[特集]
No.42 
迷走する愛知万博と海上の森の活かし方
[海上の里]
『海上の里』

[マーク] 特集編集部への発信 [マーク] 特集編集部との交信録 [マーク] バックナンバー

 2005年の愛知万博の会場づくりとその後の大規模宅地開発が、豊かな落葉広葉樹林からなる大きな里山である海上の森を大がかりに破壊しようとしていた。しかし、ねばり強い反対運動とそれを踏まえたBIE(博覧会国際事務局)の批判によって、その計画が大幅に変更され、海上の森の大きな破壊をまぬがれることになった。
 住民たちは、今後、豊かなこの森をどのような形で活かしていこうとしているのだろうか。

▼海上の森を歩く

 名古屋の中心部から東へ約20Kmの距離に位置する海上(かいしょ)の森は、猿投山(さなげやま/629m)から北西に降りてきた裾野にあたり、展望のいい物見山でも300m強の高さの丘陵地で、約540haという大きな森だ。愛知県でも、人工造林や里山のゴルフ場や宅地への開発が急速に行われてきたため、これだけの大きさで落葉広葉樹林を中心とした森が切れ目なく続くところは、海上の森を中心にした猿投山のまわりだけになってしまっているという。海上の森から海上川、寺山川、屋戸川など小さな川がたくさん流れ出していて、これらが矢田川に流れ込み、さらに庄内川と合流して伊勢湾に達する。海上の森は矢田川の源流域のひとつになっている。

 東海地方で9月10〜12日の記録的な大雨が降った後の週末、私たちWebMag編集部の何人かのチームで、宮永正義さんに案内していただいて、海上の森を歩いてみた。宮永さんは、この間の万博反対運動の中心的な役割を果たしてきた一人だ。
 この日も大雨になりそうな予報だったので、ぬかるんだ山道を歩くことになるのが心配だったが、「雨でも歩きやすい道だから、大丈夫」という宮永さんの勢いに励まされて、森に出かけた。四ツ沢から森に入り、見晴らしのいい三角点から、南地区の万博会場予定地のあたりを眺め、尾根をくだって赤池に出た。赤池から、もともとの計画では万博会場の中心地である弘法堂のあたりに出る道は数日前の豪雨で崩れ通れなくなっていたので、吉田川沿いに歩き一度森の西縁の集落に出た。それから、出発点の四ツ沢に戻り、瀬戸大正池や弘法堂のあたりに向かうというコースだった。
 雨がしとしとと降り続いたが、森の中の道は砂利状のところが多く水はけがよくて、歩きやすく、足もとをあまり気にせずに、雨の中にしては気持ちよく歩くことができた。この道は、集落どうしを結ぶ古くからの道だといい、あちこちで分岐しているのでなれない者だけだったら、すぐに迷ってしまいそうだ。おなじ里山でも、先日歩いた三重県の赤目の森に比べると、道の周囲の樹木がそれ程繁っている感じではなく、明るい感じの森が多いようだった。アカマツと落葉広葉樹が混じっているあたりでは、道沿いの林床にコシダの群落が続いていたりするのも珍しかった。
 四ツ沢から森に入ってすぐの所には鎌倉時代の焼き物の窯の後があり、森のあちこちに古窯があり、瀬戸焼きの歴史を考える上でも重要な地域であることがうかがえた。

▼多種多様な鳥がやってくる海上の森

「海上の森」の生き物たち「のぞみオープンハウス」より)
『オオコノハズク』『ムササビ』
 池にはカエルがいたり、小さなハッチョウトンボらしいのが飛んでいたり、吉田川沿いの道ではサワガニが道に出てきたりしたが、雨で鳥たちは静かで、アオゲラの声が聞こえたくらいだった。それで、それぞれの季節の海上の森の生き物たちの魅力について、宮永さんの話に耳を傾けながら歩いた。

