[Web Travelers]
[写真] 岩嵜博論
 2000年の元旦は東京都心を自転車で一周しました。ここ数年は元旦に都心をうろついて非日常的な都市の姿を観察するのが恒例となっています。今年は自転車という新しいスピードを手に入れて、これまでとは少し違った元旦都市の風景を見ることができました。


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第三のお茶を巡って台湾へ

 ポートなんかを書くのに自宅でパソコンに向かってぶつぶつ言ってると、思い通りに進まなかったりしてだんだん不機嫌になってきます。そういう時はだいたいコーヒーを飲みます。コーヒーメーカーをセットすれば、放っておいても知らない間にそこそこおいしいコーヒーができて便利だからです。それですんなり機嫌がよくなってくればよいのですが、ますます不機嫌、注意散漫、気分激昂してくることも、しばしばあります。そういう時はだいたい紅茶か日本茶を飲みます。お茶メーカーのような便利なものはないので、お茶を煎れるときは、まずお湯を沸かして、茶葉をポットに入れて…と手動でやらなければなりません。この手動のステップがリラックスのきっかけになったりするのです。最近、紅茶、日本茶に加えて中国茶がこの手動ステップの選択肢に加わりました。

 年ほど前に、ある月刊誌でお茶が特集されていたとき、紅茶、日本茶と一緒に中国茶が取り上げられているのを読んだことがありました。それまでのぼくにとっての中国茶といえば、コンビニでペットボトルに入っていたり、居酒屋の飲み物メニューのはじっこにあったりする烏龍茶くらいしか知りませんでした。お茶というよりもレディメイドのソフトドリンクというイメージだったのです。ところが、その雑誌を読んでみると、(よく考えると当たり前なのですが)中国茶も紅茶や日本茶と同列で語ることのできる立派なお茶だったのだということがわかったのです。しかも日本茶、紅茶、中国茶の茶の葉は植物学的にはほとんど同じという事実は当時のぼくにはかなりの驚きでした。

 れからしばらく中国茶のことは忘れていました。本格的に飲んでみようにも機会がなかったのです。ところが、先日横浜の中華街に行った時に、中国茶専門の喫茶店を見つけて、また思い出したのです。そのお店は三希堂というところで、Koichi Hirataさんのホームページ、遊笛山房の中の「中国茶で一服」というページでも台湾式茶藝館として紹介されています。このお店で新鮮だったのは、お茶を注文すると、コーヒーを出す喫茶店のようにお茶がカップに注がれて出てくるのではなく、客がそれぞれのテーブルの上で自分たちの手でお茶を煎れるシステムになっていたことです。テーブルの上には、茶器とアルコールランプにかけられたガラス製のやかんが用意されていて、客がそれぞれ好きなタイミングでお茶を煎れているのです。

 で調べてみると、これは功夫(工夫)茶という少しフォーマルなお茶の煎れ方であることがわかりました。功夫茶については、Hirataさんのページや、相模大野にある台湾風喫茶店「東方美人」のページに詳しい解説があります。これらの解説を見ていただければわかっていただけますが、功夫茶で用いられる茶器は日本茶を煎れるときなどに使われる急須や茶碗に比べてとても小さいものです。功夫茶ではこのような茶器を用いるので、一度にたくさんお茶を飲むことができません。小さな急須で少量のお茶を煎れ、それをさらに小さな茶碗で少しずつ楽しむのです。

 れからまたしばらくして、台湾を一人で旅行する機会がありました。台湾では1週間ほど台北に滞在していました。台湾に行けばお茶を飲まないわけにはいかないだろうと思って、これまで集めた資料をたよりに、いくつかの茶藝館(喫茶店)をたずねてみることにしました。そのうちの一軒は台北郊外の台湾大学の近くにありました。そこは、繁華街からは少し離れた住宅街一角に、台湾が日本の植民地だったころに建てられた日本家屋を利用した茶藝館でした。

