[Web Travelers]
[写真] 眞柄裕美
 秋を満喫しながら散歩をすると、そのたびに子どもが木のみやら葉っぱやらを拾ってくるので、玄関が動物の巣のようになってしまいました。せっかくなので、去年のクリスマスに使った木のリースに「どんぐり」やら「山ぶどうの実」やらを貼り付けてみたところ、これがなかなかの出来映えで、毎日見て楽しんでいます。今度は何を作ろうかとちょっと燃えています。


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市民の視点で見る原子力問題

 月30日、東海村で臨界事故が起きましたが、webmag読者の皆様はあの夜どう過ごされましたか? わたしはテレビの前に陣取って、NHKを中心に、民放のニュース番組をハシゴしながら、なかなか床につくことができませんでした。というのも、一度は収束したかにみえた事故が、夜半にかけて、まだ核分裂が続いていて爆発の恐れがあると報道されたからです。今の住まいは東京の西の方なのですが、地図でみると東海村まで約150kmで、もし死の灰が降るようなことがあれば東京も安全とは思えず、そうなったら寝ている子どもたちを起こしてでも遠くへ逃げようかと考えていました。結局、爆発という最悪の事態だけは回避できたのですが、今回の臨界事故で不幸にもJCOの社員や周辺の住民が被爆し、改めて原発の危険性が世間に印象づけられることになりました。

 回の事故で問題になったことの一つに、住民の避難が挙げられます。例えば、事故発生後、数時間たってから住民に避難勧告が出されたり、 同じ350メートル圏内で、早めに避難を勧告した自治体とそうでない自治体がありました。また、350メートルという範囲が十分であったのかと疑問を投げかける科学者もいました。住民の中には自主的な行動を取った人たちもいたようで、テレビを見ていたら、子供だけは現場から離れた親戚の家に避難させたという家族も映しだされていました。原発事故のように現場や行政側が混乱しがちで、市民からは状況が見えにくい場合は、政府の判断だけに頼らず、この家族のように自衛の手段をとることも賢明な選択かもしれません。

 「原発事故災害サバイバルハンドブック」は、実際に原発事故が起きた時、市民が被爆を避けるために、どう主体的に行動すればいいのか、というシミュレーションをしています。あの事故の後では、かなりリアルに感じられるサイトです。事故のいろいろな状況を設定して、とにかく早く遠くへ逃げる方法が具体的に提案されています。
 このハンドブックには、「避難時の持ち物」のリストなどもあるのですが、これも実に詳細です。二度と戻れなくなるかもしれないので、「アルバム写真も持っていく」という箇所など、シミュレーションだということを忘れてしまいそうな程です。
 このページでは、事故が起きるのは原発のあるところだけではなく、放射性廃棄物を輸送中の道路でも可能性があると言っています。緊急事態は、いたるところで発生する危険があるということです。

 発のこととなると、現在の電力事情やら様々な権力構造などを前にして、わたしはほとんど思考停止状態に陥っていたのですが、今回のような事故が起きて、改めて日本国内の原発を見回してみると、結局わたしたち一人一人にふりかかってくる避けては通れない問題であると身にしみて感じました。原子力というとベクレルやらシーベルトなどと専門的でわかりにくいのですが、これからは科学的な内容も少しは理解して、原発についての自分なりの考えを持たなくてはいけないとも思わされました。
 そこで、できるだけ科学的で、なおかつわかりやすい情報を提供しているサイトを探しました。

 「原子力資料情報室」はこの条件を満たすサイトの一つです。何しろ、原子力に関する資料の収集や調査研究などを行い、それらを市民運動に役立つように提供している非営利の調査研究機関だからです。東海村の臨界事故では、その後の科学技術庁によるJCO内でのウランの分析方法を批判したり、JCO周辺で採取した植物の放射能を測定しています。市民の側に立った客観的で科学的なデータ、現在起きていることに対する的確な判断と対応方法が明らかにされるので、原発について考える時にとても参考になります。

 の資料室の設立者である高木仁三郎氏の科学者としての道のりは、この秋出版された『市民科学者として生きる』(高木仁三郎著、岩波新書)に語られています。それによると、高木氏は企業や大学で働きながらも、そのシステムの中で研究することに疑問を抱き続けます。そして、宮沢賢治の「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」という言葉との出会いをきっかけに、象牙の塔の実験室を出、社会的な実験室で、市民の問題を解決するための科学を志そうと決意します。高木氏の「市民の科学者」としての長年の活動に対して1997年、環境・平和運動実践家に贈られるもう一つのノーベル賞と言われる「ライト・ライブリフッド賞」が授与されますが、氏はその賞金をもとに「市民科学者」を育てるための高木学校を設立します(「高木学校とは」)。「社会の直面する環境・核・人権などの問題に、市民の目の高さから取り組める科学者かつ活動家」の養成をめざす高木学校ですが、「われわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」と生徒に問いかけた賢治の羅須地人協会にもどこか重なります。「今科学を志す人に」を読むと、市民のための科学者を育成しようとするこの取り組みに、未来への希望が託されていることがよくわかります。

 民の視点から市民と共同して社会の問題を解決しようとする若い科学者が育ち、原子力問題や環境問題に取り組んでいくという新しい動きに、明るい兆しを感じました。



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