[特集]
No.29  韓国仮面劇と能--------“鎮魂”/“遊び”
[写真]
「こねっとワールド―韓国の民族芸能」
財団法人 日本民族芸能国際交流協会より


[マーク] 特集編集部への発信 [マーク] 特集編集部との交信録 [マーク] バックナンバー

こんにちは、夢智子です。まだまだ暑いですが、もう9月。読者の皆さんはどんな夏休みを過ごしましたか? 夢智子は特別なイベントもなく静かに日本で過ごしたのですが、ちょっとした偶然の出会いがきっかけで、なかなかエキサイティングな知的冒険を体験することができました。

ある日、前から楽しみにしていたお能を観に行った時のこと。偶然、知り合いだという外国人を伴なった友人のマリちゃんとバッタリ遭遇。観能後、一緒にお茶を飲みながらの話によると、その外国人青年はアメリカで演劇を学んでいるギリシャ人のテオさんで、アメリカで行なわれた能を観て以来、すっかりその魅力にはまってしまったとのこと。最近では、能だけでなくアジア各地の仮面劇に興味が広がり、現在もフィールドワークでアジア各国を回っている最中。日本に来る前は韓国で仮面劇を見てきたそうだ。

「えっ、マリちゃん、韓国に仮面劇なんてあったっけ…?」

「聞いたことないなぁ。いま観た能みたいに神秘的な雰囲気なの?」

「いや、音楽も舞も静かで優美な感じの能とは対照的で、庶民的で粗野な芸能なんだけど、とてもユーモラスで力強いんだ。野外の広場で演じられて、観客たちが役者のセリフに大きな声で合いの手を入れたりして、なかなかにぎやかな劇だったよ。仮面も能面のように洗練されたものではないけれど、なんだかシュールで不思議な感じのものが多くて、能とは違った意味で不思議な魅力がある芸能なんだ」と印象を熱く語るテオさん。

「ふーん、シュールな仮面のにぎやかな劇か…能とはかなり違うみたい。何だか面白そう!」

すると、テオさんはおもむろにノートパソコンを取り出してインターネットに接続。私たちを未知の韓国仮面劇の世界へ誘いはじめた。

▼滑稽でシュールな仮面とドラマ

テオさんがアクセスして見せてくれたのは「Korea Insight Mask Dance-Drama」という英語のサイト。ここには仮面劇に使われるいろんな仮面の写真が並んでいるのだが、まずその奇妙な顔つきにビックリ。ギョロギョロした大きな目がつりあがって鬼みたいな面もあれば、顔じゅうブツブツだらけのもの、顔の色が紅白のもの、造作のすべてが歪んでいるものなどなど。どれをとっても確かにシュールな印象だ。

「まるで子供が描いた絵みたいにコミカルな表情だね。能面に比べるとどことなく未完成な印象だけど、すごく創造性豊かな感じがする」とマリちゃんも興味津々。

テオさんが言うには、韓国で実際に「鳳山(ポンサン)仮面劇」を見て感銘を受けて以来、韓国仮面劇のことをいろいろ調べていく中でこのサイトに出会い、これを手がかりに「韓国仮面劇のあの不思議な魅力はどこからくるのか?」と考えているところだが、まだまだ疑問だらけなのだそうだ。

「よかったら、君たちも一緒に考えてくれませんか? ヒントになりそうなこういう本も買ってみたんだけど、僕はまだ日本語がよく読めないんだ」と笑いながら、金両基『韓国仮面劇の世界』(新人物往来社)という一冊の本をテオさんは取り出した。

「OK! じゃ、さっそく調べてみようよ」

こういうわけで、私たち三人はインターネットと一冊の本をもとに韓国仮面劇について探究することになった。

テオさんが見てきた印象を聞きながら、『韓国仮面劇の世界』を読んでいくと、「鳳山仮面劇」に登場する人物やドラマの内容が何となくわかってきた。それは、とても世俗的であると同時に、妙にシュールな(超現実的)性格をもつ不思議な世界のようだ。たとえば、妾のところに行ってしまったじいさんを探しにいく「ミヤル婆さん」の執念や、若い小巫(ソム)に惑う老僧とそれを横恋慕する酔発(チュバリ)と呼ばれる僧の三角関係などがリアルに演じられ、こうした点ではとても世俗的といえる。しかし一方、登場人物の多くは、もともと聖なる職能から追われて漂泊の民と化した人たちで、そういう由来がキャラクターに投影されているという。醜さを誇張した仮面をつけ、口汚くじいさんを罵倒するミヤル婆さんは巫女の属性をもち、僧たちと三角関係を演じる小巫(ソム)もまた遊女となった巫女であり、いかがわしい僧たちも、職能を奪われて漂泊の民となってしまった仏僧のようだ。どうやら、韓国仮面劇の多くの登場人物たちには、古い時代の韓国の大きな社会変動の結果、聖なる職能から追われて流れ者にならざるを得なかった人たちの姿が投影されていて、そうした歴史の断層が仮面やキャラクターのシュールな印象をつくりだしているらしい。

