[特集]
No.37  吉野川の住民投票 / 公共事業を考え直す
[写真]
『第十堰全景』(「吉野川シンポジウム実行委員会」より)

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こんにちは、ミドリです。それは4月14日のことでした。この日は長崎県の諌早湾で国の干拓事業のために堤防が閉め切られてからまる3年。諫早市内では「水門を開けて干潟の再生を!」と主張する市民団体や、赤潮や不漁などの被害を受けている漁業者がデモを行ったというニュースが伝えられていました。

その夜、いつものようにミドリは友達のユカリと居酒屋へ。そこでミドリがちょっと得意げに、干潟が多くの生き物の卵や稚魚を育てたり、川の水を浄化する大切な機能をもったかけがえのない場所だということ、それに諫早湾では今でもねばり強く事業の見直しを求める運動が行われていること(WebMag28号特集「干潟/海のゆりかご」、「諫早干潟緊急救済東京事務所ホームページ」参照)などを話していたら、ユカリは長いあいだ考え込む表情に。そしてこう言いだした。
「今日の新聞にも書いてあったけど諫早湾の干拓事業って“一度決めたら止まらない公共事業”の典型って呼ばれてるんでしょ?どうして公共事業って、一度決めたら止まらないの?」
うーん、ユカリらしい素朴な疑問。でも、なぜって言われてもなぁ、ミドリには答えられない。なんだか問題が大きすぎる・・・。

すると顔見知りの常連客・椎名さんが、ふたりの話に口をはさんできた。
「徳島市で今年のはじめに住民投票が行われたのを知ってる?あれなんか、もしかしたら市民の声で公共事業が止まるかも・・・って例だよ。」
このおじさん、町のはずれで古本屋さんをやってる人で、居酒屋ではみんなから「キョージュ」のあだなで呼ばれて親しまれてる。
徳島市の住民投票の話なら、ミドリも知っている。今年1月23日、吉野川に可動堰をつくる計画の賛否をめぐって住民投票が行われた。そしてその結果、圧倒的に多くの住民が計画に反対していることが明らかになったんだ。大型公共事業をテーマに住民投票が行われたのは全国でも初めてのケースだってニュースで言ってたっけ。
そんなことをミドリがユカリに解説していると、椎名さんは
「だいたいねー、今の日本は経済や政治、社会のシステムが全部行き詰まっちゃってるだろ?変わらなくちゃ!とみんなが言ってるにもかかわらず、なかなか変えられないし、変わらない。それが目に見える形で表れてるのが、公共事業なんだ。だから吉野川の投票結果は、今の日本にとって画期的なことなんだよ。ヒー、ウィック」

そうブツブツ言いながら、「今度、お店に遊びにおいでよ」とメールアドレスを書いたメモを残して、ホロ酔い加減で先にお店を出ていってしまった。

へーっ。椎名さんてなかなか面白いコトを言う。「吉野川の住民投票結果が今の日本にとって画期的だ」ってどういうことなんだろう?今までそんな風に考えたことなかったけど、ちょっと自分なりに考えてみる甲斐がありそうだ。
というわけで、ミドリは翌日さっそくパソコンの前へ。まずは吉野川で住民投票が行われることになった経緯から詳しく調べてみることにした。

