[Web Travelers]
[写真] 栗田涼子
  先日、隣り村で開催された馬上競技「ホース・バル」のフランスチャンピオン大会を観ました。  乗馬とバスケットボールとハンドボールを合わせたようなこの競技。  これまで、そんなスポーツが存在することすら知らなかったのですが、馬を足だけで操る技といい、上体を使ってボールをさばく身のこなしといい、いやあ〜何という迫力!美しさ!!いやはや、瞠目いたしました。


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風の民“チガーヌ”

在フランスには、およそ2万人以上の日本人が住んでいるといわれる。気軽に渡欧することが可能になった今、毎年多くの日本人が長期滞在、もしくは永住目的でこの国にやって来る。パリの有名レストランでは、必ずといっていいほど日本人が働いているし、日本企業が進出する北部の工業地帯や、地方の大学都市にも多くの日本人が滞在している。しかしながら、プロヴァンスの片田舎となれば話は別だ。私が住んでいる人口三千人足らずのこの小さな村には、日本人はおろか、アジア人種は私を含めてわずか2〜3人。ベトナムやカンボジア人、中国人を含むわれわれアジア人は、ここでは圧倒的な“マイノリティ”なのだ。最近はもう慣れてしまったが、当初、私に注がれる人々の好奇の眼差しには少なからず戸惑いを覚えたものだ。ほとんどの場合が単なる物珍しさによるもので、悪意はないのだが、時にはあからさまに挑発的な態度(そこにはアジア人に対する蔑視のニュアンスが込められている)を示す者もいる。私自身がこの社会ではマージナルな存在として暮らす今、「社会的マイノリティを生きる人々」について、改めて考えさせられるのはまさにそんな時だ。

まざまな民族が入り乱れる多民族国家フランスでさえ、人種的マイノリティは、社会の異分子として生きることを余儀なくされる。とりわけ、いわゆる“ジプシー”と呼ばれる人々は、フランスのみならずヨーロッパ各国で、その長い歴史において常に差別の対象となってきた民族だ。日本では一般的に、ジプシー(現状では差別用語)という呼称が流通しているが、異なったオリジンをもつ彼らを総称して“ロマ”、フランスでは特に“チガーヌ”と呼ぶ。彼らの社会的立場の向上に尽くすため活動を続けているフランス人、イヴォン・マサルディエ氏の運営するサイトTsiganesによると、フランスには大別して「マヌーシュ(またはシンティ)」「ジタン」「ロム」と呼ばれる三つの主なグループが存在し、彼らのほとんどが放浪生活を送っているという。日本でもよく知られるところでは、ジャズギターの名手ジャンゴ・ラインハルトは、マヌーシュ出身のチガーヌであるし、あの情熱的なフラメンコもまた、もとはジプシー達の音楽だ。
 ここフランス南部には、スペインのアンダルシアまたはカタルーニャ地方に縁の深い「ジタン」が多く住んでおり、キャラバンが数台集まって共同生活を営むジタン専用のキャンプ地が各所に見受けられる。彼らはキャラバンに家財一式を積み込み、街から街、村から村へと放浪の旅を続けるのだ。その間、ある者はミュージシャン、ある者はサーカスの旅芸人として日々の糧を得、また時には、季節労働者として果物や野菜の収穫作業に携わることもある。街頭で占いや新聞売りをする女性や、洗車をして小銭を稼ぐ子供達の姿も時折見かける。彼らはこうした放浪生活を数世紀にわたって続けてきたのであり、独自の生活スタイルに今も誇りを持っている。マサルディエ氏の<photos>のコーナーでは、こうしたチガーヌの生活ぶりが、いくつかの写真によって紹介されている。黒い髪に浅黒い肌は、彼らに共通する特徴である。カラフルなペンキに彩られた昔ながらの幌馬車やキャラバンは、動く住処であり、チガーヌのシンボルだ。彷徨える風の民・・・ノマドたることが、彼らのアイデンティなのだ。

