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[写真] 岩嵜博論
 あまりに大学が不便なところにあるので、今まで関心のなかった運転免許を取って、数ヶ月前から車で通学しています。車に乗っていると、歩いているときには醜悪にしか見えなかった幹線道路沿いのロードサイドショップの光沢とネオンが気にならなくなってしまいました。ヒューマンスケールを越えたスピードを手に入れた代償なのでしょうか。


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時間空間としての廃墟

subject: 建築都市設計演習Dに関して

第二海ほ見学会

日時: 11月30日(火)
集合: 村本海事に11時20分集合
    (12:00の船に乗る手続きがありますので、時間は厳守して下さい。
     場所の詳細は、地図及び以下の情報を参照して下さい。)

 る日こんなメールが届きました。大学の設計演習の授業で、課題に指定されている敷地の見学会のお知らせメールです。普段大学では、市街地の一角に商業施設を計画したり、今は駐車場になっている場所に住宅を計画したりすることが設計演習の課題として出題されます。それが今回は、島。それも、明治時代に建設された海上要塞の跡地だというのです。

 はもう要塞としての役割を終えて、静かに潮風に吹かれ、波間に漂うその島の名前は「第二海堡」といいます。第二海堡は、明治時代に帝都東京の防衛のために神奈川県横須賀と千葉県富津岬の間の東京湾上に計画され、明治から大正時代にかけて一大国家プロジェクトとして建設された海上要塞です。ここには海上から東京湾を経て東京を攻撃しようとする艦隊を迎撃するために、大砲が備え付けられていたのです。

 ツダハジメさんのサイトには、1997年の夏にこの第二海堡を訪れたときの写真が多数掲載されています。マツダさんのサイトにもあるように、第二海堡は、完成直後の関東大震災や、第二次世界大戦後の米軍による武装解除によって破壊されました。現在はダイナミックに崩壊したレンガ積みの壁が廃墟となって残っているだけです。「廃墟ファン」というサイトにも第二海堡のことが紹介されています。(「ひとりぼっちの取材陣」第二海堡)このサイトでも作者が実際に第二海堡を訪れたときの様子がドキュメンタリーっぽく紹介されています。

 は、敷地見学会に参加する前は、第二海堡は要塞としての存在は忘れ去られ、一部の釣りファンに密かな釣りの穴場として記憶されているだけだということを聞いていました。しかし、敷地見学を終えて、参考になるものはないかとインターネットで検索してみたところ、ここで紹介したマツダさんのサイトや「廃墟ファン」といったサイトで取り上げられているのを見つけたのです。しかも、「廃墟ファン」に至っては、第二海堡だけではなく、「廃墟を愛好する皆様のために日本各地の廃墟を取り上げて紹介して」いるのです。

 はぼくも、昔見た、ダムに沈む集落の、人の気配が失せて今にも崩れそうな建物や、明治時代まで住職がいた、という山奥の古寺などの印象が強烈に記憶に残っていて、廃墟に対して得体の知れぬ魅力を感じていたのです。とくに自分の廃墟趣味を確信したのは、高校生の時に、長崎県にある軍艦島と呼ばれる廃鉱になった炭坑の島を撮影した写真集を目にしたときでした。軍艦島は、建築史の世界でも、日本における初期の鉄筋コンクリート造の集合住宅で、しかも今では信じられないような超過密の状態での居住を実現していたことでも有名です。建築史の世界だけでなく、軍艦島は廃墟愛好家にとってもあまりに有名でオーソドックスな存在のようです。

 「軍艦島ホームページ」では軍艦島のことが貴重な写真とともに非常に詳しく紹介されています。TAMAさんのページでは軍艦島を訪れたとき撮られたモノクロームの写真が公開されています。(軍艦島)「軍艦島ホームページ」に掲載されている、炭坑の島として人々の息吹が感じられた頃の写真と、TAMAさんのページの廃墟となった現在の軍艦島の写真を見比べてみると、そのギャップに驚かされ、過ぎ去った時間が暴力的に空間に働きかけた様子をうかがい知ることができます。「軍艦島 Ver3.0」というページでは、ウェブデザイナーによって軍艦島の様子がかっこいいビジュアルで表現されています。ここまでくると、廃墟はもはやネガティブな荒廃現象でも、ノスタルジアの対象でもなく、肯定的な価値によって捉えられているようです。

 艦島の他にも、廃墟を取り上げているサイトはたくさんありました。「Archives」は廃墟に特化したサイトではありませんが、近代建築を紹介するページと共に、「戦跡を歩く」や「廃線跡を歩く」などのページがあり、「戦跡を歩く」のページでは、第二海堡の近くにあって、第二海堡と同時期に海上要塞として整備された猿島のことが紹介されています。野村宏平さんのサイトにある「東京真空地帯」は東京都内にもかかわらず、ゴーストタウン化してしまっている都市の「隙間」を取り上げています。このページの作者は、区画整理や再開発の名のもとで廃墟として放置されていることを指摘しながら、「隙間」化しているこれらの空間に哀愁を感じ、記録に残そうとしているようです。

 ある廃墟関係のサイトの中で、特に興味深かったのは、「NEGISHI RACE COURCE」というサイトです。ここは、旧根岸競馬場という横浜の根岸台に建てられた日本最初の競馬場が、歴史や、古い写真、デザインエレメントなど、詳細に紹介されているサイトです。根岸競馬場は戦前まで競馬場として使われていました。その後戦争を期に軍関係の施設として転用され、戦後の米軍による接収時代を経て、現在では建築は廃墟として残り、周辺は公園として整備されているようです。ぼくがこのサイトに惹かれたのは、作者の根岸競馬場という廃墟に対するただならぬ愛を感じたからです。そして、その愛情は亡くなった恋人に対する永遠の恋ともいえる、時間の結晶が媒介する相互交感過程のようなものなのです。

 くは廃墟を目の前にすると、廃墟を廃墟として成立させている時間の塊の重さを全身に感じてどうしてよいのかわからなくなります。しかししばらくすると、現在という時間と過去という時間が廃墟という空間によって媒介され、空間に凝縮していた時間の塊は、現在の存在であるぼくを包み込み、現在のぼくの存在を無化させます。ぼくが廃墟に魅力を感じるのは、破壊趣味でも、懐古趣味でもなく、時間の塊に包まれることによって、時間に支配されたこの世の中の重大さを感じることができるからなのではないかと思っています。

 の感覚は、伝統的建築や歴史的な街並を前にした時に感じるものとは違った感覚です。これらは廃墟と同じか、それ以上の時間の経過を経て存在しているのにもかかわらず、あくまでも「構築」であるため、廃墟という「マイナスの構築」が持つ時間の磁場とは異なるものです。建築・都市にかかわる者が、「マイナスの構築」に対して深い愛を感じてしまうのは皮肉なことかもしれません。しかし、「マイナスの構築」にこそ、次世代の「構築」のヒントが隠されていると考えることもできるのではないでしょうか。


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