[Web Travelers]
[写真] 金子伸二
 昨年の夏引っ越した住まいの近くには図書館があり、おかげで休みの日などこまめに足を運ぶようになりました。いまどきの公立図書館って充実してるんですね。専門書もけっこう揃っているし、CDやマンガも貸してくれるとあって、いつも大勢の人でにぎわっています。図書館で思い出すのはなぜか食堂。かつてよく通った図書館には小さな食堂があって、そこの決してうまいとは言えないカレーやラーメンの味は、今でも妙に心に残っています。こういう人、意外と多いのでは?


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オン・デマンドってなんでんねん

 2000年になったとたん、去年のことを蒸し返すのもナンなんですが、本の話です。といっても、過去を振り返るような後ろ向きの話題ではなく、これからの本のありかたに関わる前向きの話題なので、ミレニアム最初のテーマとしておかしくないのではないかと思います。

 年の出版界での大きな出来事の一つに、オン・デマンド出版の実験が本格的に開始されたということがありました。「デマンド (demand)」は「要求」「需要」という意味の英語で、そこから「オン・デマンド (on demand)」は「要求があり次第」「需要に応じて」という意味を表わしています。オン・デマンド出版とは、読者からの注文を受けて本を製作・販売する仕組みのことで、これまでのように、出版社が一定部数の本を前もって印刷し、取次店を経由して書店に並んだ本の中から読者が買うという一方通行の流れとは大きく異なるものです。
これまでのやり方では、例えば欲しい本が品切れ(絶版)になってしまった場合、読者は再刊されるのを待つか、あるいは古本屋さんや図書館を探してまわるしかありませんでした。オン・デマンド出版の場合、本の製作(印刷や製本)は読者からの注文を受けておこなわれるので、「品切れ」ということが基本的になく、読者は欲しい本を欲しい時に買うことができるようになります。
また、少部数しか販売が見込めないために採算が合わず、これまで出版に至らなかった学術書や専門書のような分野でも、オン・デマンド出版であれば売れる部数だけ製作することができて、在庫を抱え込む必要がないので、出版が可能になるとされています。

 うしたことが可能になるのは、オン・デマンド出版における印刷や製本の仕組みが、これまでのように印刷用原稿(版下)をフィルムに製版してそれを刷版に加工し、大型の印刷機で大量に印刷していくというやり方ではなく、コンピュータ上の印刷用データを直接印刷機に送り、コピー機の親分のようなその印刷機で必要な部数だけ印刷するというやり方をとっているからです。場合によっては、印刷機の末端に付けられた製本機で簡易製本すれば、本の形に仕上がった状態でできあがってくるということになります。大量印刷を前提にしていて、それだけに非常にコストのかかる製版・刷版の過程を省くことで、少部数の製作にも柔軟に対応ができるわけです。