▼吉野川可動堰計画への疑問の表面化

まず見つけたのは「 第十堰住民投票への軌跡・計画への疑問」という徳島新聞の記事。これを読むと、これまでの経緯の大筋がわかる。記事によれば吉野川第十堰の可動堰化計画は、河口から14.2kmのところにある現在の堰を取り壊し、その1.2km下流に、新しく可動堰を造ろうというもの。1991年に建設省が計画し、1992年には基本計画策定を目指して、予備設計や環境・生態系調査が始まろうとしていた。
しかしこの頃、建設省が、改築に伴う環境破壊を最小限に食い止める方策を検討するためにつくった「第十堰環境調査委員会」の審議内容を非公開にしたり、委員長以外の委員名をすべて伏せたことでこうしたやり方に不信感を持った市民グループが、次々に計画に対して疑問の声を挙げ始めた。のちに「第十堰住民投票の会」がつくられる原点ともなる住民グループ「 吉野川シンポジウム実行委員会」が発足したのもこの頃のことだ。
吉野川シンポジウム実行委員会」は、93年9月に徳島市で行われたシンポジウム「吉野川の自然と第十堰改築を考える」を開催するための組織として発足。環境問題として第十堰をとりあげた初めてのこのシンポジウムは大きな反響を呼び、会は存続することになった。「 いんとろだくしょん」のコーナーによれば、「はじめに可動堰ありき」という建設省の姿勢はおかしい、というのが会を存続させるにあたっての共通認識となったそうだ。会員には、断固反対の意見の人も、堰のことはよくわからないという人もいた。
そこで、会は「賛成であれ反対であれ、流域全体に大きな影響を与えるこの問題には、多くの県民が関わらないと駄目だ」「できるだけたくさんの流域住民が事実を知ったうえで、住民自身が判断することが必要だ」という考え方のもと、住民を川に引っ張り出し吉野川の良さを知ってもらうための機会として、カヌー下りや自然観察会、たこ上げなどのイベントを繰り返し実施したそうだ。吉野川の干潟は、ラムサール条約の「シギ・チドリ類に関する湿地ネットワーク」に指定された貴重な生き物の宝庫でもあるという。こうした川の姿を目の当たりにし、実際に体感することで住民の関心が急速に高まっていったというのもうなづける。

▼テストケースとしての事業審議委員会

この時期、長良川河口堰問題をきっかけに、ダム・堰建設事業に対する批判的な世論が全国的に高まっていた。建設省は、「一度決めたら公共事業は止まらない」という批判に対する建設省なりの改善策として、97年に河川法を改正。住民の意見を反映させるために「ダム等事業審議委員会」というのを設け、建設計画をつくる過程に組み込むことにした(建設省のサイト「 公共事業の10の論点/ダム等の建設事業においては、住民の声を十分に取り入れていないのではないか」)。

そのテスト版にあたる審議委員会が、吉野川では第十可動堰事業を検討するため95年に始まっている。(吉野川第十堰建設事業審議委員会の記録等は「 建設省四国地方建設局 徳島工事事務所・第十堰」でみることができる。)

では、吉野川の審議委員会はテストケースとしてどんなものになったのだろうか?
結果的には「住民の意見を聴く機会をつくった」というアリバイづくりのような場になってしまったようだ。住民側が望んでいた場、つまりそれまでの経緯にとらわれずにさまざまな立場からの議論を尽くし、説得的な選択肢を選ぶという場にはならなかったのだ。
その原因のひとつは、委員会メンバーの人選にあった。委員は、県知事が選ぶ仕組みになっている。徳島県知事は吉野川の可動堰を計画通りに進めようという考え方だったので、そういう結論になりやすいよう、計画に批判的な人は委員に入れなかったのだ。しかも委員会の内容は当初、非公開とされていた(住民グループの批判を受けてのちに公開される)。
審議委員会での検討は2年9カ月に及び、専門家6人による技術評価報告を2回、地域住民の意見を聴く公聴会を3回開催し、1998年7月の第14回委員会で県知事が望んだとおり「可動堰改築は妥当」とする最終意見をまとめた。

▼建設省と批判派の対立点

審議委員会がつくられることによって、曲がりなりにも建設省や県知事と計画批判派との主張の違いが明らかになっていった。しかし、建設省側の議論は可動堰化を前提にしたもので、環境への影響などについて住民側からの批判に対して言い逃れの工夫をするという色彩が強かったようだ。
そこで、批判派の住民グループは、建設省と批判派側の対立点はどこにあり、どういう選択肢がありうるかを冷静に整理してみるという作業をすすめた。「 吉野川シンポジウム実行委員会」にある「 おぴにおん〜可動堰計画、ここが疑問だ!〜」の「 第十堰問題とは何か」に、争点が整理してある。
これによると、どうやら現在ある第十堰に対する評価が建設推進派、批判派、双方の考え方が違う大きなポイントになっているようだ。
第十堰は、江戸時代中期に農業用水確保のため農民の手で造られたものを原型に、昭和40年代にはコンクリートによる補強が行われるなどの手を加えられながら、現在まで維持されてきたものだそうだ。貯水機能を持たない堰で、写真を見ると、例えば長良川河口堰のような堰とはまったく違って素朴な感じだ。
同じコーナーの「 柔構造と剛構造」を読むと建設推進派は第十堰への評価が低いのに対し、批判派は「第十堰は未来に持続可能な柔構造の優れモノ」だと考えているのがわかる。
柔構造とは、自然の力にあまり逆らわず、あまり無理のない範囲で流れを制御しようという柔軟な構造の考え方。第十堰はそのモデルケースとなりうるというのが批判派の主張だ。一方、可動堰は大量の資源とエネルギーが必要な複雑な技術を使い川の流れを力づくで支配しようとする、つまり柔構造とはまったく逆の剛構造ということになる。
そうだとすると、柔構造の考え方は、 WebMag16号特集「魚の目から見た「生きている川」」で書いた川の見方に近いようだ。

