[Web Travelers]
[写真] 岩嵜博論
 ウンベルト・エーコの新作『前日島』を読みました。人間にとっての「知」の意味を、小説という手法で語るという『薔薇の名前』以来のエーコの手法は健在です。今回のテーマもこの小説とちょっと関係あるかも。


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時間の同期、空間の非同期!?

 1999年8月22日。1999年9月9日。2000年1月1日。これらの日付は、いずれもコンピュータの誤動作が起こった、あるいは起こることが予想されている日です。中でも、2000年1月1日は、いわゆる2000年問題として広く認知されています。2000年問題については、WebMag28号で眞柄さんが取り上げられている(2000年問題と暮らしの備え)ので、詳しいことはこちらをご覧になるとよいのではないかと思います。

 て、2000年問題をきっかけにして、ぼくたちは、いかにコンピュータにとって日付というものが重要なのかを思い知らされました。逆にいえば、たかが日付に翻弄されているコンピュータってなに?って話にもなるかも知れません。しかし、日付は本当に「たがが」と謗ってしまっていいものなのでしょうか。例えば、パソコンの内部の時計用の電池を引き抜いて、パソコンの時計が常に初期値しか表示しないようにすれば、一生2000年はやって来ないはずなので、2000年問題は回避できるのでしょうか。こんなことをしたらまず最初に普段メールをやり取りしている友達から苦情が来そうです。「おまえから届くメールは、受信日時でソートすると変なところへ行く。なんで、いつも日付が1904年なんだ」って。(そもそも、2000年問題で問題とされているは主に汎用の大型コンピュータでの話なので、こんな小手先のごまかしが効くはずないのですが…)

 うして考えてみると、パソコンにモデムがついているのが当たり前で、夜な夜なインターネットに接続して、日常的に顔を合わす友人とまでメールのやり取りをするようになった今、上に書いたような「日付アウトサイダー」にはなることはかなり難しくなってしまったのかもしれません。つまり、いわゆる「情報化」というものが進めば進むほど、ぼくたちは時刻に拘束されているのです。しかも、その時刻というのは、117の時報でブロードキャストされているような、単一で絶対的な標準時なのです。今回は、2000年問題にヒントをもらって、この絶対的な時刻に合わせること、すなわち同期(シンクロナイズ)させることについて、少し考えてみたいと思います。

 くは最近自宅のMacintoshのOSを、MacOS8.6という新しいものに更新しました。それまで使っていた古いものと比べて、いろいろ新しい機能が増えているらしいので、Mac OS 8.6の特長をチェックしていて、一つ気になった個所がありました。「ネットワークタイムサーバによる時刻合わせ」という項です。そこには、「世界標準時をベースにしたインターネット・タイムサーバに日付と時刻を確認し、正確な時刻を設定します。」とありました。

 れは、おそらくNTP(Network Time Protocol)という通信手段を利用したものだと思われます。NTPについては、国立天文台地球回転研究系水沢観測センターのページや、青森県にあるISP、InfoAomoriのページに簡単な説明があります。NTPによって標準時刻と同期させることはUNIXの世界では割と一般的でした。パソコンの世界でも、宇野信太郎さんの桜時計や、Macitosh用のVremyaといったような、NTPクライアントと呼ばれる時刻同期のためののソフトがあります。ぼくはこれらの存在は知っていても、几帳面な人が使うのかなくらいに思っていました。まさか、OSに標準装備されるとは、ちょっとびっくりしました。

 NTPを用いた時刻同期は、インターネットの回線を利用してNTPクライアントとNTPサーバの時刻を同期するという仕組みになっています。それでは、標準時刻供給の大元となるNTPサーバはどのようにして標準時を知りうるのでしょうか。先程紹介した国立天文台のページには、三鷹にあるNTPサーバはセシウム原子時計に、水沢観測センターにあるNTPサーバは、カーナビなどでおなじみのGPSの時刻にそれぞれ同期しているとあります。
 そもそも、数あるNTPサーバが参照している原子時計や、GPSが刻んでいる世界標準時とはどのようにして決定されたのでしょうか。

 の疑問に対する親切丁寧な回答は、郵政省通信総合研究所周波数標準課のページの中の周波数標準課パンフレットにありました。このページによると、原子の振る舞いによって決定される原子時と、地球自転を基準に計測された天文時を相互に比較した結果、1972年に協定世界時が制定されたとあります。そして、世界各国で原子時計を用いた標準時が維持され、さらにその標準時を国際比較して平均化したものを国際原子時とするということです。しかも、その国際原子時の決定には、1ヶ月以上かかるということ。たった数十、数万分の1秒の調整に1ヶ月!なんだかよくわかりませんが、すごい世界のようです。
 さらにこのパンフレットでは、基礎科学の最前線や、高速通信技術のためにいかにこの標準時の維持が重要かを説いています。たしかに、先端技術の現場でこのような時刻同期のテクノロジーが必要とされるのは理解できるよう気がします。しかし、パソコンの時計を常に標準時に同期させる必要性はあるのでしょうか。

 う一度日常のできごとに立ち返ってみたいと思います。ぼくは最近携帯電話を水没させてしまい、修理も不可能と言われたので、新しい電話機を購入しました。ある日、何気なくこの携帯電話機の説明書を見ていると、これには「オート時間設定」という自動的に時刻の設定、修正をしてくれる機能がついていることがわかったのです。

 ソコンに続いて携帯電話の時計までもが、自動的に標準時を参照するようになったのです。ぼくは普段腕時計をつけないので、携帯電話の時計が腕時計の代わりです。時計の時刻が自動的に調整されていたら、待ち合わせの時に遅れても、時計が狂ってたなんて言い訳は通用しなくなってしまいます。そもそも時計には、それぞれの時計の中にそれぞれの時間が宿っているといったような、神秘的な魅力を感じます。テレビやラジオ、駅の時計などで知ろうと思えばいつでも正確な時刻を知ることができる現代において、いかに正確な時刻を刻むかということよりも、それぞれの人間がいかにそれぞれの時間を生きるかが問題だと思うのです。コンピュータに続いて、人間自体が完全に同期がとれた時刻に翻弄されるようなことが起こっても不思議ではないかも知れません。

 かし、emailや携帯電話といった相手を現前にしないコミュニケーションでは、「ここ」という場所は希薄であり、であるがゆえに「いま」という時間に頼らざるを得ないのかもしれません。直接話しているときはまだしも、携帯電話の着信録や、emailの受信簿に残された相手の痕跡において、二人が共有する標準こそが二人をつなぎとめる地平となるのですから。このように考えると、パソコンや携帯電話にまで、時刻の自動同期が備え付けられるのも納得できるようなが気がします。そして、時間はますます同期し、空間はますます非同期的になるのでしょうか。


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