[特集]
No.34  雑穀と山村文化の再生
[写真]
AFFTIS CYBER MUSIUM/展示棟より
作物の花「アワ」


[マーク] 特集編集部への発信 [マーク] 特集編集部との交信録 [マーク] バックナンバー

衰退の一途をたどっていたアワ、ヒエ、キビ、ソバなどの雑穀に対する関心が高まり、国産品は生産が間に合わなくなっている。消費者の安全や健康、自然に対する関心が、農業統計にも載らなくなっていた雑穀を復活させつつある。
これまでの「米が勝り、雑穀は劣る」という価値観の背景には、山村文化の独自な個性や価値に対する軽視や蔑視があったのだと思われる。そこで、今回の特集では、雑穀の復活が山村文化の独自の価値の見直しとどのような形で結びつきつつあるのかを探ってみることにしよう。

▼雑穀の復活の動き

アワ、ヒエ、キビなどの雑穀は、貧しい食べ物といったイメージが強かったこともあって、衰退の一途をたどってきた。ところが、近年になって様相がすっかり変わって、雑穀に対する関心が高まり需要が増えて、国産の雑穀は供給が間に合わない状態になっているようだ。
西澤直行さんの雑穀の食品機能性研究は、近年のこうした雑穀の復活の背景について整理してくれている。雑穀に対する関心が高まったきっかけのひとつとして、アレルギー症状への対策がある。米・麦のアレルギーがある人の中には、無農薬できちんと栽培した雑穀なら悪影響なしに栄養をとれるという人たちがいて、そういう人たちの雑穀に対する需要があった。また、雑穀は無農薬栽培がしやすい穀物であるということも、安全志向の消費者の需要を高めた。また、味覚の面からも、白米だけ食べるのより、雑穀を混ぜて食べるのを好む人が増えている。白米と雑穀を混ぜると粘りと深みのある味になる。

こういった評価から、品質の面で安心できる国産の雑穀の需要が増え、消費地ではキロ当たり2万円以上する高価な商品になっている。岩手県が国産の雑穀の主な産地になっているが、農家から見ると雑穀は粒が小さいために収穫の機械化が難しく、手間がかかるので、高価に販売できても採算をとるのはそう簡単ではないともいう(岩手日報99年1月13日)。
また、西澤さんによると、キビ蛋白質は、善玉コレステロールの血中濃度を高める効果をもつなど、機能性穀類と言っていい性質をもつことが明らかになっているという。こうした研究が蓄積されていくと、健康のためにも、米や小麦に偏らず、雑穀も食べるようにした方がいいという考え方が今後、強まることになりそうだ。
こうして、かつての貧しい食べ物といった雑穀のイメージは大きく変わりつつある。

▼雑穀と山村文化が軽視されてきた背景

雑穀の復活の動きが出てきている現在、これをいい方向に発展させていくには、これまで、どうして雑穀はそんなに蔑視されるようになっていたのかをよく考えてみることが大事だろう。これは、コメの方が雑穀よりおいしいと思っている人が多いから、というだけではなさそうだ。山村文化が不当に軽視、蔑視されてきたこととも、関係が深いのだと思われる。
現在、多くの山村で若い人たちの大多数が都市に流出してしまい、過疎化と高齢化が深刻な形をとっている。日本社会に、山村の独自の文化を大事にする考え方が浸透していれば、事態はもっと違った形になりえたのではないだろうか。では、なぜ、山村文化が不当に軽視されることになったのだろうか。
ひとつには、近代化の過程での中央と地方、都市と農山村の関係という問題がある。日本社会は、欧米の技術や生活文化を吸収しながら急速な工業化を進めてきたが、急激な変化の過程で新しい情報や生活文化は大都市から地方や農村、そして山村に伝わるという形をとったため、東京をはじめとする大都市は就業機会が多いという点でも、新しい生活文化に接することができるという点でも若者たちを惹きつける力をもった。