批判派は、可動堰化による環境破壊を大きな問題と考えてきたため、建設省がこの事業についての環境アセスメントをどのような形で行うかが大きな関心事だった。ところが建設省は、環境アセスメントの中で代替案との比較検討を行わないという姿勢をとっため、住民グループは独自に「 吉野川第十堰市民アセスメントの会」をつくり、可動堰と代替案をくらべる作業を行った。この会では、「第十堰を補修する案」「第十堰の直上流に固定堰につくる案」の2つの代替案をつくり、建設省の可動堰の計画と比較検討している。
その結果、代替案の方が環境や景観への影響が小さく、治水面でも効果的で建設費用や維持費もずっと少なくてすむことがわかったという。
住民側がこのように具体的に議論を煮詰めていったのに対して、建設省側は噛み合った議論をしようとしなかった。建設省側への不信が強くなっていくのは当然だろう。

▼住民投票の実現までの紆余曲折

ところで「第十堰建設事業審議委員会」が計画は妥当と結論づけたあと、どんな経緯をたどったかというと、この結論を受けて徳島市長が可動堰建設推進の立場を鮮明にし、県議会や徳島市議会のほか、流域の一市九町議会も計画促進の議決をした(「 徳島新聞/民意はどこに〜第十堰住民投票請求・上」)。「一度決まったことだから、やろう」という大きな流れだ。
これに対し批判派の住民グループは、十分な議論がされていないとして同年(98年)9月に「第十堰住民投票の会」を発足させた。会の目的は、可動堰化計画に対する住民の賛否を明らかにすることと、河川整備計画に住民の意見を反映させること。

「はじめに可動堰ありはおかしい」「反対であれ賛成であれ、できるだけ多くの流域住民が事実を知ったうえで住民自身が判断することが必要だ」という思いが、住民投票の実施に向けて動き出した原動力だろう。

こうして101,535人(有権者の48.8%にあたる)もの住民の署名が集まり、市議会に直接請求した条例案は、1999年2月の徳島市議会臨時会で審議される。しかし、結果は否決。ここまでの運動にもたいへんな労力を費やしただろうに、この結果にも反対派はまだ住民投票の実現をあきらめなかった。「第十堰住民投票の会」は、4月の市議選で過半数の条例賛成議員を当選させ、議員提案で住民投票を実現する方法に作戦を切り替えたのだ。
市議選は住民投票条例が最大の争点となった。そして選挙の結果、過半数の条例賛成派が当選し、計画推進を決議していた徳島県議会や徳島市議会に衝撃を与えた(「 徳島新聞/第十堰住民投票への軌跡・条例制定」)。
こうしてようやく住民投票条例は議員提案により6月に徳島市議会で可決。この時可決された条例案は、実は住民が直接請求した時の条例案とは違い、議会のかけひきの結果、投票率が50%未満だった場合は開票をしないという高いハードルが課されていた。しかし、今年実施された住民投票は投票率54.995%、可動関化計画賛成9,367票、反対102,759票(91.65%)という結果が出た。

