[特集]
No.48 
 生命の歴史の要「原生生物」に学ぶ<その1>
―― 性と死のはじまり
ゾウリムシ
ゾウリムシの構造


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 みなさんは原生生物と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか? はるか昔の原始的な生き物、目に見えない微小な生き物、なんだかわからない不気味な生き物…おそらく多くの人はあまりピンとこないに違いない。
「生命科学の時代」といわれる21世紀に入り、“生命とは何か”という壮大なテーマを考えるにあたって、この原生生物の生命システムから多くの重要な視点が学べるのではないか、というのが今回のWeblogue特集の無謀な試みである。どうしてわけのわからない、よく知られていない原生生物が重要なの? と不審に思われる方もいるだろうが、それをこれから一緒に探ってみようと思う。

▼生命探究の「萃点としての粘菌」/「萃点としての原生生物」

 そもそも私たちが原生生物に興味を持ったきっかけは、特集第36号「南方熊楠 ---- 境を超える探究者」の中でとりあげた「粘菌」との出会いだった。粘菌も原生生物の一種で、熊楠が生涯を粘菌研究に捧げたといっても過言ではないほど入れ込んでいた生物だ。鋭い洞察力で縦横無尽に知の領域を行き来した巨人といわれる熊楠を虜にするほどの粘菌の魅力とは一体何だったのだろう、というのがまず最初の疑問だった。
「粘菌は生命探究の要となるフィールド」に書いたように、熊楠は生物の生殖や遺伝などの生命現象を知るには、粘菌を研究するのが一番だと述べている。粘菌が肉眼で観察できる手近な生物であることに加え、一夜にして胞子状のキノコのような姿になるといった変幻自在な生態のありさまをみて、熊楠は粘菌に生命の謎の核心に迫るヒントが隠されていることを直観的に感じとっていたようだ。また、熊楠は物事の道理を考察するのに、複数の具体的な道筋が交差するポイントを「萃点(すいてん)」と呼んで、独自の世界観、宇宙観を構築していた(「南方曼陀羅――粘菌や神社は要因連関の要となる萃点」)が、熊楠にとって粘菌はまさに萃点の一つといえ、生命の真理に到達するために欠かせない重要な考察対象だったのである。
 そして、現代の生物学の研究が明かにしつつある知見を踏まえると、粘菌の研究を究めることによって生命の核心に迫ることができるという熊楠の洞察が、かなり的確だったことが明らかになってきていると言えるが、「萃点としての粘菌」を粘菌を含む原生生物にまで敷衍して「萃点としての原生生物」を考えると、生命の根幹をなすものがよりよく見えてくると思われる。
 そこで、今回は、生命の歴史についての認識を深めるための「萃点」としての原生生物にをテーマにしてみたい。

 熊楠は粘菌の生態観察を続ける中で、「自然界に属の種のということは全くなき物と悟るが学問の要諦に候」(上松蓊宛書簡----河出文庫 南方熊楠コレクション5「森の思想」p.175)という注目すべき文章を記している。生物を種や属に分類するのが有意義なのは、あるグループとあるグループの堺目がはっきりしている場合だが、粘菌をしぶとく観察していると、はっきりした境目などがある訳ではなく、中間的なものがいくらでも見つかり、融通無碍に粘菌は変化しているように熊楠は感じた。生物学者たちは、新種を見つけることを業績と考えてその競争をしていた。しかし、種や属などというのは便宜的なものに過ぎないと考えると新種を見つけることが大事なのではなく、粘菌の複雑な形態変化を正しく捉えることがいちばん重要だと考えた。  こうした熊楠が粘菌の観察を通じて考えるようになった、生物学の分類への疑問という問題も、粘菌だけでなく、原生生物の研究と深い関わりがある。

 「生命探究の萃点としての原生生物」というのはあまりに大きなテーマであり、内容も多岐にわたるためになる、3回に分けてとりあげる予定だ。
 第1回目の今回は、まず生命現象の中でも特に興味深いテーマ「性」そして「死」について。一部の原生生物のライフサイクルをみてみると、人間を含めた動物界や植物界では自明のことと思われている性の分化や寿命といった生命システムが、有利に生き残るための生物のさまざまな試みの中から生まれてきたことがわかってくる。その後の細胞進化の方向性が決まる重要な分岐ポイントともいえる、原生生物における細胞の試行錯誤の歴史を探ってみることにしよう。