 宮永さんは、野鳥を見に行くのが大好きな少年だったが、名古屋市内で学習塾を経営するようになってからは急がしい日々を過ごしてきた。10年ほど前に、海上の森に行くようになってこの森の魅力にとりつかれ、人生観がすっかり変わってしまったという。海上の森に通うと、野鳥マニアが憧れるような鳥をつぎつぎに見つけることができるし、自然の豊かさに鋭敏になってくるからだ。
 春から夏にかけては、オオルリ、サンコウチョウ、サンショウクイなどの夏鳥が南からやってくるし、寒くなると、ジョウビタキ、アオジ、カケスなどがやってくる。オオタカ、カワセミ、フクロウ、アカゲラなどは一年中、この森に棲んでいる。
「海上の森」の生き物たち「のぞみオープンハウス」より)
『ギフチョウ』『ハッチョウトンボ』
 パンフレット「海上の里を世界遺産に」によるとこの森には、1000種に近い植物、2000種以上の昆虫、120種以上の鳥類が観察されるというから驚きだ。そのうち、レッドデータブックに載っている植物はキイムヨウラン、シデコブシなど21種、動物はギフチョウ、ダルマガエルなど4種、鳥類はヤイロチョウ、オオタカ、サンショウクイなど7種だ。レッドデータブックに載っている鳥類は全部で106種だから、この点からも海上の森にくる鳥のバラエティーの豊かさがわかる。
 この森の生き物たちの季節ごとの魅力は、「のぞみサイクルオープンハウス/海上の森の詩」を見るとよくわかる。

▼貧栄養の山砂利層に多い稀少な植物

 この森の多様性について「海上の森一帯は、里 山自然の宝庫ともいうべき場所である。多様な生息・生育場所がモザイクの ように組み合わされたシステムとしてのまとまりのよい里山がそこには奇跡的に残されている。」と鷲谷いづみさんは語っている(「生態学から見た日本の里山と海上の森の特性」)。そして、多様な生息・生育場所のモザイクがつくられる重要な背景として、異なる地質の組み合わせがあるようだ。
 「海上の森生態研究の会」「地質」によると、海上の森の基本的な地質は、花崗岩からなり、その上に河川堆積物である山砂利層が載っている部分があるのだという。花崗岩の地域は肥沃な土壌になり、コナラやアベマキを中心とする豊かな落葉広葉樹林になっている所が多い。それに対して、山砂利層のところは土壌ができにくく、貧栄養の土壌でも育つアカマツなどが多い植生になっている所が多い(「植生」)。
 海上の森の山砂利層は、風化しにくい岩石からなっているために、植物が成長するために必要な栄養塩類(岩石に含まれる)が供給されにくく、また透水性が高いため、植物が生育しにくい貧栄養の条件にあるからだ。

 森の中での花崗岩の地域と山砂利層の分布がどうなっているかというと、森の西側の屋戸川と寺山川の流域は広い部分が山砂利層になり、標高が高くなる東側は花崗岩の地域が多く尾根のところに山砂利層が載っている(「地形」)。この分布からすると、今回、私たちが歩いた部分の多くは山砂利層だったことになり、そのため雨の中でも歩きやすかったことがわかる。また、あまり木が繁っていない明るい森だと感じたのも、貧栄養の土壌のところが多かったせいなのだろう。
『シデコブシ』
「のぞみオープンハウス」より)
 そして、興味深いのは、貧栄養の条件にある山砂利層の部分に貴重な植物が多いという点だ。東海地方の湿地に固有の植物群は貧栄養の土壌で育つため、海上の森に稀少な植物がたくさん見いだされると鷲谷さんは言う。たとえば、レッドデータブックに載っているシデコブシは、主に山砂利層のところに分布している(「生態系アセスへの提案」)。

 こうした地質の違いからすると、海上の森は里山といっても、森林資源の利用の条件は一律には論じられないことになる。花崗岩の地域の豊かな落葉広葉樹林では、木を伐採してもすぐに新しい芽が出てくるので、里山としての森林資源の活用が可能だが、貧栄養土壌の山砂利層のところでは、そうした形の森林管理は難しいのだろう。