批判派がねばり強い努力を重ねた結果、住民の意思表示の機会をつくることができた。その結果、公共事業のすすめ方について、自治体の長や住民の代表であるはずの市議会、さらには県議会の決議が、住民の意思とは反対の方向を向いていたことがはっきりしたのだ。
そもそも公共事業は税金を使う事業なのだから、納税者の意志に従って事業をやるのが当然。どうして建設省や市議会、県議会は多くの住民の意思と逆の方向を向いていたのだろう?すごくヘンなのがわかる。公共事業をめぐっては、行政や議会の判断を狂わせる何か奇怪な力が働いているように感じてしまう。

▼奇怪な力学がはたらく公共事業

そうか、もしかしたら今回の住民投票は、公共事業のこの奇怪さをはっきりさせたところが画期的だということなのかもしれない。そう思って、ここまで調べてきてミドリが感じたことをいろいろと書いて、椎名さんにメールを送ってみた。タイトルは、「怪物が棲む公共事業」。奇怪な力が働いていることを「怪物が棲んでいる」とミドリ流に表現してみた。
すると早速、椎名さんから返事が届いた。
「怪物が棲むとは、なかなか言い当ててるかもしれん。今度の土曜日にでも、一度わたしの店にお茶でものみにいらっしゃい。話の続きをしよう。
そうそう、公共事業をめぐる無駄と闇について、いろんな事例をもとに、なかなか力のあるレポートが読めるホームページがあるから、それまでに読んでおくといいよ。怪物の正体をあばく手がかりになるかもしれない。」
おおーっ、怪物の正体をあばくだなんて、面白そう。ユカリも誘って椎名さんのトコに行ってみよう。でも、その前に椎名さんのメールにあった河北新報の「 検証・地域から問う公共事業」にアクセスしてみなきゃ。

検証・地域から問う公共事業」は、河北新報で特集された記事をまとめたページ。結構なボリュームだけれど、一気に読んでみた。
これを読んで思ったのは、国から公共事業の予算をたくさんとってくることをよいコトと思う、ひっくり返った認識が地方自治体や議員にあるのではないかということだ。納税者からすれば、必要な分だけ税金を納めて、自分たちに是非必要な事業だけをするというのが本来の姿だろう。ところが地方自治体や議員は、もともと誰のお金かということを棚にあげて、中央の役人が決めた公共事業を国から少しでも多く自分のところにもってくるという競争をしなければという意識でいるみたいだ。
そして国の直轄事業の場合に中央官庁で事業計画が決定されるだけでなく、国から補助金をもらって地方自治体が行う補助事業も、補助金にさまざまな条件をつけることで事業の内容が中央官庁にコントロールされているという。こうしたしくみで、中央官庁と地方自治体の上下関係、主従関係がつくられているのだ。
例えば「 検証・地域から問う公共事業/「失速」農道空港」には、農道空港の話が出てくる。福島県北地域の農業振興の一環として、首都圏に農産物を空輸して付加価値の高い産物づくりを目指すという目的で、総事業費30億7000万円(国が45%、福島県が約30%、市が約25%を負担)という多額のお金をかけて空港をつくった。ところが、輸送コストの問題から、受益者であるはずの農業関係者にも役に立たないと評価され、ほとんど利用されずにいるのだ。農水省の土地改良事業の一つである「農道空港事業」の候補地に市が立候補した形で計画は決定し、建設がすすめられた。しかしもとをただせば農水省の主導で始まり、県が推進役となって行われた事業のようだ。事業費が財政に重くのしかかる市では、今になって市が望んだ事業ではないと言いはじめている。

市側が本当は必要ないと思っている補助事業でも、中央官庁に押しつけられるとノーとは言えないという上下関係の現れだろう。市は、市民の方を見ずに、官庁や県の方を向いた判断を下していたということだ。他の例をみても、こうした事例は珍しいことではない。

ひゃぁぁミドリには想像もつかないくらい大きなお金が何の役にも立たないことに使われて、誰もそれを止めることができないなんて、なかなかおそろしいことになってるなぁ。よし、椎名さんには河北新報の記事を読んだ感想と一緒に、今度の土曜日に遊びに行くって返事をしよう。ユカリにもこれまで調べたことを書いたメールを送って、一緒に行こうって誘ってみよう。

