[Web Travelers]
[写真] 橋本大也
 近況ですか。露出の近況としては、ソニーマガジンズのデジモノステーションという新雑誌で冒頭企画3ページでコメンテーターをしたり、CNET JAPANに寄稿したり、なぜかファッション雑誌メンズクラブに写真入りで登場したりしました。ファッションではなく、インターネットのお話をしただけですけどね。

そして、1月は教授や博士に混じって学会シンポジウムで招待講演を行うことになりました。「2000年情報学シンポジウム」。講演講師というのは毎月何かしら担当させて頂いてきましたが、これはアカデミックな場所なので緊張です。今回のコラムでも書きましたが、来年は法人設立を予定しています。2000年もしっかり頑張るぞ。


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Bitな人脈構築術 1996年〜1997年の私の経験

一通のメールがこのWebMag編集部からやってきました。

Subject: 原稿締め切りという2000年問題。
FROM:WebTraveler編集者の○○様

橋本様

お世話になっています。
2000年を真近に控え、お仕事、ご多忙のことと思います。

木枯らしより、一足早く、WebMagの「締め切り」という
2000年問題が過ぎています。

こちらの2000年問題も早めにご対処くださいますよう
お願いいたします。

・・・と、いうことでよろしくお願いします。

編集者のSさん、毎月原稿が遅れ気味ですみません!。

 月、面白いことを書こうとして締め切りに遅れてしまい、「来月こそはちゃんと締め切り守ります。頑張ります(私)」「来月はよろしくお願いしますよ(編)」というやり取りを繰り返して既にこの連載も 3年経過しております。この2000年問題、何とかクリアせねば(汗)。

 月は師走ということもあってとにかく仕事の量が半端ではありません。毎月異なるテーマに基づいて、面白い Webサイトを紹介するというのが趣旨のこのコラムでありますが、今月は探している余裕がありませんでした。

 ットブーム到来で不況の中、順調にお仕事を拡大していくことができました。
来年は事業を株式会社化しようと思っています。今までも何社かのベンチャー企業の創業取締役として参加した経験はあるのですが、代表取締役=社長というのは始めての経験になります。

 りあえず、自分が代表権を持つ法人設立で今までやってきたことの区切り、そして新たなステップアップをしようと思っているわけです。

 こで、今月はちょっとズルをして、私の交友歴、人脈構築歴に関してお話させてください。私は大学時代にインターネットで事業をはじめ、いろいろな人たちに助けられてフリーランスという立場で活動を続けてきました。

 しあなたが学生や若い起業家予備軍で、これから何か新しい事業をネットで展開してみたい。だけど、どんな風に最初の人脈を作ったらいいんだろう?。そんなことをお考えであったら、私の経験が少しは参考になったらいいなあと思います。

 えば単なる学生で個人Webサイト作者だった私がネットビジネスに飛び込むきっかけは、一通のメールがきっかけでした。

トライコーン株式会社

 木井さんとの出会いは1996年、まだ私が学生だった頃。波木井さんが最初に開始した事業=ホームページの新着情報メールマガジンのFIRSTNEWSが開始されたのを知って、うっかり「これは勝手に読者にメールを送りつけているのですかねえ」というとんでもなく誤った認識のコメントを、公開BBSに書いてしまったことに始まりました。当時はまだメールマガジンというのは珍しい時期だったのです。

Firstnews

 ちろんFIRSTNEWSはSPAMメールではありませんから、すぐに波木井さんから「FIRSTNEWSはちゃんと配信の了解を取った読者に送っています」という速攻のクレームメールが飛んできました。私はすぐに謝罪のメールを書いたのでしたが、私のシグネチャの大学名を見て、波木井さんから「なんだ、橋本さんは後輩ですよ、今度昼食でも一緒に食べましょう。私の会社の近くでおごりますから」との返信がありました。

