[特集]
No.47 
 オーストラリアの「生活の質」
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シドニーの土曜日。教会がフリマに変身
Manachan's Worldより)

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 オーストラリアと日本列島は、赤道をはさんでほぼ対称の位置にある。オーストラリア大陸の中では、緯度の高い南東部にあるシドニーは南緯33゜57´だというから、北半球では福岡(北緯33゜35´)と同じくらいになる。メルボルンは南緯37゜49´で、福島(北緯37゜45´)くらいの緯度になる。赤道をはさんで反対側ということは季節が反対になるが、それだけでなく、いろいろな面でオーストラリアと日本は対照的な特徴をもつ。そのためオーストラリアで生活する人の視点から日本社会を見ると、これからの一人一人の生き方や社会の方向を考えるためのよいヒントがたくさん出てきそうだ。
 注目すべきなのは、かつてはオーストラリアに長期滞在する日本人は企業の駐在員やその家族、学生が圧倒的な多数であったのが、さいきんは、息苦しい日本社会でのOL生活やサラリーマン生活から脱出して、風通しのいい社会や「生活の質」を求めて移ってくる人たちや、温暖な気候が気に入って移住する高齢者などが多くなっているということだ(杉本良夫「オーストラリア---多文化社会の選択」岩波新書)。
 一人当たりGDPといった経済統計の指標で見れば、日本はオーストラリアより経済的に豊かなことになるが、実際には、オーストラリアの方が暮らしやすいと感じる人が多いようだ。この経済統計に表れるものと違った「生活の質」や社会の風通しのよさとは何なのか、という点に重要な問題が含まれているに違いない。今回は、こうした問題について探ってみよう。

▼日本からオーストラリアに移住した人たち

 インターネット上には、シドニー多元文化生活研究会(APLaC) という、シドニーに住む、田村さん、福島さんたちが製作するサイトがあり、オーストラリアを旅行する人たち、留学したい人たち、暮らしてみたい人たち向けの詳しい情報提供をしている。このサイトでも、移住についての問い合わせが多いようで、日本からオーストラリアへ移住したいという人がとても多いことがわかる。Kazuhiro Nogitaさんのように、オーストラリア永住ビザ取得の過程を詳しく記したサイトもある。
 APLaCのサイトには、田村さん、福島さんがオーストラリアに住むようになった経緯も書いてある。田村さんの場合(「なんでオーストラリアにいるのか?」)、日本で弁護士をやっていたが、先の見えない世の中で生きていくには、いわゆるキャリアを積むということよりもっと根源的な「生存能力」を身につける必要があると感じた。田村さんのいう「生存能力」とは、「どんな状況でも適当に面白おかしくやっていける能力」だという。実際、オーストラリアに住んでいると、「チェルノブイリの原発事故で住めなくなってオーストラリアに来た人、天安門事件でこっちに来た人、最近ではボスニアなどで来た人」と多種多様なので、こういう人たちに囲まれて暮らしていると、根本的な「生存能力」も鍛えられる、という。
 福島さんの場合(「なぜシドニーに来たのか?」)には、食品会社でマーケティング担当としてバリバリと働いていたが、ある仕事が一段落した時に「空しさ」を感じるようになった。「生産性、利益性だけを重視する経済中心の社会では心がすさんでいくような」気がして、「自然に自分らしく生きていられる心地のいい場所を求める気持ち」が強くなった。そして、たまたまオーストラリアの「マルチカルチャリズム」について知って、オーストラリアに住んでみたいという思うようになったという。
 このように、田村さんや福島さんの場合には、ある程度の職業経験を経て、行き詰まり感の強い日本社会から抜け出して、もっと風通しのいい所で暮らそうと、オーストラリアにやってきた人たちと言っていいだろう。