 り口から小さな庭を横目に家屋の中に入って茶を飲みたい旨を受付の女性に伝えると、奥の部屋に通されました。驚いたことに、そこは10畳ばかりの和室だったのです。部屋の中には黒いテーブルがまばらにおかれていて、そのうちの一つを前に腰を落ち着かせると、しばらくして店員がやってきてお茶の説明をしてくれました。ぼくはわりとポピュラーな凍頂烏龍茶を注文しました。しばらくするとまた店員が現れて、横浜の三希堂で見たものと同じような茶器とやかんを運んできました。店員はお茶の煎れ方を説明しながら一煎目のお茶を煎れてくれました。やはり功夫茶の作法でした。

 明が終わると店員はまた奥の方に消えて、ぼく一人になりました。同じ部屋には、大きな声でフランス語を話すアジア人の男性と、欧米人らしき女性がフランス語と中国語でお喋りしていたり、おばさんが二人熱心に話しこんでいるテーブルがありました。ぼくはその中にいて一人で書き物をしていました。中国語とフランス語なんて意味もわからず、心地よい雑音となってぼくの書き物は進みました。書き物に疲れると、お茶を煎れました。沸騰したお湯を急須に注ぎ、しばらく待ってから別の容器に移す、さらにそれを2種類の器に移し変えるという作法は、お茶を煎れる手動システムの中でも、紅茶、日本茶と比べるとステップ数が多いものです。しかしこの動作は決して煩雑なものではなく、この呼吸をおいたステップがかもし出す間が実に心地よいことに気がつくのです。

 本茶には茶道というフォーマルな形式があります。調べてみると、茶道の中にはよく知られた茶の湯、すなわち千利休が体系化したといわれる抹茶を用いる茶道の他に、煎茶道と呼ばれるものがあることがわかりました。(煎茶道に関しては、その一流派、松月流のページが充実しています。)中国茶の作法である功夫茶はどちらかといえば煎茶道に通ずるものがあるのかもしれません。しかし、煎茶道にしても茶の湯にしても、これらの作法が形式を越えて日常生活に浸透しているとは言えません。

 方、功夫茶の面白いところは、一種の形式が日常的にも実行可能で、お茶の香りや味を楽しむという「食」の一形態としてのお茶の存在意義とも強く結びついているということです。究極の形式を日常的に追究するのはしんどいけれど、マグカップになみなみと注いでガブ飲みすればいいというわけでもなく、功夫茶はその中間点にあって、形式と「食」のバランスがほどよいのです。日常にちょっとした形式を導入することがこんなにも新鮮なものだとは思いませんでした。このシステムは考え方によっては、日本茶や紅茶にも適用可能です。お茶を煎れるときの気持ちの持ち方を少し変えてみるのもいいのではないでしょうか。

 回この原稿を書くに当たって、中国茶についてインターネットの検索エンジンでいろいろ検索してみました。すると予想以上にたくさんのサイトがあることがわかりました。どうやら中国茶がはやっているみたいですね。数あるサイトの中でも特に充実しているのは、上でも紹介したKoichi Hirataさんのページです。このページは個人ページの常識を超えた充実度で、ぼく自身ここまでのボリュームの個人ページを見たのは初めてではないかと思います。リンク集も充実しているので、中国茶に関心がある方はこのリンク集からたどっていくといいと思います。

 らに検索を進めると、「中華民国・台湾」のホームページの中の中国茶を紹介するページに面白い記述を見つけました。それは、中国北部ではお茶のことを「CHA」と発音し、南部では「TEE」と発音する、そのため、中国北部からお茶が伝わった国ではお茶のことを「C」から始まる単語で表記し、南部から伝わった国では「T」から始まる単語で表記するというものです。沢木耕太郎さんの『深夜特急』の中に、確かトルコあたりで、お茶の表記が「C」から「T」に変わって、主人公がその感慨に耽るというシーンがあったように思います。この台湾政府のホームページの記述を読んでふとそんなことを思い出しました。


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