 木井さんはこれに続く私信メールの中で当時有名なコンサルティング企業P社に部長職として勤務されていることを明かされ、何年生ですか?と私に聞かれたので、「おお、これってリクルーティング?有名なコンサルティング企業のP社に入るのも悪くないぞ」といそいそ誘われた昼食に出向いた私に「実は私は来月会社を退職してベンチャー企業を起こそうと思っているのです」。ガーン...。

 の青田買いされちゃうかもという期待はあっさり裏切られたものの、それ以上に波木井さんの話されるネットベンチャーの将来像は私をわくわくさせてくれました。そして話の最後に「ところで橋本くん、JapanVentureNewsの才式さんって知ってますか?一度会ってみるといいですよ」とのアドバイスを頂きました。

 在のメールニュース株式会社代表取締役の才式祐久さんは当時JapanVentureNewsというベンチャー交流会&メールマガジンを主宰されていたのです。この交流会+才式さんの事務所鍋パーティーでネットワークは更に広がりました。

株式会社メールニュース

 た同時にその頃、デジタルメディア研究所の橘川代表からアクセス向上委員会を主宰している私にメールでコンタクトがありました。今度、大手電器メーカーがインターネットに関するマーケティング座談会を開くからそこでネットに詳しい学生の立場で好き勝手におしゃべりしてほしいというご依頼です。謝礼ももちろん出るらしい。そもそも私は「研究所」という知的な社名の響きにも惹かれました。当時は「デメケン」が業界ではこんなに有名な会社だとは知らなかったのでありますが、これまたいそいそと出かけていきました。

デジタルメディア研究所

 談会では私の他に原宿でマルチメディアコンテンツの制作をされているシンクという会社の竹内社長という存在感のある社長さんに出会いました。当時私は流行のたまごっちを真似てWeb上でペットを育てるソフトを密かに試作していたのですがそのことをぼそっと話すと竹内社長が「今度うちの会社に遊びにきなさいよ」とのこと。

Think Inc.

 ちろんこれまたいそいそと出かけました。当時学生の私にとって「社長」からお呼ばれするなんてそれだけで感激でした。早速出かけてみると出会いがありました。その後Webデザイン関連の書籍の著者でNHKの連続番組でタレントの西村知美さんらとメイン司会を勤めることになる佐々木博さんがシンクオフィスにいたのです。私と同年齢でネット好き。いきなり何時間も話した後、佐々木さん曰く「今夜は近くのクラブで業界のパーティーがあるから橋本くんも参加してみたら?」

 のパーティー、芸能タレントさんも参加していたりWiredの編集者の方も参加していたりとメディアの世界に憧れていた学生の私にとっては夢のような場所。竹内社長はホスト側のメンバーだったのですが、まだ2度しか会ったことのない私をそれらの業界人に「このチェリーボーイ、学生の癖に今度インターネットの本を出したいとか面白いこというんだよね」と紹介してくれました。そりゃもう、名刺を配り、ちょっとは気の利いた会話ができるよう頑張りました。結果、数週間後には私は幾つかの出版社や制作会社から初めての仕事を受注してプロへの第一歩を踏み出していました。数年後、私は佐々木さんと共同でいろいろな仕事をすることになったりHotWiredに寄稿するようになるのですが(遠い目)。

 た、当時私はネットワーク出版を考えるメーリングリストというところに参加していました。このMLは「えふりぺ」という参加者各自で書いた創作小説やコラム記事を 1ヶ月に一回流す同人誌メールマガジンを発行していました。私も何か書いてみたいと思ったので早速、管理者にメールを書きました。管理者にあてたメールの冒頭は「編集長 深水英一郎さま」。現在のまぐまぐを作った深水さんその人です。

まぐまぐ

 て、1997年になると私の主宰するアクセス向上委員会メーリングリストもすっかり大きくなっていました。私はその頃既に500人以上の業界人やWebマスタと名刺交換をしていました。この人脈開拓が功を奏したのか初のオフ会開催(司会は才式さん、運営ディレクタが波木井さんにお願いしました。今思うと豪華スタッフで恐縮)ではサーチエンジン企業や有名サイトの運営者、出版社の編集長さんなどを含む300人が出席して下さいました。