▼韓国仮面劇の風刺と笑い

さらに、「Korea Insight Mask Dance-Drama」 のトップ・ページにも書いてあるように、韓国仮面劇を特徴づけているもうひとつのポイントがその風刺性だ。小娘に惑わされる老僧というモチーフも十分に風刺的だが、破戒僧と同様によく登場する両班(ヤンバン)という高官にいたってはもっと強烈に描かれる。「鳳山仮面劇」では両班たちが、自らの下僕である無学文盲のマルトゥギという道化役に愚弄され、からかわれ、やりこめられる様子が演じられる。観客たちはこうした両班とマルトゥギのかけあいを楽しみ、道化役が両班の威信をくじくさまに拍手喝采、大いに盛り上がるそうだ。こうした両班への風刺はその仮面にも強烈にあらわれている。このサイトにある、顔が紅白に塗り分けられた「T'ongyong Ogwangdae-nori」(統営五広大)の仮面もそのひとつ。テオさんはこの写真を見て「これは一体、何なんだ?」とずっと疑問に思っていたそうだが、『韓国仮面劇の世界』によると、これは「紅白両班」という仮面で、異父兄弟をもつ出自の両班をからかう仮面であることがわかった。

伝統的なヒエラルキー社会の下層に位置する庶民たちは、祭や季節の折り目に、このようなおかしな仮面をつけた両班を嘲弄する仮面劇を見ることで、日々の鬱憤をはらしていたのではないだろうか。

「なるほどねぇ。変な仮面ばかりだと思ったら、こういうドラマや背景があったんだ」と、とりあえず納得するマリちゃんと夢智子。一方のテオさんは「鳳山仮面劇」の強烈な印象の由来がわかってますます興味が深まるとともに、さらなる疑問も出てきたという。

ひとつは、サイトの写真にも鬼に似た仮面がいくつかあるが、「鳳山仮面劇」に出てくる堕落した僧侶である破戒僧が、明らかに鬼と結びつくような仮面(Pongsan Mask Dance)をつけているのはなぜかという疑問。単に破戒僧を風刺しているからだという説明では説得力に乏しい。

そして、もうひとつの疑問は、韓国仮面劇の儀礼性と芸能性の関係。「Korea Insight Mask Dance-Drama」の各項の説明を読むと、韓国では昔から仮面は呪術的なパワーを持つものと信じられていて、5月の端午の節句や中秋の名月、お正月など折々の節目に共同体を脅かす天災や悪霊から身を守る一種の儀式として各地で仮面劇が演じられてきた。それがある時期から、支配層への風刺を中心にした芸能(Entertainment)に転じたと書いてある。ところが、それがどのような関連を持ちながら、徐々に変化していったのかということは説明されていないのだ。

こうした新たな疑問を解くために、私たち三人はさらに各自で調べを進めることにした。

▼鎮魂の対象となった破戒僧

(後日。とあるインターネットカフェにて。再会した私たち三人はそれぞれの成果を持ちよって再び議論白熱)

マリちゃんがなかなか刺激的なサイトを見つけたというので、さっそくアクセスしてみることに。「芸能にみるアジアの心」では、韓国仮面劇がムラの中でどのような機能を果たしていたかについて独自の推論が試みられている。筆者の野村伸一さんの分析によると、ムラの存続を脅かすものには、例えば洪水といった天災の他に、「やるせなく死んだ者の霊」があるという。「やるせなく死んだ者」とは、不道徳を行ない社会を混乱させた末に殺された者や病気などでこの世をはかなく去っていった者たちをも指す。そして、こうした「やるせなく死んだ者の霊」を“あそび”によって鎮め、退散させる、それが仮面劇のもともとの起源にあるモチーフだというのが野村さんの主張だ。この主張の根拠として、京畿道楊州の仮面劇についての起源伝承を野村さんは引いている。その伝承とは、高麗時代末に王に信任されて権勢をふるった僧シンドンが、小巫と遊びまわって社会を混乱させたすえ無念の死を遂げ、それが妖鬼となって現われるので、仮面劇によってその霊をあそばせ、成仏させたというもの。