 "Cafe Australia"をつくっている柳沢さんの場合には、コピー・ライターとして12年勤めていた広告代理店を辞めて、家族でオーストラリア北部のプリスベンに移住した。柳沢さんの場合は、オーストラリアに住みながら、日本の会社のオーストラリア関連の企画に加わったり、雑誌にライターとして寄稿したりして生活することができるようだ。奥さんも翻訳の仕事をしていて、大学時代に留学生としてプリスベンに住んだことがあるという。
 "Manachan's World"をつくっている鈴木さんは留学先の台湾で知り合ったオーストラリア人の女性と結婚し、シドニーで暮らすようになった。IT技術者で、オーストラリアに移住する前に、米系の大企業に転職している。

▼流動性の高いオーストラリア社会

  「オーストラリア日記」というサイトを製作している渡辺さんは、日本、チェコ、オーストラリアの大学で研究、教育したことのある免疫学の研究者で、外資系製薬会社の研究所に勤めていた。研究所を退職したのをきっかけに、人生の次の局面を過ごす場所として、オーストラリアの西海岸のパースに移り住んだ。オーストラリアでの生活経験のある中高年者の移住のケースと言えるようだ。奥さんはポーランド系オーストラリア人でポーランドとオーストラリアの国籍をもち、2人の息子さんたちは、ポーランドとオーストラリアと日本の国籍をもっているという。
 「オーストラリア日記」の「移住の寂しさ」によると、オーストラリアへの移住を希望する日本人が渡辺さんのところによく相談に来るという。そんな一人で、システム・エンジニアとしての職能をもつ人が「移住には寂しさがある」と話した。「移住」という語感には、生まれ育った国、日本を永遠に捨てるといった響きがあるのだ。しかし、英語のmigration は、渡り鳥の移動にも使われる言葉なので、悲愴な感じはない。移住をそう悲愴に考える必要のない時代になっているのではないかと、渡辺さんは言う。

 APLaCの田村さんが書いているのを読んでも、オーストラリアに住むことの選択は、必ずしも、オーストラリアに定住することを選んだということではない。オーストラリアに住むことで、それから先、もっといろいろな選択肢を広げることにつながる、と考えているようだ。
 オーストラリアに移住してくる人の中には、経由地としてオーストラリアを選ぶ人も多いようだ。こうした点から見ても、オーストラリアはきわめて流動性の高い社会だ。

▼余暇時間を生かす生活の豊かさ

 日本経済は低迷が続いているのに対して、オーストラリアは90〜99年のGDP成長率が4.1%と順調な成長を続けているが、それでも、99年の1人当たりGNI(国民総所得)を較べると、日本が32,030ドルに対してオーストラリアは20,950ドル("World Bank Group")で、日本の方がまだかなり高い。しかし、生活実感からするとオーストラリアの方がずっと暮らしやすいようだ。このギャップはどこからくるのかを考えてみる必要がある。

   ひとつには、これは物価体系の違いからくるのだと思われる。オーストラリアでは日本に較べると都市の地価が安いため、同じ家賃でずっと広い部屋に住めるし、食料品の価格も安い。日本に較べて高いのは、自動車、家電製品などの工業製品だ。工業製品が高くても、住居費や基礎的な食品の値段が安いと、暮らしやすいと感じる人が多いのだろう。

緑あふれる職場のエントランス
Manachan's Worldより)


 もうひとつの大きな要因は、仕事や生活への時間配分の違いのようだ。APLaCの福島さんの「オージーの仕事観を探る」 では、オーストラリア人の時間感覚や働き方の特徴として、つぎのような点をあげている。
 (1)時間にルーズである。個人もそうだが、電車なども日常的に遅れる。(2)終業時間は厳守する。時間にルーズなのに帰る時間はかっきり守る。(3)納期が自己都合で延長される。納期は一応の目安で、なんとしても守らなければならないものではないという社会的なコンセンサスがある。(4)隣の人の仕事内容を誰も知らない。独立型の仕事振りで、他人の仕事には関与しない。(5)週末が大好き。(6)長期休暇もキッチリ取る。(7)仕事の能率はものすごくいい。(8)バンバン転職する。日本のように終身雇用制度になっていないため、会社側は業績が悪ければ社員の首を切るし、働く人も自分の能力が今の仕事を超えたと判断したら能力に見合うポジションを見つけて転職する。
 サービスの悪さや産業の国際競争力を危うくする要因も多いが、会社との関係はドライで個人の生活やキャリア形成を重視する行動パターンだと言える。(2)(5)(6)(7)の結果、日本に較べると労働時間が短く余暇時間が長い。生活を楽しむライフスタイルが浸透している。