▼「種」の概念の普遍性への疑問

 第36号の特集でも紹介した原生生物の巨大データベース「原生生物情報サーバ」には研究者たちによって実際に採集され、写真撮影された原生生物のサンプルが多数掲載されている。その多くは馴染みのないものばかりでとっつきにくいのだが、この中で粘菌以外に親近感ある原生生物としてゾウリムシがあった。ゾウリムシなら名前もポピュラーだし、生物の授業でも扱った記憶がある。このデータベースの運営に中心的に関わっている研究者の一人、法政大学生物学研究室の月井雄二さんは特にゾウリムシ研究に深く携わっていて、このサイト上でもゾウリムシについての詳しいレポート「種とは何か」を読むことができる。
 面白いことに、そこにはちょうど熊楠が粘菌研究で抱いたのと同じ疑問、つまり「種」というものに対する疑念が提示されている。私たちが観察する機会の多いかなり高度な動物や植物の場合、これはイヌ、これはネコというように種どうしの境目をみつけるのはそう困難ではない。そのため、生物全体に「種」という概念を適用できると思いがちだが、実際はそうではないのではないか、と月井さんは問題提起する。有性生殖によらずに増殖するアメーバのような生物の場合には、境目がはっきりしないのに、種名がつけられているのだと言う。こうした事態は、すべての生物に「種」という概念を適用できるという思いこみから起きている。では、いちおう有性生殖のような様相ももつゾウリムシの場合はどうかを月井さんは詳しく検討している。しかし、この議論は、相当にややこしく、わかりやすく説明するのは至難の技なので、当面、この話は棚上げして、回り道をした後で戻ってくることにする。
 月井さんも共同執筆されている「ゾウリムシの遺伝学」(東北大学出版会)を読み、原生生物の生殖の実態に触れると、原初的な有性生殖の不可思議さに驚かされる。今回は、原生生物のなかで、詳しい研究がされている数少ない生物のひとつであるゾウリムシを手がかりに、原生生物の生殖について考えてみる。

6/9 午前11時頃6/9 午後5時頃6/10 午前8時頃
6/10 午後2時半頃6/10 午後5時頃6/11 午前8時半頃
餌を求めて移動するジクホコリの変形体---発見者 本江七緒(10才)


▼ゾウリムシの無性の増殖

 原生生物は、おおづかみには、真核細胞(細胞内に遺伝情報がおさめられた核を持つ細胞)をもつ単細胞生物だと言うことができ、有性生殖をするものと、無性生殖だけで増殖するものがある。
 ゾウリムシはその名の通り、ゾウリのような細長い形をした、大きさ約0.2〜0.3mmほどの微小生物である(「Microbio World」の「ゾウリムシの仲間」でゾウリムシの動く様子をみてみよう)。
 ゾウリムシはどうやって増殖するかと言うと、ゾウリムシのライフサイクルでは、無性の増殖と有性生殖の両方が起きる。ゾウリムシの無性の増殖とは、細胞分裂による増殖である。ゾウリムシは単細胞生物なので、細胞分裂が起きると、個体が増えることになる。後藤健さんの「生命を考える/ゾウリムシの生命サイクル」にも書いてあるように、1つの細胞が細胞分裂の繰り返しによって複製されていくので、こうしてできた個体は皆、同じゲノム(種、個体、細胞を規定する遺伝子セット)をもっている。これは、多細胞生物と比較すると、体細胞の分裂にあたる。つまり、人間のような多細胞生物の身体では、ぞれぞれの部分で体細胞の分裂が起きていて、とうぜん、どの細胞も同じゲノムをもっている。ゾウリムシのような単細胞生物の場合には、ひとつひとつの細胞が個体なので、細胞分裂によって同じゲノムをもった個体がたくさんできてしまう。こうした1つの細胞の分裂からできた同じゲノムをもつ細胞の集団が、クローン集団と呼ばれる。