 こで仲良くなったのが、人気サイトFieldgate代表の児玉一郎さんでした。名刺交換しながら児玉さん曰く「実は名刺の名前、それ偽名です」。大手電器メーカーに勤務する本業があったのでネットでは偽名を使っていたのです。児玉一郎さんは現在のDragonfield株式会社及び247MediaJapan代表取締役の門田威一郎さんのことです。

ドラゴンフィールド株式会社

 の頃、私は一本のネットワークゲームにはまっていました。Diabloという4人のパーティーをつくってダンジョンにもぐりモンスターを倒すというゲームでした。
私はこうして知り合った波木井さん、門田さん、に加えて週刊SOHOメールマガジン編集長の森さん(現在のMediacom社代表取締役)にDiabloの面白さを語り、中毒になってもらい、 2週間以上、毎晩テレホーダイタイム 23時から朝が明けるまで4人で Diabloをプレイしつづけました。まだ全員が起業前。暇だった、んですね。ゲームをしながらネットワークエンタテイメント産業のビジネスモデルについて語っていました(嘘)。

Diablo

Mediacom

 Diabloに明け暮れていた頃、私のWebサイトを見た毎日コミュニケーションズの編集者の方からアクセス向上委員会で書いたことを一冊の書籍として執筆せよとの指令も下りました。編集部というところを訪問したのは初めてのこと。執筆実績がまだなかった私はそれ以前にある雑誌にコメントを求められ、掲載されたことがあったので、執筆実績のフリをして印刷して持っていきました。なぜか、それでOK。出版はあっさり決まってしまいました。

 あ、単行本用の記事を書き下ろす為に、取材せねばなりません。もっと人と会わなきゃねと思いました。関東は会ったから、関西のWebマスタだな、次は。関西へ出かけました。アクセス向上委員会で評判になっていたTシャツ通販の岸本屋(現在のイージー)の岸本社長に通販サイトのノウハウを語ってもらう為に。

有限会社イージー

 「関西行くんだよね、岸本さんていうすごい社長さんに会いに」。事前に深水さんにメールしておいたら、深水さんも取材の場所へきてくれました。取材後、3人で岸本社長の太っ腹なおごりで、京都加茂川の料亭へ。まぐまぐの構想を語る深水さん。私は岸本さん取材に頭が夢中で、思えば、もっと真剣に深水さんの話を聞いとくんだったな(笑)あの料亭に大物は岸本さんだけじゃなかったのでした。
そして翌日関西でのアクセス向上委員会オフ会。とくとくページの山本さんに取材依頼の目的も達成。

 のオフ会でこれまた勢いのある集団と出会いました。Webホスティングと制作会社パイナップルカンパニーという会社の面々。圓尾伸三社長から今度、ぜひ神戸にきて、パイナップルのクライアントさんたちにWebの有効活用について話をしてくださいと頼まれました。それで数ヵ月後、神戸にも行ったのです。そこで私の人生の師匠との邂逅が待っていようとは。

株式会社パイナップルカンパニー

 戸訪問するまで私はKandaNewsNetwork神田敏晶さんについてメールのシグネチャが異常に長い人という以外知りませんでした。当時の神田さんのシグネチャは100行近くありました。シグネチャにKNNのメールマガジンを含めていたのです。
強引な人がいるものだなあ...と思っていただけでした。Mac系では既に当時でも有名なキーパースンだったのですがWindows系の私は神田さんの活動を知らなかったのです。