 うしたオン・デマンド出版の考え方は、印刷・出版の世界にコンピュータが普及するのにあわせて以前から唱えられており、また欧米ではすでにさまざまなオン・デマンド出版の試みが行われていましたが、日本でも昨年になって実用化に向けての実験が本格的に開始されました。
BOOK-INGは、そうしたいくつかの試みの中で、比較的規模の大きいものの一つです。本の取次会社である日本出版販売(日販)を中心に大手出版社が出資して運営されているもので、現在は参加出版社が絶版本の中からそれぞれ数点の本を目録に提供しています。読者は目録の中から欲しい本をホームページ上で注文し、料金はカード等で決済、本は宅配便で手元に届けられるという仕組みです。目録を見ると、それぞれの出版社の個性が出ていて、どんな本なのか読んでみたい気持ちにかられます。
私もさっそく1冊注文してみました。買ったのは悠玄亭玉介著『たいこもち玉介一代』(草思社発行)。今では数人という「たいこもち」の一人である著者が、その50年にわたる思い出を振り返った一代記ということで興味をひかれました。ホームページ上で注文をして数日で本が到着。ちょうどワープロ原稿をコピー機で刷ったような版面で、製本もページを接着剤で綴じて表紙でくるんだ簡易なものですが、思っていたよりも読みやすく、読み物の本としてはこれで十分ではないかと感じました。読み始めてしまえばオン・デマンド出版の本であるということを意識することなく、玉介さんが語るかつての浅草の花柳界に引き込まれてしまいました。
難点を言えば、本の値段が普通の本にくらべてやや高いかなぁということです。実は先の本を選んだのには、内容に興味をひかれたということのほかに、値段が比較的安かったということもありました。普通の本と同じくらいに値段が下がって、目録ももっと豊富になっていくといいのですが、まだ始まったばかりなので、今後の行方を見守っていきたいと思います。
もう一つの興味深い試みがHONCO on demandです。これは雑誌『本とコンピュータ』編集室と大日本印刷が共同でおこなっているオン・デマンド出版の実験です。「BOOK-ING」が取次会社を中心とした流通の立場からの試みであるのに対し、「HONCO on demand」は本を製作する立場からの試みであることが特徴で、その内容も、「BOOK-ING」が既刊の絶版本の復刻に主眼を置いているのに対し、「HONCO on demand」でははじめから少部数での出版を前提に本を製作し、従来のやり方では出せなかった本を出していこうという姿勢をとっている点が異なっています。ですから、ここで扱われている本は、これまで市販の本として出版されたことのない、この実験のために製作された本が中心となっています。こうした立場については、このページの「オン・デマンド出版とはなんだろうか?」という記事で詳しく触れられており、一口に「オン・デマンド出版」といってもさまざまなあり方があることに気づかされます。
面白いと思ったのは、注文する際に、本の装丁を並製と特製(フランス装)の2種類から選ぶことができるという点です。なるほど、「オン・デマンド」の考え方からすれば読者の注文に応じて本の体裁をカスタマイズすることも本来は可能なわけですから、そうした方向への展開の第一歩として、興味深い試みであると思いました。

 にも関西学院大学出版会がオン・デマンド方式による学位論文の出版サービスを始めたり、ダイヤモンド社が雑誌ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス掲載の論文を希望に応じて冊子にまとめて販売するなど、いろいろな分野でオン・デマンド出版の試みが始まりました。取次大手のトーハンと印刷大手の凸版印刷が共同設立したデジタル・パブリッシング・サービスも、事業開始が予定されています。

 こまでくると、「そんなことをするくらいなら、わざわざ本の形にしないで、電子テキストとしてネット上で配信してしまえばいいじゃないか」という意見も出てくると思います。とはいえ、本であることにはそれなりの意味もあって、読みやすさや携帯性、そして「本」という物としての存在感など、簡単には切り落とせないものがあると思います。「HONCO on demand」の試みを見ても、この人たちはあくまでも「本」を作りたいのであって、それは中身のデータだけの問題ではないのだということが伝わってきます。本を作りたい人に向かってデータで配信しろと言うのは、極端な例ですが、ジョージ・ルーカスに向かってテレビドラマへの転向を勧めるようなものなのかもしれません。

 かし、現在のところのオン・デマンド出版には、どうもこれまでの出版の便利な代用品という雰囲気が残っているように感じられます。たとえその中身はオン・デマンド出版のために新たに作られたオリジナルなものであっても、それは本当なら普通に出版したいけれど、それが難しいからオン・デマンドでやるというような、ともすればオン・デマンド出版を二次的なものと捉えるような控えめな姿勢があるように思えました。
これからオン・デマンド出版が本格的に普及していくには、オン・デマンド出版だからできる、むしろそれでしかできないような中身を考えていくことがとても重要になってくると思います。自分の家のまわりは詳しく、遠くなるにしたがって情報が粗くなるような地図帳。初学者向けの単語は大きく、専門用語はうんと小さく印刷してある辞書。「こんな本があったらいいな」ということがあれこれ浮かんできます。デジタルとアナログの長所を活かした新たなツールとして、オン・デマンド出版のこれからがとても楽しみです。


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