ガーヌの生活習慣や文化については一般に広く知られていないが、彼らの巡礼地サント・マリー・ドゥ・ラ・メールで毎年行われるジプシーの聖典は、「黒い聖女」の祭りとして世界的に有名だ。サント・マリー・ドゥ・ラ・メールは、地中海に面した南仏カマルグ地帯の小さな港町で、夏には多くの海水浴客や外国人ツーリストで賑わう。一年を通じて各地を放浪しているチガーヌは、毎年5月24日になると、ここのカトリック礼拝堂に安置されている彼らの守護聖人「サラ」を讃えるため、国内外から一斉にこの地を目指してやってくるのだ。
 チガーヌ(ロマ)の起源や文化など、彼らに関する様々な情報を発信するサイトThe Patrin Web JournalSaintes-Maries de la Merの項には、この聖女サラとチガーヌとの歴史的な関わりについて記されている。それによると、黒い聖女「サラ」は、この地に流れ着いた聖女マリー・ジャコベとマリー・サロメにお供していた黒人の召使いであったとか、ジタンの娘サラが二人の聖女マリーを海難から救ったという説、サラはエジプト人であった等々諸説紛々入り乱れていて、実際のところ真相は明らかではないようだ。
 伝説の真否はともかく、現在もなお、チガーヌの人々にとってサラは熱狂的な信仰の対象であることに変わりはない。サラの彫像は、願掛けのため訪れた人々が着せた何十枚もの洋服でダルマのように着ぶくれし、チャペルの壁には回復祈願だろうか、何本もの松葉杖が立て掛けられている。安住の地をもたないチガーヌの、唯一の魂の拠り所が、彼らと同じ肌の色をした聖女の住む町なのだ。

The Patrin Web Journalには、この他にも、偏見と差別に晒されているチガーヌ(ロマ)の人々への正しい理解を促すため、彼らの文化や因習(衣食住や宗教、言語、民族的起源など)に関する詳細なデータや、最新レポートが掲載されている。また、European Roma Rights Centerは、ヨーロッパ各地に散在するロマの人権擁護のため、様々な活動を行っている団体だ。第二次大戦中、ユダヤ人と同様に千五百万人ものチガーヌが、ボーランドでナチスに大量虐殺されたことはあまり知られていないが、コソボ紛争に見るように、民族主義がますます高まるヨーロッパ各国で、彼らに対する露骨な差別事件が近年また相次いでいるという。千年以上の昔、彼の地インドを発ち、その後数世紀に渡ってヨーロッパ各地に移住していったと伝えられるチガーヌは、常に社会の辺境を生きるアウトサイダーとして、人々の差別の対象であり続けた民族だ。諸外国と比較して、政府や自治体による組織的なチガーヌ排除の動きがそれほど顕著ではないフランスでも、彼らに対する偏見はいまだ根強いようだ。今日では、様々な職業に就いて生計を立てているチガーヌも多い中、ジプシーと見れば泥棒呼ばわりするか、物乞いとしてすげなくあしらう人々も相変わらず多い。しかしその一方で、先に紹介したマサルディエ氏のように、充分な教育の場が与えられないチガーヌの子供達に「移動教室」を贈るため、永年に渡って彼らを援助し続けているフランス人もいる。ホームページの冒頭に掲げられた彼のメッセージは印象的だ。

「私の目的は、彼らの生きる様を語ることではない。彼らの身近な証人として、チガーヌが私たちより優るのでも、劣るのでもない人々であることを、ただ伝えるだけだ。キャラバンに乗った彼らは、私たちの社会を映す鏡なのだから・・・。」


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今回アクセスしたページ
  • Tsiganes
    (http://www.geocities.com/Athens/Forum/4201/index.html)
    • <Photos>
      (http://www.geocities.com/Athens/Forum/4201/index.html)