▼公共事業という阿呆船

土曜日、椎名さんの古本屋さんの隅っこで、ユカリはちょっと怒った表情で話し始めた。その会話を再現してみると・・・。

ユ「ミドリのメール読んだよ。こんな馬鹿なことがまかり通ってるなんて、ユカリは税金を払っている立場として許せない。でもね、どうして今まで納税者は、こんな状況を許して来たんだろう?」
ミ「メールにも書いたけど、議員はお金、つまり公共事業をいかに多く持ってこられるかを競っているわけ。これって「お金を地元にたくさん持ってきてくれる議員が役に立つ議員だ」って有権者が思っているからこそ、そういう人を当選させてる訳だよね。
GK-21st/公共事業とは何か *インタビュー:橋爪大三郎教授*」には、ホントはお金を上手に使ってくれる人を選ばなきゃいけないのに、って書いてあったよ。」
椎「うん、ミドリちゃんの言うようにたくさんお金を持ってきてくれる議員を支持してしまう理由のひとつには、大多数の地方自治体がお金を国からの補助金と地方交付税というかたちで受け取れることにあるかもな。自分たちの地方で税金として納めた以上のお金が返ってくるわけだから、できるだけたくさんもらわなければ損という意識に多くの地方住民はなりやすいんだろう。」
ユ「じゃぁ、大都市に住んでいる人たちは?」
ミ「 GK-21st/公共事業とは何か *インタビュー:橋爪大三郎教授*」には、都市の人は、納税している認識自体が薄いって書いてあった。確かにミドリ自身もそうだなぁって思ったよ。だいたい、税金がどう使われてるかも知らないし。」
ユ「地方でも都市でも、本来であれば、税制や税金の使い方を決めるのが議会の役割のはずだよね。ということは、みんながその点についての議員の考え方を知ったうえで、どの議員に投票するかをちゃんと考えなくちゃいけないってことだね。」
椎「そうだね。ただ、大きな予算を使う公共事業について議員が国会でちゃんと審議をしていると思ったら大間違い。実は、そもそも国会では公共事業の具体的な内容についてほとんど審議していないって知ってる?日本弁護士連合会の「 環境保全と真の豊かさの実現に向けて公共事業の適正化を求める決議」にも書いてあるけど、中長期にわたる公共事業計画は閣議決定(つまり行政の中での決定)されるだけで国会では審議されない。それだけでなく、各年度の予算審議でも、個々の公共事業をチェックする審議はできにくい仕組みになっている。予算書は大括りで、個々の公共事業にどれだけのお金が配分されているかは具体的にわからないんだ。
間接民主主義があるから、吉野川の住民投票のような直接民主主義は「民主主義の誤作動」だとか言う人がいたりしたけど、国会で事業予算がちゃんと審議されていない以上、公共事業について現状では間接民主主義なんて存在してないんだよ。」

椎名さんのこの言葉を聞いて、ミドリもユカリも口をあんぐり。一体どーなってるの、この国は???二人の表情を見て、椎名さんはまたおかしなコトを言いだした。
「だからね、公共事業をめぐる日本の現状は「阿呆船」なんだ」
そう言って椎名さんがお店の棚から持ってきたのは「 阿呆船」というタイトルの一冊の本。セバスチャン・ブラントという人が書いて16世紀に全ヨーロッパでベストセラーになったもので、一群の阿呆が船で阿呆国へ航海するという物語なんだとか。この船に乗っている各種の阿呆たちは、船が阿呆国に向かっているのに平気で飲んだくれているんだそうだ。

椎「そう、みんなで阿呆船に乗っちまってるんだよ。」
ユ「公共事業に棲む怪物を追いかけてたら、いつのまにか、わたしたち自身が公共事業の阿呆船に乗ってることに気づいたなんて、なんだか笑えないオチになりそう・・・。」
ミ「あちゃー、このままにしておくと船はとんでもない所に行っちゃうかもしれないじゃん。…でも、わたしたちも乗ってるんだとすれば、ほんとうの阿呆ばかりということでもないんじゃない?なんとか方向転換できそうなもんだけど…。」
椎「そうそう。乗りこんでいる人たちが、この船がへんなのに気づいて、どうやって自分たちで行き先を変えられるかが問題なんだよね。その糸口は、いろいろ見えてきているんじゃないかな。」

