカルな特徴についてみてみよう。冒頭でも触れたように、ディジュリドゥは歴とした木管楽器である。長さはおよそ1.5m。かつては竹材が用いられることもあったようだが、通常はシロアリによって空洞化したユーカリの木材を使用し、自然な木の形を生かしながら手を加えてゆく。百聞は一件にしかず。興味のある読者は、<ディジュリドゥができるまで>で、製作プロセスを追体験することができる。写真で見るかぎり、それほど複雑な技巧は必要ないようだが、調度いい塩梅に虫喰われた木を見つけ出すのには熟練のカンが要るだろう。
 ディジュリドゥのプリミティヴな魅力は、自然の偶然が作りだしたフォルムの面白さと、そこに加えられた人間の創意との微妙なバランス具合にかかっているのだ。 ディジュリドゥに素朴な力強さと神秘性を与えているもう一つの大切な要素は、表面に施されたその装飾にある。アボリジニの<フォーク・アート>に特有のドット文様や図柄によって彩られたディジュリドゥは、楽器としてだけでなく、一つのアート作品として鑑賞に値するほど美しいものだ。まずは実物を見てほしい。オーストラリアにあるディジュリドゥの専門店<Universal Joint>のホームページには、部族によって異なる文様や装飾パターンの例を紹介した鮮明なカタログがあり、眼を楽しませてくれる。ヘビやトカゲ、カンガルー、鳥や魚など神話の主人公たちが、まるでそこが彼らの住処であるかのように、ゆるやかな木のフォルムの中に自然に納まっている。エアーズロックの赤やアースカラーといった独特の色使いも印象的で、眺めているだけでつい欲しくなってしまうはずだ。
 最近ではディジュリドゥの存在が日本でも知られるようになり、輸入品を入手することもできるようだが、自分で作ってみたい!という読者ために、とっておきのサイトを一つ紹介しよう。<日本ディジュリドゥ協会>は、身近な材料を使ってディジュリドゥを作るためのアドヴァイスを提供している。素材となるのは塩化ビニールパイプや竹、陶土。日本では穴あきユーカリなどまず見つからないが、これなら簡単に入手できる。もちろん本物の質感にはほど遠いが、構造自体は同じだから、オリジナルに近い音色を出すことは可能だとのこと。竹を使えば、自然の節目や歪みを生かしてユーカリ材のディジュリドゥに似た風合いを出すこともできるはずだ。
 またペイント方法についても紹介されているので、興味のある方は是非オリジナルディジュリドゥづくりにチャレンジしてみてはいかがだろう。

  ころで、肝心の音色についてはどうなのか?ここまで調べてきて、一刻も早くその音色を聴いてみたくなった。あれこれ探した挙げ句、ようやく<音声サンプルのあるページ>にたどり着いた。はやる心を抑えながらいざクリックすると、一度耳にしたら忘れられないような、何とも不思議な音色がスピーカーから流れてきた。笛の音色というよりも、空気を伝わって耳に届く振動とでもいうべきだろうか。
 この音を聞いてすぐに連想したのが、「ホーミー」の音色だった。ホーミーとは、声を頭蓋の内側に響かせて、高低異なるレベルの倍音(ハーモニック)を出すモンゴル人の歌唱法として知られているもので、チベットやロシアの少数民族、西洋の聖歌や声明にも類似した音域表現があるといわれている。ハーモニックの響きは人間の声だが、ディジュリドゥの奏でる音色の中に、この倍音列に共通する響き、別の表現いえば“原初の音”ともゆうべきスピリチュアルな響きを聞き取ったような気がしたのだ。
 しかしよく考えてみれば、これはしごく当然のことかもしれない。アボリジニは音楽を媒介にして、彼らのドリームタイム、つまり遠い昔に先祖が暮らしていた時間、世界のはじまりの時間との超越的なつながりを保とうとしたのだから。時間を超えた場所に届く音楽は、洋の東西を問わず普遍性を内在しているものだ。ディジュリドゥの奏でるヴァイブレーションは、かつてのアボリジニの人々にとって、神の国からの声にも等しいものであったろう。

  の類い希な民族楽器が、数万年の時を経て今なお現代に伝えられているという事実は、私たちにとって喜ばしき恩恵というべきではないだろうか。私たちの身の回りには音楽があふれているが、音楽が本来持っているはずの宇宙的な力、ドリームタイムへといざなうようなマジカルな力を秘めた音楽が一体どれだけあるだろうか。それに気づきはじめた人々によって、ディジュリドゥの価値が今後も再発見されてゆくに違いない。



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