▼オオタカの営巣の発見

 愛知万博の海上の森の会場計画の大幅な見直しの大きなきっかけになったのは、海上の森でのオオタカの営巣の発見だ。宮永さんも、この発見に直接に関わった一人だ。宮永さんが森に出かけてオオタカの営巣に気づいたのは、99年4月12日のこと。第一発見者だった村瀬さんたちの調査に、宮永さんは協力した。26日の専門家による確認は失敗に終わり、29日には、諦めきれない村瀬さんが単独で森に入った。麓で長時間待っていた宮永さんたちの所に、村瀬さんは満面の笑みで戻ってきて、「やった、やった」と皆で手をとり肩をたたきあった(宮永さんの「週刊金曜日」掲載原稿)。
 野鳥の会の幹部たちは、「巣立ちを確認してから公表」と主張したが、宮永さんが強硬に主張して、30日に記者会見を開くことになった。この段階で営巣が確認されたことを公表したために、密猟されることになっては困るので、「オオタカ密猟バスターズ」を結成し、監視することにした。7月2日まで63日間に延べ371名がこの活動に参加した。宮永さん自身も、5月には27日間、6月には17日間、森に滞在したという。
 万博反対のために、県民投票条例制定の直接請求の署名、県知事選などありとあらゆることをやりながら、いずれも実を結ぶに至らず、宮永さんたちは行き詰まっていた。そういう時点のオオタカの営巣の発見で、局面は大きく動きだし、海上の森の万博会場計画の中枢部分が縮小されることになった。
 県の財政状況から見て、もともとの計画の規模の工事を行うのは困難だと県の内部でも考えられるようになっていたため、オオタカ営巣発見は、規模を縮小するちょうどいい理由になったようだ。

 オオタカの営巣発見が万博会場計画に大きな影響を与えたのは、猛禽類が生態系の豊かさを測る重要な尺度と見なされるようになっているからだ。
 猛禽類の中で、イヌワシやクマタカは山岳地帯に棲息するのに対して、オオタ カは人間の生活圏に近い山麓や丘陵地帯に棲息し、海上の森のような豊かな里山にも棲む。「日本自然保護協会/猛禽類生息地の保全」)に書かれているように、猛禽類には動植物が食べる食べられるという関係の食物連鎖の頂点に立っているものが多いため、たくさんの動植物の裾野があってはじめて生きていける。つまり猛禽類が棲息しているということは、豊かな生態系が維持されていることを意味する。イヌワシやクマタカ、オオタカを守ることが重要なのは、稀少な種を守る必要があるというだけでなく、こうした猛禽類が生きていける豊かな生態系を保持することが大事だからだ。
 海上の森では、オオタカだけでなく、ハチクマ、ハイタカ、サシバ、フクロウ、オオコノハズクなど多数の猛禽類が観察され、この点からもこの森の生態系の裾野の広さがわかる。

▼BIEの警告と愛知万博検討会議

 99年4月末にオオタカの営巣が確認され、これがきっかけになって万博会場の縮小プランが県や博覧会協会から出されるようになったが、ついで、愛知万博の計画に対するパリに本部をもつBIE(博覧会国際事務局)の批判が明らかになり、大幅な計画の変更が避けられなくなった。
 2000年1月14日の中日新聞が、99年11月にBIE幹部が来日した際に、愛知万博のプランに厳しい警告をしていたことをスクープした。万博会場のための海上の森での土木事業は、跡地を大きな住宅地にする計画と一体になっていたのだが、こうした20世紀型の大規模な土地開発と一体になったプランでは、世界を説得できないと、BIEは指摘した。また、「愛知万博への出展は環境破壊の手助けになる」と自然保護団体が批判すれば、多くの企業はスポンサーになるのをやめるに違いないと警告したのだ。