▼ゾウリムシの有性生殖

 ゾウリムシはこうした細胞分裂による無性の増殖をするだけでなく、ある条件の下で、2つの個体が接合して、両方の個体と異なる遺伝子の組み合わせをもった個体に生まれ変わる。これがゾウリムシの有性生殖だ。
 有性生殖と言うと、ゾウリムシに雌雄の別がはっきりあると思いがちだが、実際はそうではないらしい。同じ種類のゾウリムシは見た目には全く同じで個体(株)差はなく、雌雄の差が形の上では確認できないのだ。しかし、ある条件の下で、「ゾウリムシの接合型」の写真にあるように、複数の個体が互いにくっつき合って離れない凝集反応が起こり、これがゾウリムシの有性生殖、「接合」のはじまりである。接合が始まると、異なる型の個体同士が細胞を接着させ、遺伝子を組み換える受精現象が起こり、受精が終わると二つの細胞は何事もなかったかのように再び離れて動き始めるが、すでに遺伝子レベルでは新しい遺伝子の組み合わせを持った個体に生まれ変わっており、この細胞から新しい世代の生活史が始まる。
 こうした接合は、どんなゾウリムシどうしでも起きる訳ではなく、接合が起きるかどうかを左右するゾウリムシの型があることがわかっていて、これが「接合型」と呼ばれている。この接合型が多細胞生物の有性生殖の場合の性の違いにあたるもののようだ。

 ゾウリムシの生活史は大きく「未熟期」→「成熟期」→「老衰期」にわけられる。接合を完了した新しい細胞(接合完了体)はすぐには次の接合を行うことはできず、細胞分裂を繰り返し、全く同じ遺伝子を持つクローン細胞を増殖させる。この期間が未熟期である。未熟期の長さはゾウリムシの種類によって異なるが、一定回数の細胞分裂を終えるとクローン細胞全体がいっせいに接合能力を持つ成熟期に入り、栄養条件が悪くなるなど環境が悪化すると、異なる型を持つものとの接合を再び開始する。そのまま接合せずに無性的に細胞分裂を繰り返すと、細胞活性が著しく低下していき、いずれ分裂限界(クローン寿命)を迎えて死んでしまう。この成熟期から死までの期間が老衰期にあたる。

▼個体の「死」のはじまりと「有性生殖」の不可分のつながり

 しかし、ゾウリムシの細胞分裂による増殖には限界があり、何回でも分裂を重ねることができる訳ではない、ということが分かったのは、そんなに古いことではない。20世紀の半ばまでは、ゾウリムシのような単細胞の生物の細胞分裂による増殖はいくらでも積み重ねることが可能だと考えられていた。いわば、単細胞生物の細胞は「不死」だとされていたのだ。「ゾウリムシの生活史のタイミング」に書いてあるように、1950年代前半の実験で、ゾウリムシの細胞分裂による増殖が無限に可能な訳ではなく、細胞に「寿命」があることが明らかになった。

 注目しなければならないのは、団まりなさんが、こうしたゾウリムシの細胞の寿命を一例とする「死」の不可避性と「有性生殖」の不可分な結びつきを指摘している点だ。多くの多細胞生物では、一般の細胞は、その生物にとって基本となる染色体を2セットもつ「二倍体細胞(ディプロイド細胞)/2n」で、生殖細胞だけが「一倍体細胞(ハプロイド細胞)/n」になっている。しかし、原生生物の中でも有性生殖をしないアメーバなどは、ずっと、ハプロイド細胞(n)で生活する。
 そして、生物の個体がディプロイド細胞(2n)からつくられるようになった結果、個体の「死」が不可避になったのではないかと団さんは考えている。原生生物でもアメーバのようなハプロイド(n)の単細胞生物には、分裂限界がなく、いくらでも分裂による増殖が可能なのだ。それに対して、ディプロイド体制(2n)には、「死」が不可避になるような特性が含まれているようなのだ。
 「有性生殖」をする生物は、ディプロイド体制(2n)とハプロイド体制(n)の間を往復するるようになる。したがって、生物が主にディプロイド体制(2n)で生活するようになるとともに「死」が不可避になったのだとすると、「有性生殖」という仕組みの確立とともに、生物の「死」が始まったことになる。
 「有性生殖」とともに「死」が始まるというのは、一見、当たり前のようだが、深遠な意味を含んでいる。中村桂子さんが『生命誌の世界』(NHKライブラリー,p.109)で指摘するように、ディプロイド体制(2n)の個体の視点から見ると「死」は不可避だが、ディプロイド体制(2n)とハプロイド体制(n)の間を行ったり来たりする生命のアイデンティティという視点から見ると生命の歴史は「連続的」である、という両面をもっているからだ。
 また、生物が主にディプロイド体制(2n)で生活するようになり、また、ディプロイド体制(2n)の生物は「死」をまぬがれえないという制限をもつという条件をもつために、他に同一のものがない唯一のゲノムをもつ個体が限られた時間を生きる、という意味での「個性」が生まれるようになった。これも、生命の歴史の中で有性生殖を位置づけるための重要な中村さんの指摘だ。