それだけでなく、長い間、日本の社会や文化の基礎となっているのは、水田稲作農耕だという考え方が支配的で、水田稲作農耕とは異質な面の多い山村文化の独自な個性や価値が尊重されなかったという問題がある。
つまり、日本文化の基層についての一元的な捉え方が、長い間、支配的だった。これは、水田稲作農耕を基礎にして、日本の社会や文化はなりたっているという観念をもとにして、近代の天皇制による政治的な統合がはかられたことと深く結びついている。日本の文化や社会の伝統を庶民の生活の中で伝えられてきた伝承や風習の記録をもとにして考えていく、民俗学の祖といえる柳田国男も最初は山村の文化に関心を向けたが、晩年には水田稲作農耕が日本の社会、文化の基礎となっているという一元的な捉え方になっていった。こうした水田稲作農耕中心の考え方は、日本社会の歴史をさかのぼると、かなり古い由来をもつ。この一元的な捉え方の下で、山村文化は水田稲作農耕と異質な点が多いにもかかわらず、水田農耕文化の傍流とみなされ、劣等視され、独自の価値に目が向けられにくくなってしまった。こういったことが、「米が勝り、雑穀は劣る」という価値観の背景にあると思われる。
近代経済のなかで、山村で発展的な地域づくりを進めるのは容易ではないが、山村の風土や文化の独自の価値を大事にする考え方があり、地域の人たちが自分たちで未来を自立的に切り拓いていける条件がつくられれば、生き生きとした地域づくりの可能性も大きくなる。しかし、これまでは、事態は逆で、山村の風土や文化の独自の価値を理解していない中央の人たちがつくったプランが押しつけられ、それは当然ながら地域の発展にはつながらず、過疎化を促進する結果になってしまったところがほとんどだった。

▼山村文化/雑穀文化の見直し

しかし、上で触れた従来の日本文化の基層についての一元的な捉え方は、学術的な考え方としては、すでに崩壊している。

近年の考古学、歴史学、文化人類学などの学術研究の積み重ねを通じて、上述のような日本列島の基層文化の一元的な捉え方が批判され、多元的、多層的な捉え方があきらかに優勢になっている。日本列島の基層文化の多元的、多層的な捉え方とは、日本列島の文化や社会の幹となっている伝統を弥生人がもたらした水田稲作農耕といった単一の文化にだけ求めるのではなく、複数の異質な文化が相互作用して、日本列島の基層文化をつくりだしているという考え方だ。こうした捉え方の下では、水田稲作農耕とは異質な面の多い、山村文化の独自の個性や価値にも大きな関心が払われることになる。

また、WebMag12号特集Iターン/脱都会の暮らしでも述べたように、都会の暮らしに行き詰まりを感じる人たちが、意を決して山村に移り住んでくるという流れも生まれてきている。こうしてさまざまなところから、山村文化の固有の価値を見直す動きが起きている。
そして、雑穀文化は山村文化と重なり合うところが大きいことを踏まえると「雑穀の復活」も、山村文化の見直しのひとつの糸口になるのではないだろうか。この点に着目して、雑穀を一環とする山村の伝統的な文化について調べてみると、その独自の魅力をひき継ぎ、新たな山村の暮らしを組み立て直そうとする動きがところどころで起きていることが明らかになる。