 こうした事実が明らかになるとともに、愛知県と通産省も従来の姿勢を大きく変えざるをえなくなった。3月末には、愛知県は、海上の森での住宅開発を断念する。そして、愛知県と通産省、博覧会協会は、全国的な組織をもつ自然保護3団体(世界自然保護基金(WWF)日本委員会、日本自然保護協会、日本野鳥の会)と話し合い、万博会場の見直しのために、「愛知万博検討会議」を発足させることになる(「中日新聞/4月29日」)。この会議は、県、通産省、博覧会協会のほか、自然保護3団体、地元の住民、市民団体など「地元関係者」、「有識者」といったメンバーで構成されることになった。
 この検討会議には、それなりに幅広いメンバーが参加し、それぞれの立場からの議論が深められることが期待されたが、合意を急いでかなり強引な会議運営になってしまったようだ。その内容は、「EXPO2005/愛知万博検討会議」の議事録に収録されている。

 この会議での議論を経て、当初の計画では海上の森を使う万博会場が約140haだったのが、10.35haまで減らされることになった。貴重な動植物が多いことから、とくに問題になった海上の森南地区の会場面積は0.65haにとどめられることになった(「中日新聞/7月25日」)。

▼検討会議の合意に対する反発

 マスメディアでは、この検討会議の合意が、画期的な出来事として伝えられた。私たちも、愛知万博の開催には賛成できないものの、海上の森の大きな破壊が防げたことはいいことではないかと思っている。
 しかし、現地に足を運んでみると、愛知万博反対の運動をしてきた人の間では、検討会議に対する反発がとても強いことがわかった。たとえば、「いんたーねっとばんぱっくん」の「そんな『21世紀型』なんて糞くらえだ」 を読むと、そういう雰囲気がどこからきているか、納得がいく。
『弘法堂のところの立て看板』
 このコラムの著者のいしっとさんは、ひさしぶりに知人と会うと「海上の森も守られるみたいやし、よかったねぇ。」というようなお祝を言われて、気分を悪くしているという。こういうことを言われると、マスメディアを通じて流れている「検討会議の画期的な成果」というイメージを思い浮かべて、苦々しい思いがするのだ。

 その背景にはつぎのような事情がある。万博による海上の森の破壊を批判してきた自然保護派は大まかには、万博そのものに反対の立場の人たちと、海上の森の破壊を小さくできれば万博そのものは容認する立場の人にわかれる。そして、検討会議では万博推進派と自然保護派が論じあったと報道されているが、検討会議のメンバーになり最後まで会議に参加した自然保護派は、万博容認の自然保護派の人たちだったようだ。(後でも触れるように、海上の森を万博会場とはせず、エコツーリズムだけに活用することを主張したグループは、検討会議の運営方法に異議をもち、途中から欠席した。)
 検討会議は、万博会場のうち海上の森の部分の考え方について検討して、万博会場の変更プランをつくるためのものとして設定された。参加メンバーが選ばれる経緯は不透明だが、県、通産省、博覧会協会と自然保護3団体の合意事項には、「愛知万博のあり方に対する明確なビジョンをもった人を選ぶ。」と書かれているから、はっきりした万博反対派はメンバーからはずされたのだと思われる。
 といった点から見ると、いしっとさんが書いているように、検討会議が市民の多様な立場の代表からなるとは言えず、検討会議の合意が「市民の合意」だと強調する谷岡委員長の発言に、万博反対派の人たちが反発するのも当然だろう。
 それだけでなく、谷岡委員長は、中日新聞の記事によると、第8回の会合の後「無責任で建設的でないと言われる市民が約束を果たし、能力を示した」といった発言をしたという。これはまるで、検討会議に参加した人たちは建設的だが、万博反対派は無責任だと言っているかのようにも受け取れるから、とてもフェアーな言動とは言えない。