▼阿呆船の進路変更の可能性

ユ「阿呆船の行き先を変える糸口として、吉野川の住民投票の意味をよく考えてみる必要がありそうだね。いままでの選挙の時には、公共事業をたくさん持ってくる議員に投票するというパタンの有権者が多かったんだろうけれど、可動堰をめぐる住民投票で多数の住民が可動堰に反対という意思表示をする結果になったのはどうしてなんだろう?」
ミ「批判派の住民グループがしたように、争点を明らかにして熱心に議論を重ねた結果、大金のかかる大規模な公共事業を国にやってもらうことが良いことだという認識が間違ってたことに気づいたんじゃないかな。可動堰の建設は川の景観を大きく変え、環境に悪影響を及ぼす。安全に川とつきあえるもっと違う方法があって、大切な税金もそれほど多く使わなくていい方法があるなら、そっちの方がいいって多くの人が思ったんだよ。」
ユ「この問題について、みんなが時間をかけてちゃんと議論をしていくうちに、公共事業についてひっくり返った意識がまともな意識になっていったということだね。」
椎「批判派の人たちが自分たちの身近な川を見直してもらう活動を重ねたんで、お金をかけた巨大な公共事業が身近な自然を破壊してきたことをみんながひしひしと感じるようになったんだろう。」
ユ「阿呆船の乗組員のなかで、納税者が行き先がヘンなのに気づくきっかけはわかってきたけど、それじゃぁ、他の乗組員、国や地方の役人たちは、絶望的なのかな?」
ミ「国も自治体もひどい財政危機になりはじめているみたいだから、まともな経営感覚のある人なら、今までのような事業のやり方を続けられる訳がないのは、わかるはずだよね。地方自治体の長のなかには、危機意識をもって、今までの行政のひっくり返った意識を自覚して方向転換しようとする人が出てきているみたい。 三重県では、知事が音頭をとって、県で実施する事業の成果を数値化してチェックする取り組み(「事務事業評価システム」)を全国ではじめて導入したんだって(「 中国新聞・自治体クライシス」の「 第8部地方からの実験:事業評価(4)成果数値化しチェック」)。
それから、 大分県臼杵市では単年度の収支だけを記録するこれまでの決算方法じゃなくて、一般の企業と似たようなバランスシート(貸借対照表)を作って長期的な視点で財政状態がわかる会計制度の導入をしたって書いてあるよ(「 第8部地方からの実験:経営感覚(3)財政運営に貸借対照表」)。
ユ「行政では今まで、単年度の収支しかわからない状態だったなんて、まったく阿呆船そのものね。」
椎「それでもまぁ、自治体の長のなかには、まともな経営感覚の人も少しは出てきているよね。たけど、中央の省庁のひっくり返った意識が変わる気配はあんまりないみたいだ。たとえば「 第9部国と地方:補助制度の弊害(4)農水・建設 2つの下水道」にも書いてあるように、各省庁から自治体へのひもつきの補助金がたくさんあって、このことが各省庁と自治体の上下関係を維持する要になっている。しかし、どんなに批判をされても、各省庁は補助金制度をあまり変えようとしていないんだ。こんな様子を見ると、阿呆船の行き先を変更できるかどうか、楽観できないな。」

     *    *    *

う〜ん、公共事業はミドリにとってすっごく大きなテーマだったけど、ひとつはっきりしたことがある。それは、きちんと議論をして何が最良の方法か考えるということを、事業ひとつひとつについてしっかりやれば、最初からあんまり間違ったことにはならないんじゃないかってことだ。

国会や県議会、市議会でも個々の公共事業についてきちんと議論できる仕組みをつくっていけば、たいぶ風通しがよくなっていくのではないかと思う。

ところで、来年は諌早湾の干拓事業が5年目を迎え、時のアセスメント(「 この10年・1997年の流行語」参照」)という政府が設定した事業再評価制度の対象になる。果たして、既成事実にとらわれない再評価ができるかどうか、目が離せないところだ。 長崎県諫早湾干拓事業に対する見解を書いたホームページには、「干拓は諫早湾の宿命」なんて書いてあって、「はじめに干拓ありき」の姿勢がありあり。ちょっと心配だなぁ。

さて、今月の特集はいかがでしたか?みなさんからの感想をお待ちしています!

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