 また、経済統計には表れない生活の豊かさの要因として、余暇時間を使って、自分の家を建てたり、内装を充実したりする「Bタイプの労働」が重要なことを杉本良夫さんは指摘している。
 メルボルンに住む杉本さんの家の向かいに住む夫婦はクロアチアからの移民で旦那はソーセージ工場で働いている。旦那は朝早く6時ころには出勤するが、午後3時には帰宅してしまう。それから毎日5時間ほど、自分の家を建て増ししていく大工仕事をするのだとう。そのため最初はあばら屋だったのが、日がたつとともに豪邸になっていく。会社や役所に勤めたり、店を経営したりして、お金を稼ぐための労働を「Aタイプの労働」とすると、これとは違って、収入にはつながらないが、生活を維持向上させる、家事労働や自分の家のための大工仕事のような「Bタイプの労働」がある。オーストラリアでは、「Bタイプの労働」が活発で、これが生活を豊かにする大事な要因になっているという。

▼多文化が共生するマルチ・カルチャリズム

 日本から移住した人たちにとって、オーストラリアの社会の居ごごちの良さのひとつは、いろいろな民族的出自の人たちがたがいに特に意識せず自然にいり交じって暮らしている、ということにあるようだ。異なる民族間の結婚がごく普通になっていて、オーストラリア人の約6割は異なる民族の混血であり、4つ以上の民族の血が混じっている人が2割以上いるのだという。
 メルボルン大学のMIALS(メルボルン インスティテュート オブ アジアン ランゲージズ アンド ソサイエティズ)で日本語教授をしている加藤富美江さんからいただいたメール(編集部から出したメールへの返信)によると、オーストラリアでは日本人としての人種差別を感じることがほとんどない、さらに「日本の社会での性差別、年令差別は非常に強く思われますから、性差別、年令差別は日本にくらべると、ないに等しいと言えます。高齢の女性も職場で多く見られます」という。

 現在は、マルチ・カルチャリズムがオーストラリアの基本理念のひとつになっている訳だが、こうした考え方が採用されたのは、そんなに古いことでない。1970年代に、白豪主義からマルチ・カルチャリズムへの大きな政策転換がなされたのだ。  オーストラリアは、面積の広さに比べて人口が少ないため、移民の受入を必要とする国なのだが、「現代オセアニア事情/白濠主義から多文化主義へ」に記されているように、1901年のオーストラリア連邦の成立以来、白人以外の移民をほとんど受け入れず、イギリス人以外のヨーロッパ人の移民も制限する政策をとった。第2次大戦後に人口増加策のため、ヨーロッパの非英語圏(ギリシャ、イタリア、旧ユーゴスラヴィアなど)からの移民を大量に受け入れた。1960年代までは、こうした白豪主義の政策がとられてきたために、オーストラリアは地理的にはアジアに近接するにもかかわらず、アジアとの人的、文化的な関わりが薄い、奇妙な地域だったのだと言える。
 しかし、1970年代になって、ウィットラム労働党政権のもとで、マルチ・カルチャリズムをはじめとするオーストラリア社会の大きな方向転換がなされる。移民を受け入れる基準から、国籍や民族をはずし、もっている技能、もってくる資産、言語、年齢などの要因を点数で評価するポイント・システムがとられるようになった。その結果、アジアからの移民が急増することになった。98年7月から99年6月に受け入れた移民の出生地は、アジア32.4%、オセアニア26.7%、ヨーロッパ+旧ソ連23.3%となっている("Key Facts in immigration")。
 Weblogue 43号「オーストラリア先住民----大地の響きとともに歌う人々」で取り上げた、過去のアボリジニの人たちに対する政策の反省も、こうしたマルチ・カルチャリズムへの転換とともにはっきりした形をとるようになった。

