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[写真] 栗田涼子
 皆さんはどんなお正月を過ごされる予定ですか? プロヴァンス地方には「おせち料理」の習慣はもちろんありませんが、「キリストと十二人の使徒」を象徴した13種類のお菓子をつくる習わしがあります。そこで、今年はこの伝統菓子づくりに挑戦!と思っているのですが、「食い正月」に明け暮れた末に体重が増え、またもや「悔い正月」になるのでは・・・と暗い不安におののいている今日この頃であります。


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21世紀のセクシュアリティ〜拡大する家族〜

 1999年にフランスで起きたもっとも重要な社会的事件は何であったか? と訊かれたら、私は迷わず「le PACSの誕生」と答えるだろう。PACS (Pact Civil de Solidarite=連帯市民契約) とは、非婚姻カップルに対しても税控除や遺産相続、年金・保険給付など、結婚した夫婦とほぼ同等の権利と義務を認めるという法律のことで、およそ一年に及ぶ審議を経た末に議会で採択され、11月16日にようやく正式に発布されたのだ。この“非婚姻カップル”の定義に、同性愛者を含めるか含めないかがこれまで大論議の中心となってきたのだが、再度に及ぶ法案修正の結果、最終的に“性を問わず共同生活を送っているカップル(親族同士を除く)”に適用されることになった。つまり、同性愛者のパートナーシップもまた家族の一単位として法的に認められたわけだ。
20世紀最後の年に、伝統的なカトリック国フランスで、セクシュアル・マイノリティである人々が社会を構成する一要員として公に認知されたことは、これからの新しい家族のあり方を考えるうえで極めて暗示的な意義をはらんでいるように思えてならない。既存のイデオロギーが次々と解体し、多様化する個人の価値観に併せて社会の枠組み自体もまた大きな変容を迫られているいま。まさにその過渡期を生きる私たちに求められているのは、どんな家族像なのか・・・。ここでは特に、セクシュアリティの現在に焦点を当てて、21世紀の“もう一つの家族像”の可能性を探ってみることにする。

 ランスでは80年代以降、結婚をせずに共同生活を営むカップル(事実婚)でも、市役所に登録すれば「内縁関係(コンキュビナージュ)」として社会的に認知されるという制度が施行されてきた。しかしこの条項は、子供が生まれた後も結婚をせず、そのまま家庭生活を維持する家族が年々増え続けているという社会現象をうけて、主に婚外子の保護を目的としたもので、今回のPACSが規定するようなカップル相互の遺産相続権や経済的連帯義務を伴わない。また、この内縁関係は男女間に限られており、同性愛者のカップルには適用されない。そこで、こうした条件を「不平等だ!」とする事実婚カップルや同性愛グループの働きかけにより、コンキュビナージュに代わる新しい制度を求める気運が次第に高まってきた・・・ というのが、PACS成立のおよその背景だ。資料によれば、内縁関係にあるフランス人は全体の約19%を占め、10人の子供のうち4人は婚姻外子であるという。また1500万組のカップルのうち、およそ3万組は同性愛者カップルであるという調査データもある。PACSはフランス人の家族観、とりわけセクシャリティをめぐる意識が大きく変化・多様化した結果、必然的に生まれるべくして生まれた制度であるといえるだろう。
こうした例はフランスに限らず、世界的な動向であることは周知の通りだ。世界各国の同性パートナーシップにおける法的権利について調査したILGA(International Lesbian and Gay Association)の資料をみると、アメリカはもちろん、ヨーロッパだけでも8ヶ国が既に何らかの法律や制度を設けていることがわかる。また、フランスのオピニオン紙l'Expressの特集でも紹介されているように、ゲイやレズビアンのカップルが結婚し、養子や精子バンク出産によって子供を持つ例が急激に増えてきており、オランダでは約2万人の子供がホモセクシュアルのカップルによって実際に育てられている。また、アメリカではゲイビーブーム(gayby-boom)によってレズビアンカップルでは500万人、ゲイでは300万人の“親子”が誕生しているという。“一組の男女とその子供”というこれまで自明とされてきた家族像だけでは、もはや現代の家族を語ることはできなくなっているのだ。