この説明を聞いてテオさんは「なるほど」と合点がいった様子。そういう背景があるとすれば、「鳳山仮面劇」の破戒僧がなぜ鬼の面をつけているのかという疑問も解けるというのだ。他の国々の仮面を使った儀礼でも、鬼の面をつけた者が舞い踊ることによってその遺恨を鎮めることが多いそうだが、韓国仮面劇の破戒僧も、まさに鎮魂の対象として鬼の面をつけていてもおかしくないというわけだ。また、野村さんの文章には、「跳躍こそは、いうにいわれぬ思いを克服する核心のわざである」という部分があるが、テオさんが見た「鳳山仮面劇」でも、鬼の面をつけた多数の破戒僧たちが集まってダイナミックに跳躍し、踊り遊ぶところが一番エキサイティングな場面だったそうで、破戒僧の遺恨を克服することがこのドラマのモチーフだとすると、納得がいくという。

そして、韓国仮面劇にこうした背景があるとすると、韓国仮面劇の儀礼的な側面とエンターテイメント性の関係についての疑問も解けそうだとテオさんは言う。つまり、小巫の魅力に惑わされる僧侶たちを、単に風刺劇という観点からだけ見てしまうと、儀礼性との関連がわかりにくいが、もともと破戒僧や小巫の遺恨を晴らすことがこの劇の主なモチーフであるとすると、鎮魂の儀礼としての素地がはっきりするのだ。

▼シャーマンと放浪芸人の深いつながり

さらに、マリちゃんが見つけたサイトで、韓国仮面劇の儀礼性と関係が深そうなものがもうひとつあるという。マリちゃんは韓国で今でも色濃く残っているシャーマニズムが仮面劇と関連しているのではないかと考え、シャーマンが行なう儀式である「クッ」について調べてみたらしい。「シッキムクッ」というサイトでは、不慮の事故で亡くなったある女子学生の霊を済度するために行なわれた儀式の様子を野村伸一さんが詳細にレポートしている。ここには亡くなった女子学生の霊のほか、祖先の霊や家の神といった他の多くの神霊たちがシャーマンの媒介によって呼び寄せられる。そして、シャーマンが行なう踊りや巫歌によってその霊たちをなぐさめ、送り返すのだ。やはり「シッキムクッ」でも、無念の想いを抱きながら死んだ人の霊を慰めることが、儀礼のモチーフになっているのである。その際の踊りや歌には演戯的な要素が強く、一部のクッでは実際仮面をつけて行なう寸劇のようなものも捧げられるという。

また、韓国のシャーマンは霊媒者であると同時に、超人間的な技を披露するサーカス芸人に近い性格も併せ持っていて、本来的に人々を楽しませる芸能的な要素があるのだそうだ。韓国のシャーマンは芸能者としても、人々を惹きつける高度な技量をもっていることがわかってくる。

ところで、先の「芸能にみるアジアの心」の中で、もともとの韓国仮面劇の担い手は、広大(クワンデ)と呼ばれる旅から旅へと渡り歩く芸能民だったと野村さんは書いている。そして、テオさんによると、この広大と女性のシャーマンである巫堂(ムーダン)は夫婦であることが多く、そのため漂泊する芸能民と韓国のシャーマニズムは不可分の関係にあったとする英語の論文を読んだことがあるそうだ。とすると、韓国仮面劇をはじめとする芸能と巫堂の行なうクッが互いに影響しあっているのも当然といえば当然だ。

韓国では16世紀頃から、それまで朝廷での行事のためにかかえられていた芸能民や巫女が、旅をして渡り歩く賎民へと化していく変動が起こったという。前にも書いたように、韓国仮面劇の登場人物たちには、こうした漂泊の民となった芸能民や僧侶、巫女の姿がやはり投影されているのだろう。