 愛知万博は環境をテーマにする環境博だというが、ハノーバーの環境博の苦戦からもわかるように、環境というテーマと万博という大型プロジェクトの発想や方法とはそもそも相容れないのではないかという基本的な疑問がある。それに、「万博フィージビリティ・スタディ中間報告」に書かれているように、財政破綻の状況にある愛知県が、大きな赤字になる可能性の強い愛知万博のために巨額の資金をつぎ込むことを批判し、万博開催をやめた方がいいという主張は、責任ある市民のひとつの立場だと思われる。そういう点からすると、谷岡委員長が万博反対派に対して無責任で建設的でないと言っているのだとしたら、理性的とは言いがたい。

▼ねばり強い万博反対運動

 検討会議での大幅な万博会場の見直しの前提になったBIE(博覧会国際事務局)による愛知万博計画に対する厳しい批判が出てきた背景には、自然保護3団体のような全国組織をもつ団体による海上の森の自然の重要性についてのキャンペインとともに、地元の自然保護グループのねばり強い活動があった。

 そのひとつに、愛知万博についての賛否を問う県民投票の実現に向けての活動があった。「海上の森の『愛知万博』の賛否を問う県民投票を求める会のあゆみ」によると、産業 廃棄物処理場に反対する住民投票を実現した岐阜県御嵩町の例に触発され、1997年3月に県民投票の会が結成された。12月には集まった署名が、直接請求に必要な法定数10万6千(有権者の2%)をこえることが確実になり、「『予想した以上』県側驚き隠せず」と報道された。最終的には、約13万6千の署名が集まった。しかし、98年3月の県議会では圧倒的な多数で否決されてしまう。

 さらに、99年2月の県知事選では、オール与党の神田候補に対して、市民グループは共産党とともに万博反対を掲げた影山健候補を立てて、闘った。結果は、全県では神田候補が61%、影山候補が36%という得票率だった。名古屋市では、影山候補が42%を獲得していて、市民の万博に対する批判がかなり強くなっていることがわかる(「岩田光政・愛知万博に関するレポート、発言集/東郷通信45」)。
 また、2000年に入って、再度、万博開催の賛否を問う県民投票条例制定を求める直接請求の署名活動が行われ、今度は約31万5千人の署名が集まったが、県議会ではまた否決された(「県民投票実現署名」)。

 ドイツのハノーバー市の環境博の場合には、開催権を獲得後、万博の賛否を問う住民投票を行い、わずかな差で賛成派が多数を占めたが、反対派の意見を取り入れて計画を変更したという。
 愛知万博の場合も、BIEの批判が明かになった段階で、県が市民の意見にもとづいて計画を見直すつもりだったのなら、県民投票の実施に踏み切るのが、理性的な判断だったのではないかと思われる。検討会議のようなものは、県民投票で万博開催が支持された際に開かれるのが本来の形ではないだろうか。

▼愛知万博をめぐるさまざまな立場のサイト

 BIEの愛知万博の計画に対する厳しい批判が明らかになり、検討会議が開催されるにいたって、海上の森の破壊に反対する点では一致していた自然保護派の間に、さまざまな姿勢の違いが明かになってきたようだ。とくに、万博反対という姿勢を貫いていく反対派と、万博会場の計画を変更し海上の森の破壊をなるべく小さくした上で万博開催を認める立場の間の亀裂がはっきりしてきて、両者の間に敵対的な雰囲気も生まれている。
 しかし、自然保護派の人が環境をテーマにする愛知万博に対してどういう形で関わるか、関わらないかというのは、複雑微妙な問題で、さまざまな立場が生まれてくるのが当然だし、それぞれの立場の関係は流動的で、たがいに冷静な議論を通じて影響しあったり協力関係をつくったりすることができる筈だ。しかし、たがいの人格を攻撃しあうような関係になり感情的な対立が深くなると、そういう対話がなりたたなくなってしまう。