 前の「家」の概念や、戦後の核家族という家族像は、国家や高度経済成長のシステムによってつくられたものであり、今後はその既成概念を解体しながら多様な家族のあり方を探ってゆかなければならない、というのが従来の家族論が基調とする考えだ。 WebMag27号の特集「家族のさまざまな形を求めて」でも検証されたように、とりわけジェンダーやフェミニズム思想の発展に伴う女性の社会意識の変化は、現代家族のゆくえを占う際の重要なポイントであることは確かだ。実際、男女共同参画社会基本法のように、男女平等を基本理念とした新しい家族像の実現を後押しするような社会制度が日本でも整いつつあり、それによって、今後の家族のあり方に一つの具体的な方向性が与えられることは間違いないだろう。しかしながら、従来の家族をめぐる言説や政策のほとんどは、男女二元論に基づいた「普遍的な家族像」を大前提としており、もっと根元的な問いかけ、つまり私たちが当たり前のように認識している「家族」という概念そのものの成り立ちについて疑問を投げかけるような視点を欠いてきたことが、最近の社会学では指摘され始めている。野村一夫氏の大変分かりやすい社会学ガイド、『現代家族論 −多様に開かれた家族−』から一文を引用してみよう。

 『わたしたちが「家族とはなにか」「家族はどうあるべきか」という問いに接して考える家族像は、一見普遍的なものにみえて、じつはきわめて歴史的な産物なのである。それを最初に明らかにしたのはフランスの歴史社会学者[社会史研究者]のフィリップ・アリエスだった。アリエスは、わたしたちが自明なものと考えている「子ども時代」がじつは十七世紀末以降に成立したものであり、子どもをイノセントな存在として愛情を注がなければならないとする考え方も近代の産物だということを実証した。(『子供の誕生--アンシャン・レジーム期の子供と家族生活』みすず書房1980年)この研究以来、わたしたちが普遍的なものとして想定している家族のあり方が歴史的にも文化的にもきわめて特殊な近代特有のものだということ、したがってそれは正確には「近代家族」(modern family) と呼ぶべきものであるということがしだいに明らかになっている。』

 村氏は数人の学者による著作や学説を紹介しながら「近代家族」の特徴を整理しているが、そこで注目されるのは、私たちが日頃当たり前のように考えている「家族愛」や、家族の機能としてもっとも重要視される「子どもを育て社会化する役割」、さらにこうした家族像の出発点となる「恋愛結婚」すらもまた、近代社会が産んだ新しい概念であるという分析だ。つまり「恋愛−結婚−出産」というプロセスによって家族が成立することが「当然」だとする価値観・社会の風潮は、実は19世紀以降にでき上がった近代特有の家族観なのだ、という考えだ。具体的な例を挙げてみよう。

 --- A子とB夫は大学のテニスサークルで知り合い熱烈な恋に落ちました。卒業後二人はそれぞれいわゆる一流と呼ばれる企業に就職し、数年の交際期間を経て結婚しました。結婚後しばらくはA子も仕事を続けましたが、出産適齢期が近づくと仕事を辞め子供を産む決心をし、やがて二人の間に可愛い子どもが生まれました。マイホームパパと子育て熱心な母親。かくして、愛という絆によって堅く結ばれた幸せな愛情家族が誕生しました---

 のような家族のイメージは、多くの現代人が思い描く幸せな家族像のプロトタイプだろう。知らず知らずのうちに、私たちはこうした家族のイメージに自分自身を合わせようとはしていないだろうか。社会学者たちはこのような価値観を「ロマンチックラブ・イデオロギー」と呼び、このイデオロギーに基づいて20世紀の「家族」の原型ができあがってゆく構造を明らかにしたのだ。つまり20世紀の社会とは、結婚によって生まれた一組の「男女のカップル」を単位とする社会であり、そうした家族単位を中心として全ての社会制度が編成された社会なのだといえるだろう。
野村氏はさらに続けて『こうした家族像を普遍的なもの・規範的なものと錯覚すると、離婚の増加や共働きなどの現象が「家族崩壊」にみえてしまう。しかし、これらの現象はむしろ「脱〈近代家族〉化」ととらえた方が理にかなっている。つまり〈近代家族〉がスタンダードとなった時代は終わりつつあり、新しい家族への過渡的段階として現代家族をとらえるべきだろう。』と分析する。それでは一体、近代家族のあとに来るポスト・近代家族とはどんな家族像なのか。また、それを支えるイデオロギーとはどのようなものであるべきなのだろうか。