▼河回別神クッ仮面劇のカーニバル的な特徴

テオさんの疑問もほぼ解明されてホッとしていた矢先、ねばり強いマリちゃんがさらなる難問を見つけだした。「Korea Insight」の中の「Hahoe Pyolshin-gut-nori----河回(ハフェ)別神クッ戯」にある仮面の雰囲気が「鳳山仮面劇」とはまるで違って、しかも破戒僧の鬼面のようなものは見当たらないというのだ。むむ、これは困った…さっそく調べてみよう。

『韓国仮面劇の世界』によれば、他の仮面劇の仮面はその都度焼かれてしまうのに対し、「河回別神クッ仮面劇」の仮面は木製で、ご神体として神社に奉られてきたために古いものが伝えられていて、現存するのは13世紀ころ、高麗朝中葉のものだという(ということは、野村さんが紹介していた楊州の仮面劇で、鎮魂の対象になっている僧侶のシンドンより古い時代にこの仮面はつくられていることになる。つまり、鬼の面が加わったのはシンドンたちの霊を鎮魂するモチーフができあがってからである可能性が高い)。どうやら「河回別神クッ戯」は、「鳳山仮面劇」などよりもかなり古い仮面劇の形を伝えているようだ。

河回別神クッ仮面劇」によると、この仮面劇はムラの豊饒と追儺(疫病神である鬼を追い払うこと)を願って、旧暦の小正月に村人の手によって行なわれてきたお祭り。そして、「河回別神クッ戯」の名前にもあらわれているように、シャーマンが行なう儀式「クッ」と一体になっている点から見ても、他の仮面劇に較べて儀式性が強い。

また、この仮面劇を伝えている河回(ハフェ)の集落は、古くから官僚である両班の柳一族が支配してきた地域だという。ところが、「Hahoe Pyolshin-gut-nori」で劇の内容をみると、プネという美しい芸妓を破戒僧や両班、学者たちが取り合ったりする世俗的な場面が多いだけでなく、この地域の支配層である両班が下男に愚弄されるシーンも出てくることがわかる。両班が支配する集落で行なわれる儀式性が強い劇の中で、当の両班をからかう場面が演じられ続けてきたというのは、一体どういうわけなのか。

しばらく考え込んでいたテオさんが、何か思いついたように顔をほころばせた。ヨーロッパの中世で行なわれていた馬鹿騒ぎをするカーニバルでは、その時だけは秩序が普段とひっくり返って、道化が王になったりすることもあるとか。それと同じように、祭の時に演じられる、神々を呼び寄せた場での「河回別神クッ戯」では、両班を愚弄するような劇を演じても、それを咎めることはできないという考え方が根底にあったのではないかというのがテオさんの推論。こう考えると、前にみた「鳳山仮面劇」などの風刺性も、この延長にあるとみてよいのではないだろうか。

▼鎮魂の場としての能舞台

「ところで、この間私たちが観た能もまさに韓国仮面劇の起源にある鎮魂のモチーフそのものだったと思わない?」とマリちゃん。

そういえば、私たちが先日観た源氏物語に題材をとった「葵上」という演目は、嫉妬に狂った六条御息所が生霊となって正室の葵上にとり憑き、やがて修験僧の祈りによって鎮められ去っていくという話だった。夢智子が以前観た能も、戦に負けて死んだ武将がこの世に戻ってきて苦しみを訴えるという話だったから、この世に未練や恨みつらみを残した霊が鎮められて成仏するという鎮魂モチーフは能でもよくみられるもののようだ。

韓国の場合、その起源では鎮魂儀礼的だった仮面劇が、その後の発達の過程で笑いと風刺に満ちたものへと変化したのに比べると、日本の能は今でも儀式的な色合いが強く、亡霊や狂女といった異界的な登場人物が多いのが特徴といえるかもしれない。
今までそれとなく観てきた能も、韓国仮面劇と比べてみるといくつか新しい発見がありそうだ。「能&狂言 基礎編」で能のおさらいをしてみよう。

能では「シテ」と呼ばれる主人公と相手方の「ワキ」が主な役者で、非常に演者が少ないのが特徴。そして「面・装束」にあるように、面をつけるのはシテであり、これはシテが主に神や精霊、亡霊といった神霊を演じるのに対し、ワキは現実の人間役であるからだと言われている。

舞台の作りをみても、「橋掛かり」といわれる舞台に通じる渡り廊下のような場所を通ってシテが登場するのが示唆的だ。この「橋掛かり」はいわばこの世とあの世の掛け橋。「橋掛かり」を渡ってあの世の神や霊がこの世である舞台へとやってくる。
そして、さまざまな思いを舞台上で舞いと所作によってあらわし、やがて鎮められ、再び橋掛かりを通ってあの世へと帰っていくのだ。