▼焼畑と雑穀

多くの山村では、伝統的に焼畑栽培の主な作物として雑穀をつくってきた。1950年ころには、11万戸の農家が焼畑を行っていたといい、本州、四国、九州の山地の多くのところに焼畑農業があった。その後、急速に減っていき、現在はほとんどなくなっているが、今も宮崎県椎葉村で焼畑を続けている椎葉クニ子さんの聞き書きや会議での発言がインターネット上にある。
焼畑は、森林の中での循環的な移動畑作であり、森林の中に畑地を拓き、4、5年間で地力が衰えると畑地を移動させていく。放棄された畑はしだいに森林に戻り、20〜30年たつと一巡りして、再び畑地として拓かれる。森林を拓いて畑にする際に、木を伐って乾燥させてから火入れをして木や草を焼くという方法をとるために「焼畑」と呼ばれている。
畑を拓いてから、そこで4、5年間の間につくる作物のサイクルはそれぞれの地方でだいたい決まっている。佐々木章さんの日本の焼畑によると椎葉さんのところでは、1年目に作る作物はソバ、2年目はヒエ、アワ、3年目は小豆、4年目は大豆である。この作物のサイクルは「それこそ千年も前の人が決めてくれてある」もので、ためにし違った順番にしてみるとやはりうまくいかないと椎葉さんは語っている(第3回日本上流文化圏会議)。
椎葉さんの話の記録を読んでいくと、焼畑農業の伝統は、自然に逆らわず、自然に畏敬の念をもちつつ、栽培植物だけでなく多彩な森林の資源の恩恵にあずかる知恵の宝庫であることがよくわかる。
たとえば、焼畑に火入れをする時には、「これよりこのヤボ(薮)に火を入れ申す。ヘビ、ワクドウ(蛙)、虫ケラども、早々に立ち退きたまえ。火の神さま、山の神さま、火が余らず焼け残らぬよう、おん守りたまえ」と唱えるのだと言う。森の生き物たちの秩序のうちで畑の仕事がなされねばならないという感じ方が、こうした儀礼に示されている。

また、焼畑で生活をする人たちは、畑で採れた作物にだけ依存するのではなく、まわりの森の動植物についても豊かな知識をもち、それをさまざまな形で活用する。たとえば、椎葉ではウマヨイグサと言われるアセビは毒性をもち、畝の間に立てておけば虫が寄りつかなかったと椎葉さんはいう。あるいは自生する茶の木から茶を摘んだりもする。
もうひとつとても大事なのは、椎葉さんが「53年も焼畑を続けてきたのは種のことを思ってです。うちに合うものでなければ駄目だから。」と語っていることだ。椎葉さんは、植物はその土地の風土に合ったものでないとうまく育たないことを体験から学んでいて、先祖代々伝えられた風土に合った作物の種をひき継ぐためにも、焼畑を続けなければならないと考えてきたのだ。これは、農業試験所で品種改良された品種の種籾に依存するようになって久しい稲作農家とは、ずいぶんと隔たった感じ方だ。
また、ヒエは長く保存が利くというすぐれた特徴をもった穀物で、終戦後の食糧難の時代にも、椎葉さんのところの蔵には50〜60年も保存したヒエだけはたくさんあり、他から篭を背負って買いに来たという。山村は、飢饉に耐える仕組みももっていたことがわかる。このように、山村の焼畑文化は、稲作水田農業の文化と異質な自然観や資源利用の知恵をもっていることが明らかになる。

▼縄文文化と焼畑

山村の焼畑文化を調べると、水田稲作文化とは異質な点が多く、焼畑文化を水田稲作文化から派生した傍流と考えるのは不自然なことに気づく。そうした点を踏まえて、まだ大多数の人が日本列島での農耕は弥生時代の水田稲作農耕からはじまると信じていた頃に、佐々木高明さんは「稲作以前」(1971年、NHKブックス)という本を出し、日本列島では縄文後期から焼畑農業がはじまっていて、山村の焼畑農業はその伝統をひき継ぐものだという仮説を提唱した。
その後、考古学的な発掘の技術も高度になり、多数の縄文遺跡から穀物がみつかるようになり、縄文時代になんらかの形で穀物の栽培がはじまっていたという考え方が一般的になっている。たとえば、三内丸山の縄文遺跡からは、イヌビエが大量に利用されていたことがわかり、これはヒエの栽培化が進みつつある状況だったのではないかと考えられている(阪本寧男さん縄文時代と農耕の始まり)。また、縄文遺跡から、米粒が出てくる所があるがこれは陸稲に適した熱帯ジャポニカである点をつきとめた佐藤洋一郎さんは、縄文時代には焼畑による穀物栽培が行われ、その作物の中に陸稲がはいっていたと考えている(DNAで古代の作物を追う)。