 愛知万博に関するサイトを開いている人にも、さまざまな立場の人がいて、「いんたーねっとばんぱっくん」のいしっとさんは万博反対派であり、「2005年愛知万博に想う」のNAZさんは、万博に対して賛成派でも反対派でもないという立場で、万博に関する動きとそれに対する感想を記した日記風のサイトをつくっている。
 また、「瀬戸市民の自然観察」をつくっている上杉毅さんは、海上の森世界遺産登録推進協議会の活動を行ってきた人だ。上杉さんは検討会議に参加し、万博会場のために海上の森を改変することに反対し、エコツーリズムにのみ海上の森を活用するという提案をしようとしたが、会議の運営に異議を唱え、途中から欠席したようだ(「ばんぱっくん資料庫/愛知万博検討会議に対する活動方針と見解」)。

 こういう具合に、いろいろな立場の人がサイトをもち、ある時点でどういう事実をもとにどういう判断をくだしたかを記しているのは、見解の違う人どうしの冷静な対話を可能にするために、とても重要なことだと思われる。
 たとえば、「林進氏のこと」で、上杉さんが万博反対派に疑問をもつようになったきっかけとして、検討会議のメンバーにもなった林進さんに対する反対派の批判の仕方をあげている。それに関連して、「会議という場で必要なのは徒党を組むことではなく、出来る限り徒党を組まないことだと信じています。」と上杉さんは書いている。似通った意見の人が徒党を組むと、異なった立場の人の意見を冷静に吟味する精神が失われてしまう危険が大きくなるからだ。
 こうした危険が、万博反対派にどの程度あるのか外部からはよくわからないが、さまざまな立場の人のこうした判断やその根拠が誰にでも読める形で提示されることには、大きな意味がある。

▼環境破壊型の開発、公共事業への市民の異議

 もともとの計画では、愛知万博の会場の造成とその後の大規模な住宅開発によって、海上の森の自然が無惨に破壊されようとしていた。しかし、オオタカの営巣の発見や自然保護グループの地道な活動を踏まえたBIEの厳しい警告によって、こうした破壊が部分的なものにとどめられることになった。
 こうした愛知万博をめぐる県、通産省、博覧会協会と自然保護グループの抗争の経緯は、大きな流れの中で見ると、長良川河口堰建設に反対する運動、岐阜県御嵩町の産業廃棄物処分場建設に反対する住民投票、吉野川の可動堰をめぐる住民投票、藤前干潟の保全のための運動といった愛知の周囲での一連の動きとつながっていると言える。
 つまり、愛知万博と海上の森をめぐる問題は、大きな脈絡の中で見ると、量産型工業化の段階が終わり、大都市圏の拡大も飽和しているのに、惰性的に続く従来型の開発に歯止めをかける一連の動きのひとつである。
 人工林の造林やあいつぐ開発によって生き生きとした生態系をもつ森も川も干潟も乏しくなり、それだけに生き物たちにとっても人間にとっても、残された生きた森、川、干潟の重要性が高まっているB大型の公共事業や開発プロジェクトに対する反対運動の過程で、住民たちはそのことを痛感するようになっている。

 そして、大型公共事業やビッグ・プロジェクトを軸にした従来型の経済発展に終止符が打たれつつあるのだとすると、これからは、つぎの局面の軸はどのようなものになっていけばいいのかが当然、大きな問題になる。
 つぎの局面をつくりだす発想や方法論が出てくることが期待できる有望なところのひとつは、従来型の開発にストップをかけた場所で、残された自然をどう活かしていくかという課題に対する、意欲的な住民たちの取り組みからではないか。
 そういう突破口となりうるためには、異質なタイプの市民グループどうしが、それぞれの持ち味を尊重しあい共働的な関係をつくり出していくことが必要だと思われる。