 の答えを導き出すために、ややラディカルな一つの提言をしてみたい。まず「男女二分法」に基づいた結婚観、男女観を問い直すべきだという考え方だ。これまで見てきたように、現代の社会は、異性愛(ヘテロ)結婚による家族(夫婦)に正当性を付与する社会制度によって維持され、結婚した男女とその子供という「家族の単位」が第一義的に重要な意味を持っている社会だ。有り体にいえば、この単位以外の要素(非婚者・婚外子・非嫡出子・同性愛者など)は一人前の社会の構成要員とは見なされない社会だといってよいだろう。しかし私たちは今、こうした現実から生まれたさまざまな矛盾や差別などの問題に日々直面している。この標準的家族像から逸脱した人々、とりわけセクシュアル・マイノリティの人々が抱える不満、抑圧、疑問が無視できないほど大きくなってきていることは、PACSの例に示されている通りだ。

 くの人は、現代の社会通念に従って、人間の性を「男と女」のどちらかに分けるのを当然のように考えているけれど、本質的に、性とはそのような単純な二分法によって括ることができないものであることは、例えば “インターセックス”(半陰陽者)の存在によっても明らかである。アメリカのISNA (Intersex Society of North America)や、日本のISC(Intersex collaborated) は、インターセックスの理解を深め、セクシュアリティ全般について広く情報発信を行っている団体だ。自らインターセックスである瀬野さんと森本さんの二人によって運営されているISC は、インターセックスという性を持った人々のジェンダーアイデンティティ (性自認)について、次のように説明している。

 「女性や男性の中でもひとくくりにはできないように、インターセックスの中にも様々な形があって、一概には判断することができません。戸籍の性に従った性自認を持つ者もいれば、それにとらわれず中性とかあるいは別のなにかとして認識する者もあり、また性自認が分からないとか、性自認がないとしか言えないという者もいます。」

 た彼らは今年、『セクシュアリティを疑え!』 というイベントを開催し、その最後を次のような言葉で結んでいる。

 「インターセックスがよけいなことをされずに生きていける社会は、すべての人にとって究極的にいいものになるんじゃないでしょうか。そういう社会は、『男』とか『女』とか、無意味な枠に縛られなくなっているはずですから」(『週刊金曜日』1999年10月8日28号)

 性中心の世界観をかたくなに守ろうとする側と、それを打ち崩そうとするフェミニズムは、結局のところ、これまで同じ土俵の上で闘ってきたに過ぎないのではないだろうか。その拮抗する二つの世界観をさらに超え出たところに見えてくる新しい人間像とは?・・・ という問いかけに、この言葉はある一つの明確なビジョンを示してくれているように思われる。

 たさらに、同性・異性愛者ともに共生が可能な社会の実現に向けて、地道な活動を行う同性愛団体も徐々に増えてきている。例えば「すこたん企画」は、インターネット上で啓蒙活動をするほか、教育現場での講演会や出版など、さまざまなかたちで静かな意志表示を続けている団体だ。

 『男女=異性愛者のカップルであれば、いろいろなものに拘束されて、惰性で共同生活を続けることもできます。ところが、私たちには、そういった縛りがいっさいありません。縛られないということが、新しい可能性を生むことにもなるのです。つまり、子供・戸籍・世間体といったものに拘束されないだけに、二人の関係性を続けるためにはかなりの努力が必要になってくるわけですが、このことがかえって新しい地平を開いてくれます。』
彼らのメッセージもまた、<ポスト・近代家族>を構成する新しい「家族の単位」を想定する上で、重要なヒントを与えてくれる。つまり『夫でも妻でも、主婦でも主人でも、母でも父でも、親でも子でも、(性別役割分業的な)男でも女でもない主体を持った人間存在という「個人」』の誕生である。

 教大学助教授の椎野氏は、このようにいかなる属性からも自由な「個人」によって構成される社会を「個人単位の社会」と呼ぶ。『 個人単位の社会とは、家族がいるかいないか、どんな家族かということとは無関係に、個人の自由を大切にする仕組み(制度)によってできた社会のこと。性差や結婚というファクターが重要な意味をなさないこのような社会では、20世紀とは別の新しい人間関係が編成されることになるだろう 』 と予言している。また 『 家族が解体して「個人」単位になるということは、社会が解体することではなく、また性愛や育児を含む親密な人間関係がなくなるわけでもない。あるいは男女の性別概念それ自体がなくなるわけでもない。親密性や性愛や性別や人間関係がなくなるのではなく、個人単位のものに変化するのだ。 』 と解説する。
“血縁によって結ばれた家族”という概念しか知らない私たちにとって、こうした社会像を思い描くことは容易ではない。しかし、セクシャル・マイノリティの人々が実現しつつあるような新しい共生のかたちを考える時、血縁家族だけで助け合ったり情愛を分かち合うのではない開かれた人と人との繋がり、自立した自由な個人という点と点によって結ばれた“新しい家族像”の青写真が、そこに示されているように思われてならないのだ。



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