 ゾウリムシの場合にも、普段はディプロイド細胞(2n)で、接合が始まると細胞の中の小核が減数分裂によってハプロイドの生殖核(n)に変わり、2つ細胞の間の核交換の後、ハプロイドの生殖核(n)が一緒になって新たなディプロイド細胞(2n)が生まれる(「小核」)。
 また驚くことに、成熟期に入ってもうまく異なる型の個体と出会えない場合、同じクローンの中の一部の細胞が接合型を転換する(いわば性転換)現象「オートガミー(自家生殖)」がみられるようになり、同じクローン細胞間での接合も可能になるという。寿命に達したディプロイド細胞(2n)の「若返り」のために、奇策をもっている訳だ。

▼階層の異なるハプロイド体制とディプロイド体制

 団さんは、こうした細胞のハプロイド体制(n)とディプロイド体制(2n)を「階層の違い」として区別すべきだとする。団さんの著作『生物の複雑さを読む 階層性の生物学』(平凡社自然叢書)では、細胞体制を複雑さという観点からみて、ハプロイド体制(n)よりもディプロイド体制(2n)の方が複雑であり、両者はあきらかに異なる階層だとしている。この2階層にまたがるゾウリムシや粘菌と、ずっとハプロイドのままでいるアメーパのような原生生物とは本来ならば分類上、はっきりと分けて考えなければならないというのが団さんの考え方のようである。
例えば、「日立ハイテクノロジーズ 第4回サピエンス 生命の歴史と人類の誕生」「パネルディスカッション」での団さんの発言をみると、ハプロイド体制(n)とディプロイド体制(2n)を異なる生物単位だとすると、ゾウリムシはゾウリムシという生物としてのアイデンティティを保ちながら、2つの階層を行き来しているのであり、このように性質を保ちつつ異なる階層を往復できるのは生物特有の現象で、無機物ではこうしたことは起こらない、としている。

 そして、ゾウリムシなどのようにディプロイド体制(2n)で主に生活にする単細胞生物を経て、さまざまな多細胞生物の進化が起きた。ゾウリムシのクローン集団の場合は、どの細胞も同じ機能をもっているが、多細胞生物になると、受精した卵細胞が分裂を重ねる個体発生の過程では、個々の細胞はその位置に応じて違った役割をもつ細胞になっていく。細胞どうしがこうした共働的な関係をつくり出すのは、ハプロイド細胞(n)にはない、ディプロイド細胞(2n)の特質なのだと言う。つまり、有性生殖の確立が、複雑な多細胞生物への進化の大前提になっているのだ。
 もっとも、紅藻類のアサクサノリのように、ハプロイド細胞(n)が多細胞体をつくって生活するものもあるが、アサクサノリの場合、どの細胞も葉緑体をもっていて、細胞間の役割分担は進んでいない。なぜか、ディプロイド細胞(2n)の場合にのみ、細胞間の複雑な役割分担が起きるようなのだ。