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旧正月の風物詩・ドラゴンボートレース
Manachan's Worldより)
 しかし、最近は大胆な転換の後で多少、揺れ戻しが起きている。1996年の選挙で労働党が敗北し、自由党と国民党の連合政権になってから、「脱欧入亜」戦略はやや軌道修正され、マルチ・カルチャリズムに対する批判的な意見も前面に出てくるようになっている。そうした動きの極端な形が、女性議員のポーリン・ハンソンの人種差別的、右翼的な言動だ。APLaCのPauline Hanson によると、アジア系移民がどんどん増えてくる中で、白豪主義の時代に対する郷愁をもつ人たちの意識を代弁する面をもっているという。しかし、国際的な政治経済の中でのオーストラリアの方向づけということを考えると、こうした動きは明らかに時代錯誤なようだ。

▼個人の自立を支える社会の仕組み

 移民国家で、社会的な流動性が高いという点では、オーストラリアはアメリカと共通する。しかし、「オーストラリアとは何か/その2---過渡期のベクトル」で田村さんが語っているように、移住先として「オーストラリアを選ぶのは、成功、競争、力などのキーワードとはまた違った価値を見出してのこと」という面がある。それは、差別のないマルチ・カルチャリズムの社会をつくろうという考え方とともに、福祉政策の枠組みがしっかりしていることでもあるだろう。
 オーストラリアの福祉政策の特徴は日本やアメリカと違って、ミニマムの水準を社会全体が保障するという原則がはっきりしている点にある。失業手当も、日本では失業保険を払っていれば一定の期間だけ給付を受けれるという制度なのに対して、オーストラリアの場合は失業保険という考え方ではなく、失業していると認定されればその期間中ずっと社会が生活を保護するという考え方だ。メディケアという国民皆保険制度も、全国民と永住権のある市民全体をカバーしていて、ミニマムな医療サービスを保障している。

 オーストラリアは、高齢者ケアの仕組みづくりでも、先進国として注目されているという。とくに「在宅・訪問型」の高齢者ケアではオーストラリアには長い経験の蓄積がある。そして、「在宅・訪問型」のケアを支えているのは、ボランティア活動だ。そうしたボランティア活動の代表的な例である"MEALS ON WHEELS"については、APLaCの「オーストラリアのボランティア活動」に紹介されている。  この"MEALS ON WHEELS"は参加者数がもっとも多いと言われるボランティア活動で、高齢者や身障者に食事を届けるサービスを提供している。公民館などに付設されたキッチンで集中して料理をつくり、ボランティアが手分けをして、身体の不自由な人やお年寄りの自宅に車で届ける。こうした活動が盛んになった背景には、少し身体が不自由でも、お年寄りが子供の世話になったり高齢者向けの施設に住むのではなく、なるべく自立して生活したいという意識を強くもっている、という事情があるのだという。といっても、高齢者の1人暮らしは大変なので、社会の側では、高齢者の自立を支援するサービスを提供する、という考え方になっている訳だ。

 こうした個々人の自立志向と自立を支える社会の仕組みという点に注目すると、オーストラリア社会の基本的な考え方がよくわかるのではないだろうか。社会や家族は個々人の自立心を育み、社会は個々人が自立して生活できるように支える仕組みをつくる、という考え方が社会システム全体の基本原理になっているようだ。

▼若者も親に依存しない

 杉本さんの「オーストラリア」(岩波新書)には、若者も独立独歩の精神が旺盛で、20歳前後になると家を出ていくことが多く、親が近くに住んでいても、一軒家などで若者どうしで共同生活をはじめると書いてある。大学の授業料も、親の仕送りに頼らなくてもいい仕組みになっている。オーストラリアの大学は2つの私立大学を除いて全部国家予算でまかなわれていて、学生の授業料は在学中は負担せず、働いて給料をもらうようになってから少しずつ返済すればいい。
 オーストラリアでは、自立心の強い若者とそれを支える社会の仕組みが、風通しのいい関係をつくりだしている。こうした若者と家族や社会の関係は、それと対照的で、問題の多い日本の現状について考えるためのよい手かがりとなるだろう。