このように、縄文時代に焼畑がはじまっているとする考え方を支持する考古学的な資料も出はじめている。となると、山村文化には山林資源の利用や狩猟などで縄文の文化要素を引き継いでいると考えられる点が多いが、焼畑農業という面でもつながっていることが明らかになるかもしれない。
こうした縄文文化と山村文化のつながりを示す端的な例のひとつが、ダム建設のために間もなく水没してしまう新潟県朝日村奥三面(おくみおもて)の縄文遺跡だ(奥三面バーチャル博物館)。八十二文化財団の地域文化の47号の特集山里再考「遠山」のなかで周東一也さんが語っているように、三面は、ダム建設のために移転させられてしまった山村で最近まで焼畑農業が行われていたところだ。三面集落の人たちは、800年くらいの歴史の村だと思っていたが、ダム建設をはじめる前の遺跡調査の結果、旧石器時代から縄文時代を経て1万年にわたってずっと集落が続いてきたことが明らかになったのだという。
まだ、はっきりしない点も多いが、縄文文化と山村の焼畑文化のつながり方がしだいに明らかになっていきそうだ。それは、水田稲作文化と異質な山村文化の独自の特徴を明らかにするのに役立つだろう。

▼雑穀と水車

椎葉村の場合には、焼畑がずっと続けられ、それによって山村の伝統的な雑穀文化がひき継がれている訳だが、焼畑はすでに途絶えてしまっているところでも、雑穀栽培を中心にした山村文化を見直そうという動きはあちこちで生まれているようだ。
そのひとつが岩手県久慈市にある山根六郷研究会だ。山根六郷〜夢案内によると、山根六郷とは、久慈市の中心街から20kmほど南西に入ったところにあり、遠島山の山麓に6つの集落が点在する山村だ。炭焼きがさかんな地域だったが、炭の需要が減って1955年ころから人口の流出がおこり、2500人から600人台へと人口が激減している。
山根六郷研究会の歩みによると、山根六郷研究会は、山根六郷の山村文化の魅力にひかれ、六郷の「暮らしの技や心」を伝承しようと思いたった久慈市の人たちのグループだ。その出発点は、六郷のひとつである木売内集落で牛飼いと養蚕と雑穀栽培でつつましく暮らす女性との出会いだったという。研究会の人たちは、六郷の暮らしを記録するために、「麻(いど)と暮らし」「山襞の食らし」「ふる里の源流」という16ミリ映画の三部作を制作した。
こうした活動を踏まえて、1988年には、山村の暮らしのシンボルとして、水車の復元がなされ、これが六郷の人たちが元気をとり戻すきっかけとなった。

河北新報社の特集時よ語れ 東北の20世紀(14)で、山根六郷の集落のひとつである端神の「水車(くるま)市」の様子が紹介されている。この地区の水車は20数年前に朽ちて雪でつぶれてしまったという。世帯数が減ってすっかり寂しくなってしまっていた端神でこの水車が復元されると、老婆たちがかつて集落に活気があった時代のことを思い出して元気になっていった。まず昔のように水車で雑穀をついて粉をつくってみようという気になり、さらに「雑穀料理で祭でもやろう」という話に発展していった。
祭を開いてみると、町からたくさんの人がやってきて、雑穀の料理は「自然食だし、懐かしい味だ」と好評だった。そこで、4月〜12月の第一日曜日には定例の水車市を開くことになった。
雑穀中心の山村の暮らしに劣等感をもち、町に出かけても恥ずかしくて集落の名を言えなかったりする経験をもっている端神の人たちは、最初は町の人たちが水車市にたくさんやってくるのを不思議に思ったという。しかし、町の人たちの感じ方がわかるとともに、山村の暮らしに自信をもつようになったのか、やめてしまっていた雑穀栽培を再開する人が増えているそうだ。