テオさんいわく、「この神霊的な雰囲気が僕ら西洋人にとってはとても新鮮で優美なものに映るんだ」。確かに韓国仮面劇の粗野でダイナミックな感じと比べると、能は静的で優美な雰囲気を漂わせている。

▼韓国と日本の翁の仮面

観阿弥と同時代の猿楽者たち」によれば、能の直接の前身にあたる猿楽は一種の物まね芸で、観阿弥の属した大和猿楽は写実的で世間の人情や義理を扱ったものを得意としていたという。こうした物まね芸に風流な芸風を取り入れることによって、現在のような幽玄と評される能へと発展していった。つまり、猿楽の段階では、韓国仮面劇のように実在の人物を模して、世俗的なドラマが演じられていたようなのである。

しかし、「翁猿楽―猿楽の成立」をみてみると、猿楽は必ずしも物まね一辺倒の滑稽な芸ばかりだったわけでなく、現在の能でもたまに演じられる「翁」という演目のもとになった、「翁猿楽」という必ず最初に演じられる神聖な舞も一方で重視されていた。そして、興味深いことに、この際使われる翁面は韓国の「河回別神クッ仮面劇」で見た老人の仮面とよく似ていて、「切り顎」と言われる顎が動く作りになっているところまで同じなのだ。

また、猿楽や能ばかりでなく、例えば「湯原神社の式三番」や「早池峰の山伏神楽」のような今に伝わる民俗芸能にも同じ翁が登場する。そして、この湯原神社のサイトを読んでいてさらに驚くべき共通点を発見した。「翁」の最初の場面で神が降臨する際に「とうとうたらりたらりら、たらり〜」という何とも意味不明の呪文めいた言葉が唱えられるのだが、「河回別神クッ仮面劇」でも同様に最初に神を招くシーンで「タロタリ タリロ タロリタロリ〜」というそっくりの呪歌があるというのだ(野村伸一『仮面戯と放浪芸人 韓国の民俗芸能』(ありな書房)による)。

「すごい、これはもう偶然の一致とは思えないね。今のかたちを比べると全然違う劇に見えるけど、起源をたどれば、源流ではかなり似通っているんだなぁ」とすっかり興奮気味の三人。

「でもなぜ韓国では笑いと風刺に満ちた庶民的な劇へと発展したのに、一方の能は夢幻能を中心とした幽玄の世界へ傾倒していったんだろうか…」

この問題は、簡単に答えを出すには大きすぎるようだが、いままでたどってきたことからわかるのは、これは単に韓国仮面劇と能の対比ではなく、近世における韓国と日本の社会構造と伝統文化の形成のされ方の対比につながっているということだ。 近世に向かっていく時期に、日本では儀礼的な要素を帯びた庶民的な芸能であった猿楽が足利義満というパトロンと出会うことによって、優美な洗練された芸能へと発展する。日本では庶民的な文化が支配層の文化と出会って上昇し、様式化されるという形で伝統的な文化が形成された。それに対して韓国社会では、近世に入っていく時期に、芸能民や巫女が支配層から疎外され賎民化しながら、民衆の心に強く訴える、粗野だが、したたかで力強い芸能をつくりだしていった。韓国の伝統芸能はそういうアウトサイダーたちによって担われてきたのだ。

このように、日本と韓国の伝統芸能の形成のされ方を比較してみると、両方の社会構造の特徴がよく見えてくるように思う。

夢智子は、これまで何となく敷居が高い感じがして、韓国の文化に興味をもてないでいたけれど、テオさんと出会ったおかげで、隣りの国の文化をもっともっと知りたくなってきた。

「テオさんありがとう。ところで、次はどこの仮面劇を見に行くの?」

「次はバリ島にでもいって、また新たな謎を抱えて日本へ戻ってくるよ!」

また近いうち、テオさんが難問を抱えてwebmagに登場することになるかもしれない…!?

[マーク] 特集編集部への発信 [マーク] 特集編集部との交信録 [マーク] バックナンバー


文中で紹介したホームページ


ここから思いついた言葉でホームページを検索!

InfoNavigator
*半角カナは使用できません
検索のコツ


InfoNavigator HAYATEを使い
仮面劇と能」で
ホームページを探してみよう!