 APLaCの「なぜ日本では若者がエラいのか」で田村さんは、オーストラリアに住んで日本の雑誌などを見ると、日本の社会では、オーストラリアに較べて若者の流行などが注目される傾向が強く、みんなで「若者をチヤホヤする」感じなのが気になると言い、こうした点での社会の違いを問題にしている。日本社会で若者が消費のリーダーとして注目されたりすることが多いのは、若者が自由に使えるお金をたくさんもっているからで、これは、大学生が親のすねをかじったり、未婚のOLやサラリーマンが親の家に同居したりしていることが多いためだ。他方、オーストラリアでは、若者たちの生活は概して貧乏臭い。大学に行きたければ自助努力でいけという考え方が強く、若者の失業率も高いからだ。
 オーストラリア社会の親と子供の経済的な関係を図式的に言えば、「16〜18歳までは自立能力がないから親が面倒をみる。面倒を見るかわりに割と厳しくしつける。」「16〜18歳で時期がきて自立能力が出来たら、口出しはしないかわりに面倒もみないで追い出す」という考え方だという。

▼日本社会の構造改革へのヒント

 日本からオーストラリアに移り住む人たちが惹かれるオーストラリア社会の「生活の質」の高さや風通しのよさがどこからくるかを探ってみると、単に空間がゆったりしているといったハード面の事情だけでなく、社会の仕組みをつくっていくソフト面の設計思想がしっかりしていることが明かになる。マルチ・カルチャリズムにしても、個々人の自立を支える福祉の仕組みにしても、社会システムをつくっていく考え方が明快で、未来志向だと言える。

 日本社会では構造改革の必要が叫ばれているが、対照的な面の多いオーストラリア社会と対比しながら、日本社会の現状を見ると、その改革はなかなか容易なものではないことも明かになるだろう。
 これまで個々人の自立に向けての動機づけがあまり重視されず、「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」といった集団主義的な意識や行動様式が優位を占める場面が多く、1980年代までは、そうした方式でも経済的な成果という点だけをとればうまくやっていけると思われていた。しかし、環境の変化とともに、そうした方式がもはや通用しないことがはっきりするとともに、大企業も大樹の陰に集まっていた人たちをリストラクチャリングによって放り出さなければならなくなっている。
 オーストラリアの場合には、働く人と会社の関係はドライだが、個々人の自立心が強くそれを支える仕組みを社会全体がつくっている。それに対して、日本社会の場合には、大樹の陰から放り出されると、自立的な生き方を身につけていない人が多い。それだけでなく、生活に困った人たちを支える社会の仕組みも弱体だ。
 そのために不安感が社会全体に広がり、全体で見ると貯蓄額は厖大にあるのに消費が萎縮し、デフレ的な不況が深刻化している。こうした現状からどう抜け出せばいいのか、答えは簡単ではないが、めざすべき方向を考えるためには、オーストラリア社会は重要な示唆を与えてくれているのではないだろうか。

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文中で紹介したホームページ

  • シドニー多元文化生活研究会(APLaC)
    (http://www.twin.ne.jp/~aplac/welcome.html)
  • ようこそ Kazuhiro Nogita のホームページへ!
    (http://www.geocities.co.jp/Technopolis/2941/)

  • Cafe Australia
    (http://member.nifty.ne.jp/yukimari)

  • Manachan's World
    (http://www.fsinet.or.jp/~manachan/index.htm)

  • オーストラリア日記
    (http://members.iinet.net.au/~wathiro/nikki.html)
  • World Bank Group
    (http://www.worldbank.org/)

  • Scool of Social sciences/「Bタイプの労働」
    (http://www.latrobe.edu.au/www/socpol/ysbun.htm)

  • 名古屋商科大学
    (http://www.nucba.ac.jp/)
  • Australian Department of Immigration and Multicultural Affairs / Key Facts in immigration
    (http://www.immi.gov.au/package/keyfacts.htm)

  • Weblogue 43号/オーストラリア先住民----大地の響きとともに歌う人々
    (http://www.econavi.org/weblogue/special/43.html)