▼雑穀と石臼

山根六郷の場合には、水車の復活が集落の人たちに雑穀を中心にした山村文化を見直させるきっかけになった。これはかつての山村の暮らしの中で水車が大事な核のひとつとなっていたことを物語っている。では、水車が雑穀中心の山村の暮らしの中でどういう役割を果たしてきたのだろうか。
雑穀中心の山村では、雑穀をついて粉にするのに水車が使われることが多かった。コメの場合には、粉にしないで米粒の状態で食べる粒食や米粒のまま蒸してつく搗き餅が中心だが、雑穀の場合には、ヒエやアワは粒食も多いが、ソバは粉にして食べる粉食だけで、ヒエやアワも粉食の食べ方も発達している。だから、雑穀中心の暮らしでは、穀物を粉にする技術が重要になる。山根六郷の水車市の雑穀料理の内容を見ても、ヒエ飯は粒食だが、田楽豆腐、そば切り、焼きシトギ、キビ団子といったように粉食のものが多い。
山根六郷の復元された水車が穀物をどうやって粉にする技術かというと、時よ語れ 東北の20世紀(14)には、「水車の回転軸に付いた9枚の板が3本の杵を休みなく持ち上げて臼に落と」すと書いてあるから、山梨の水車にあるような、杵が石の臼の上から落ちてきて穀物をつく方式のようだ。

しかし、石臼博士と言われている三輪茂雄さんの石臼&粉体工学を見ると、近世の農山村では穀物を粉にする道具として水車と並んで、手挽きの石臼(日本の石臼)が大事な役割を果たしたことがわかる。この石臼は、紀元前数世紀に中央アジアで生まれたロータリーカーンという回転式の石臼と基本的には同じものだ(臼は亡びない)。三輪さんに言わせると、小鳥しか食べないような草の実も粉にすれば人間の食糧になるというのは、「実は人類が一万年以上も前にたどりついた偉大な発明」だと言う。そして穀物を粉にする臼の技術がしだいに高度化して、回転式の石臼にたどりついた。小麦を食べるには粉にすることが不可欠なので、ヨーロッパの技術史のなかでも、石臼が重要な位置をしめている。
しかし、日本では、回転式の石臼が、農山村に普及するのは、江戸時代のはじめになってからだ。そして、農民の生活のなかで、手挽きの石臼の普及はとても重要な意味をもった。
上で触れたように雑穀を食べるには粉にする技術が大事だが、杵と臼で搗くよりはるかに能率的に粉にできる回転式の石臼の普及によって、飢饉に耐える力を高めることになったという。
また、三輪さんによるとソバも豆腐も石臼で挽いた新鮮な粉を使うのがおいしいのは間違いないといい、手作りの味の復活とともに、石臼が再評価されつつあるようだ。

▼持続可能な農業と雑穀

これまでの探索で、雑穀が長い間蔑視されてきたのは、山村文化の独自の価値に対する不当な軽視とつながっていること、その背景には、日本の社会、文化の基礎は水田稲作農耕にあるという一元的な捉え方があることがわかった。そして、近年の学術的な研究の蓄積はそうした一元的な捉え方を批判し、日本列島文化の多元的な捉え方を支持する方向に向かっていることも指摘した。つまり、雑穀を大事な要素のひとつとしてもつ山村文化の独自の価値を見直すのによい条件が生まれつつある。それに加えて、消費者の雑穀に対する関心の高まりも、そうした山村文化の再生のための大きな動因となる。
こうして、脈絡がはっきりしてきた雑穀と山村文化の再生という課題をWebMag24号特集生きた土壌と持続可能な農業で取り上げた持続可能な農業というテーマとのつながりで考えていくのがいいと考えられる。

つまり、化学肥料や農薬を大量に使って短期的な収穫増大をはかる方式の農業に未来はないということは明かになっている。そうした認識にもとづく、持続可能な農業をめざす試みは、自然の循環を生かしたそれぞれの土地の風土に合った農業に向かうことになる。そして、長い間、山村で栽培されてきた雑穀は、山村の風土に合った作物なのだ。だから、これからの山村における持続可能な農業の仕組みの中で雑穀が大事な位置を占めるのは自然なことだと思われる。そうなっていけば、風土に合った種を後生に伝えようと栽培を続けてきた各地の椎葉クニ子さんのような人たちの努力が報われることになる。

[マーク] 特集編集部への発信 [マーク] 特集編集部との交信録 [マーク] バックナンバー


文中で紹介したホームページ


ここから思いついた言葉でホームページを検索!

InfoNavigator
*半角カナは使用できません
検索のコツ


InfoNavigator HAYATEを使い
雑穀&焼畑」で
ホームページを探してみよう!