『長良川河口堰』
 また、従来型の開発に歯止めがかかったところのうちでも、海上の森のような里山は、これからの持続可能な社会、循環型の社会への転換という課題との関連で、注目すべき特質をもっている。
 WebMag31号特集「里山再生と炭焼き&木質発電」でも取り上げたように、里山は集落のまわりにある 雑木林で、薪炭林などとして資源を利用しながら維持されてきた生態系であり、地域の循環型の仕組みの核としての位置を占めてきた。ところが、1960年代になって、炭や薪、堆肥にする枯葉などに対する需要がほとんどなくなり、農家にとっての経済的な価値が低下してしまい、里山は工業用地、宅地、ゴルフ場などとしての開発の対象となり、急減していった。そして、近年になって、残された里山の再発見が起きつつある。近郊住宅地に住み着いた住民たちが、雑木林の景観や生態系を維持するためには、適度に木を伐らなければいけないことを知って、ボランティア・グループをつくって里山の手入れをはじめ、問題意識が深まるとともに、里山が地域での新たな形での循環型の仕組みの核になる可能性が見いだされはじめているからだ。

▼海上の森の里山の生かし方

 万博開催プランの変更によって、残された大きな豊かな里山である海上の森の大きな破壊を防ぐことができそうになっているため、外部から見ると、今後、この里山を住民たちがどのような形で活かしていくのかという点が大きな関心事のひとつになる。

 しかし、地元では、この点についての議論は、かなり屈折した様相になっている。上で述べたように、BIEの警告の後、万博開催計画の大幅な見直しが行われる過程で、自然保護派の中で、万博反対派と容認派の間の亀裂がはっきりしはじめた。そして、容認派の方から、海上の森を万博の後で「国営里山公園」にするという構想が提案されていることもあって、万博反対派の方は、市民による海上の森の活かし方という点については現状では議論しにくい感じになっているようなのだ。「国営里山公園」構想だけでなく、万博容認派の人たちの中から、海上の森をはじめとする里山をこれからの時代にどう活かすかという問題を万博の主なテーマのひとつにしようという提案がさまざまな形で出されている。そのため、現状で、市民による海上の森の活かし方という議論に立ち入ると、万博容認派の土俵にひき込まれるという感じがあるのかもしれない。

 しかし、森を市民がどう活かしていくかについての、さまざまな立場の市民の議論を重ねていくことが重要になっていると私たちは考えるので、こうした状況は望ましくないと思う。三重県の赤目の森でのゴルフ場開発に反対する運動が代替案としてエコリゾートを掲げたように、開発反対派が具体的な対案を提案することも珍しくないのだ。
 愛知万博反対派が、海上の森の市民による活かし方について、どういう角度から議論をしていけばいいかを見いだすには、愛知万博が大きな赤字になるだろうと言うだけでなく、万国博覧会というコンセプトや方法論がどういう点で時代と合わなくなっているのか、もう一度、つきつめて議論してみることが必要なのではないだろうか。
 生きた自然を楽しみながら学び、破壊的ではない形で自然の資源を活用していく仕組みを創出していく、市民が主体となった事業やプログラムの方法論は、どういうものなのか。それを探るためにも、万博型の発想や方法論のどこが駄目なのかはっきりさせた方がいい。
 巨額の資金を投入して大勢の観客をいっぺんに集めるといった万博型の方法論を否定するとすると、それとは異なる市民の事業の方法論についての議論の土俵も見えやすくなるのではないか。
 万博のようなドカンと一発という発想のビッグ・イベントで世界とつながるのではなく、国内外の市民の小さな試みがたがいにつながり、思いがけない大きな流れをつくり出すというのが、今すでにあちこちで起きていることなのではないたろうか。



[マーク] 特集編集部への発信 [マーク] 特集編集部との交信録 [マーク] バックナンバー


文中で紹介したホームページ


ここから思いついた言葉でホームページを検索!



InfoNavigator
*半角カナは使用できません
検索のコツ


InfoNavigator HAYATEを使い
海上の森×ムササビ 」で
ホームページを探してみよう!