▼有性生殖の起源

 中村桂子さんも、『生命誌の世界』のなかで、生命の歴史において、有性生殖の確立は、もっとも重大なイベントだったと書いている。そうだとすると、主にハプロイド体制(n)で生活する生物がどうやって、有性生殖をもつ生物まで進化したのかが、とても重要な問題になる。
 原生生物に分類されている生物は、真核細胞の単細胞生物というおおまかな共通点があるものの、無性生殖のみで増殖するものと有性生殖をするものが含まれている。また、原生生物の有性生殖には、さまざまなタイプがある。ゾウリムシをはじめとする繊毛虫類の有性生殖は、多細胞生物の場合とよく似ているが、他の原生生物の中には、有性生殖と言っても、多細胞生物とはたいぶ様子の違うものも多い。こうした原生生物の有性生殖の多様なあり方に、有性生殖の起源を探るヒントがありそうだ。
 例えば、緑藻類のクラミドモナスやアオミドロは、「NHK学校放送ONLINE/クラミドモナス」に書いてあるように、普段はハプロイド細胞(n)で生活していて、温度や摂取する栄養などの面で厳しい環境になると二匹が接合してディプロイド細胞(2n)をつくり、硬い殻の中に閉じこもってしまう。そして、環境が改善すると殻の中で減数分裂をして、4匹のハプロイド細胞(n)になって、新たな栄養生活を始める。繊毛虫類は普段はディプロイド細胞(2n)で生活していて、接合する前にハプロイド体制(n)になるのに対して、クラミドモナスなどは、普段はハプロイド細胞(n)で生活している。
 ゾウリムシの場合には、多くの多細胞生物と同様に、普段はディプロイド体制(2n)で生活をしていて、接合した時だけハプロイド(n)の生殖核ができ、子供は再びディプロイド体制(2n)になる。それに対して、クラミドモナスは、普段はハプロイド体制(n)で、接合した時だけディプロイド体制(2n)になる。こうしたクラミドモナスの生活環が、有性生殖の起源を考える大事な手がかりになると団さんは考えている(団まりな「生物の複雑さを読む」p.119)。
 つまり、もともと、ディプロイド体制(2n)は、ハプロイド細胞(n)が厳しい環境に対処するための待避状態として生まれ、環境が改善すると、再びハプロイド細胞(n)として生活するというパターンだった。やがて、接合によって生まれた子供の世代もディプロイド体制(2n)で生活をするパターンが開発されていった。それとともに、有性生殖の際には、ハプロイド(n)の核がつくらるようになった。という考え方だ。

 熊楠は、「この粘菌類の原形体は非常に大にして、肉眼またはちょっとした虫眼鏡で生きたまま、その種々の生態変化を視察し得。故に生物繁殖、遺伝に関する研究を仔細にせんとならば、粘菌の原形体に就いてするが第一手近しと愚考す。」(河出書房・南方熊楠コレクション・5、P.217)と手紙に書いている。
 熊楠が書いている原形体(変形体)は、胞子から出てきたアメーバ状の細胞(n)が接合してできたディプロイド細胞(2n)だ。この変形体の時期の粘菌は、肉眼で観察してもとても面白く、条件がいいと美しい網目状の構造がどんどん広がっていく。この状態では、奇妙なことに、単細胞のまま核の数が増えていく。流動的な原形質の中にたくさんの核やミトコンドリアなどが混在する状態になる。粘菌の変形体は、接合の後に、思いがけないダイナミックで奇異な色と幾何学的形態の展開が起きる点で、強く訴えるものがある。
  そして、熊楠は、「自然界に属の種のということは全くなき物と悟るが学問の要諦に候」と書簡に書いたように、粘菌についての執拗な観察と記録を通じて、系統樹的な進化とはだいぶ違った進化のイメージをもったと思われる。種を隔てる堺目と見えるものを意外な方法で越えてしまう、かなり自由度の高い生物の進化を考えていたのではないか。原生生物を見る限りでは、熊楠の洞察はかなり的確だったようで、続編でとりあげるように、原生生物の生殖と遺伝は、多細胞の動物や植物の観察にもとづく常識からすると、まったく意外で融通無碍な融合と遺伝子の継承の例に事欠かない。
 上で触れた、緑藻類のクラミドモナス、紅藻類のアサクサノリをゾウリムシや粘菌(変形菌)のライフサイクルと較べただけでも、原生生物の段階では、進化の過程で自在無碍にさまざまなデザインが試されていることが感じられる。
 そして、詳しく調べられている原生生物はわずかしかないのが、現状だという。今後、原生生物の研究が進み、その多様性がより豊かに捉えられるようになれば、生命の歴史の最重要の分岐点である有性生殖の確立がどのようにして起きたかが、より鮮明になってくるに違いない。

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文中で紹介したホームページ

  • 特集第36号「南方熊楠 ---- 境を超える探究者」
    ( http://www.econavi.org/weblogue/special/36.html)
  • 「原生生物情報サーバ」
    (http://mtlab.biol.tsukuba.ac.jp/WWW/Protist_menu.html)
  • 「Microbio World」の「ゾウリムシの仲間」
    (http://mikamilab.miyakyo-u.ac.jp/Microbio-World/sozai/zouri_g/zouri/book.htm)

  • 「日立ハイテクノロジーズ 第4回サピエンス 生命の歴史と人類の誕生」
    (http://www.fsinet.or.jp/~manachan/index.htm)
  • 「NHK学校放送ONLINE/クラミドモナス」
    (http://www.nhk.or.jp/sch/junior/yougo14.html#007)