KandaNewsNetwork

 かし、実物の神田さんと出会い、まずはそのエンタテイメント能力に圧倒されました。会う人すべてが神田さんの話術にはまってしまっているように見えました。思いついたら行動してしまう能力もすさまじく、世界のコンピュータ企業トップに個人メディアの肩書きでインタビューしてきたというのも納得。パイナップルの事務所で朝までオフ会から流れたメンバーで神田さんが新しく立ち上げるメールマガジン「関西インターネットプレス」の構想を語りました。熱かった。

関西インターネットプレス

 して東京へ戻ってしばらくして、神田さんにもう一度会いたくなって、「今度東京の幕張で開催されるエキスポの取材をご一緒にしませんか。レポートをWebで流しましょう」というメールを書いてみました。神田さんも同時に同じ趣旨で企画を考えられており、話は瞬時に決まりました。共同企画の名前は「Expocaster」神田さんが既に出版社やサーバ会社との提携も決めており、私の思いつきは神田さんのパワーで、エキスポ主催企業の公認裏番組という立場でWebとビデオで放送するという大げさな企画になってしまいました。

GabbyExpoCaster

 してこの企画はその後海外取材編を含む10回も続く連続企画に発展しました。
何度か神田さんとは、海外取材でご一緒しましたが、第一回の私の渡米費用は神田さんが全額負担してくれたことを私は一生忘れません。神田さんは私以外にもきっとそういうことをされていらっしゃるのでしょう。だから、あれだけの人脈ができてしまうのだと思います。もしも私も将来後輩を導く立場になったら、後輩を一緒に海外へ取材に連れて行き、海外人脈をさりげなく紹介してまわるなんて粋なことをやってみたいものです。かっこよすぎです。

そして神田さんを通じて直接間接に私の人脈は無数に伸びていきました。

 上、これが 1996年から 1997年までに私の履歴抜粋です。私のネットワーク人脈形成の歴史は加速度的に1999年末の現在にまで続くのですが、私はこの3年で1500人以上と出会いましたから、割愛しないと何千行にもなってしまいます。また、ここ1年くらいの話は生々しいし、業務上の守秘義務も出てくるのでお話はまた数年後に。

この履歴を眺めて思うこと。

 ンターネットでは個別の端末の識別にIPアドレスというマジックナンバーを使いますよね。インターネットで重要なのはインターネットとサブネットの使い分けなのだと思っています。サブネットというのはその名の通り、インターネットの中に無数に存在する下位の小さなネットワークです。サブネットを作るには技術的にはサブネットマスクというフィルターを使います。サブネットマスクが設定された範囲のIPアドレスは独立した閉じたネットワークになります。

 ンターネットを広い公海領域だとすれば、サブネットは湾です。湾には幾つかの港があり、信頼関係のある仲間が一緒に日々の生活を暮らしています。このサブネットを少しずつ信頼関係の中で接続して新しいサブネットを作っていくこと。 サブネットを常にインターネットに接続しておくこと。サブネットマスクをかけすぎないこと。それが私が1996年から覚えた唯一の人間ネットワーク構築術です。

 BitValleyというサブネットで私もまた更にいろいろな人たちと出会うことが出来ました。閉じてることとオープンでいることを同時に行うのが人脈形成のポイントなのかなと思いました。いったん、それなりの知り合いを作ってしまうとその枠の中で閉じこもって生活できてしまうものですが、常に出会いに目を向けていかなければ変化の早いインターネットでは取り残されてしまいますから、これからも私は人脈構築作業に励みたいと思います。

 少プロトコルが違うように思えたって、すべて基本がIP(InternetProtocol)でつながっている人たちですしね。BitStyleにもそのうちまた、参加させて頂きます。

 て私自身の話を最後に少し。私はアナリスト、コンサルタント、ライター、Webプロデューサ、システム構築プログラマなどの仕事をフリーでこなしてきましたが、私も来年、株式会社という形態で起業してみようかなと思っています。事業内容はここで書いた人間ネットワークを観察して思いついた新しい事業です。 現在、詳細な事業プラン策定中なのでお話できる段階になったらまた聞いていてやってくださいませ。


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